短編小説「奇跡的に」

Slumber Party

短編小説「奇跡的に」

 私は世間で言う氷河期世代に当たる。また、運のないことに、契約社員として辛うじて内定を貰えた自動車製造工場の仕事も、更なる不況の煽りを受けて解雇されてしまった。


 金も運もない、そんな2010年の真冬の日。同世代は、未だ不安定な生活を続ける者、過剰労働と見合わない賃金でも安定を求める者、そして安定を捨てて独立した者に大別されていた。格差は広がれど、誰もが碌なものではない。


 まさかこの年齢になっても惨めでひもじい思いをするとは思わなかった。しかし、人生を投げ出せば、自分自身を安く見積もってしまう気がして死ぬ気になれなかった。


 そんなことを考えながら、バイトを終えて寝ぐらであるアパートに戻る帰路、古くから続く商店街を通った。惣菜屋や飲食店から、空腹を刺激するいい匂いが漂ってくる。

その誘惑を強い意志で断ち切ろうとしながら歩いていると、男性の大きな声が前方から聞こえてきた。


 ボヤけて屋号が読めないほど年季の入った看板の店先に立つその男性は、通り過ぎようとする私に向かって威勢よく声を張った。


「そこのお兄さん!安いよ安いよ!」


 その声を無視しながらも、私の心は安さへの誘惑と戦っていた。



〈了〉



──短編小説「奇跡的に」

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