第一章:赤ん坊の秘密と、黒すぎる英才教育(7)
王宮を後にしたセルヴァン公爵家の馬車は、石畳の上を重々しい音を立てて走っていた。
窓の外は夕闇に包まれ、ガス灯の明かりが車内を断続的に照らし出している。
その光と影の明滅が、僕たちの沈鬱な表情を浮き彫りにしていた。
「……得体が知れないな」
最初に沈黙を破ったのは、父上・ディーノだった。
彼は眉間に深い皺を寄せ、腕を組んで考え込んでいた。
「あの若さ、あの魔力……。ただの美容術ではない。だが、決定的な証拠(しっぽ)が掴めない」
「ええ。私の分析でも、解析不能(エラー)が出たわ」
母上・セレナが悔しげに唇を噛む。彼女の手には、先ほどの謁見の間にこっそりと採取した魔力データの結晶石が握られていたが、その石は濁った灰色に変色していた。
「通常の鑑定魔法なら、術式の構成要素くらいは読み取れるはずなの。でも、彼女のオーラは……まるで『何重にも鍵がかかった金庫』みたい。表面の若作りの術式の下に、もっとドス黒い、根源的な何かが隠されているわ」
「吸血鬼の術式……とも違うのですか?」
僕が尋ねると、母上は首を振った。
「似ているけれど、もっと異質なものよ。吸血鬼は他者の血を吸うけれど、彼女の場合……もっと深い『魂の核』のようなものを喰らっている気がする。でも、どうやって? 接触もなしに魂を抽出するなんて、神話級の悪魔でもない限り不可能よ」
母上の言葉に、車内の空気が凍りついた。
神話級の悪魔。
もし王妃がそんなものと契約しているのだとしたら、あるいは彼女自身が……。
「……いずれにせよ」
僕は口を開いた。四歳児の声ではなく、かつて処刑された二十八歳の男の声で。
「彼女は僕を『獲物』として認識しました。あの目は、コレクションを眺める目であり、同時に食欲を隠さない捕食者の目でした」
「許せません……ッ!」
アメリアが悲鳴のような声を上げた。
彼女は僕の腕にしがみつき、ガタガタと震えていた。恐怖ではない。愛する者を汚されることへの、生理的な嫌悪と激怒だ。
「アルヴァ様を……私の綺麗なアルヴァ様を、あんな化け物のエサになんてさせません! パパに頼んで、今すぐ王宮の寝室に毒蛇を……!」
「ダメだ、アメリア」
僕は彼女の冷たい手を包み込み、優しく諭した。
「相手は帝国の王妃だ。半端な暗殺など、通用するはずがない。それに、彼女の正体が分からないまま手を出すのは危険すぎる」
「でも……!」
「焦る必要はない。向こうも、すぐに僕をどうこうするつもりはないはずだ。彼女は言っていた。『もっと成長してから』とね」
僕はニヤリと笑ってみせた。
そう、彼女は僕を「熟成」させようとしている。
魔力が増え、魂が成熟するのを待っているのだ。
それはつまり、僕たちには「時間」という猶予があるということだ。
「この猶予(モラトリアム)を最大限に利用しよう。彼女が僕を美味しく育てているつもりでいる間に……僕たちは彼女の喉元に食らいつくための『毒牙』を研ぐんだ」
僕の言葉に、父上がニヤリと笑い返した。
「いい度胸だ、アルヴァ。……で、具体的にはどうする?」
「まずは情報収集と、戦力増強です。王妃の秘密を暴くための調査。そして、万が一の時に彼女を殺しきれるだけの、絶対的な火力の確保」
僕は窓の外、遠ざかる王宮のシルエットを睨みつけた。
「五歳になるまでの一年間。……徹底的に『研究』させてもらいますよ」
***
そして、季節は巡った。
僕が五歳になった年の冬。
セルヴァン公爵邸の地下深くにある秘密実験室は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
「アルヴァ! 魔力供給を安定させて! 培養槽の温度が上がってるわ!」
「わかってるよ母上! ……くそっ、この死体(サンプル)、魔力回路が複雑すぎる!」
僕は白衣(特注の子供サイズ)を翻し、巨大な水槽の前で魔力操作を行っていた。
水槽の中には、淡い緑色の液体が満たされ、その中で「何か」が蠢いている。
それは、人と獣を繋ぎ合わせたような、異形の肉塊だった。
キメラ・ゾンビ。
複数の生物の死骸を合成し、一つの生命体として再起動させた、僕と母上の共同作品だ。
ただし、これはただのキメラではない。
王妃の持つ「異常な再生能力」と「魂の捕食能力」を模倣するために作られた、実験用ホムンクルスだ。
「解析班(霊体ネズミ部隊)、データはどうなってる?」
僕が虚空に問いかけると、部屋の隅にある魔導端末から、カタカタとタイプライターが自動で打ち込まれる音が響いた。
霊を憑依させたネズミたちが、僕の代わりに計算処理を行っているのだ。
『再生率、98%。……失敗デス。コレデハ、王妃ノ足元ニモ及ビマセン』
「チッ、またかよ」
僕は舌打ちをした。
この一年間、僕たちは王妃の「若さ」の秘密を解明しようと試行錯誤を続けてきた。
様々な仮説を立て、それを証明するための実験体を作り、データを取る。
だが、どれだけやっても王妃の異常性には届かない。
彼女は、老いない。
傷つかない。
そして、底なしの魔力を持っている。
それを再現しようとすると、実験体は自己崩壊(メルトダウン)を起こしてしまうのだ。
「やはり、何かが足りないのね……」
母上がため息をつきながら、保護メガネを外した。
目の下に隈ができている。この数日間、不眠不休で実験に付き合ってくれたのだ。
「『器』の問題かしら。それとも『魂』の質? 王妃が使っているのが、もし本当に『神代の遺物(アーティファクト)』だとしたら、現代の魔法理論じゃ解析できないわ」
「アーティファクト……」
その言葉に、僕はハッとした。
王宮の宝物庫。
そこには、建国以来の様々な宝具が眠っていると聞く。
もし王妃が、その中の一つを私物化しているとしたら?
「……調査の方向性を変えよう」
僕は白衣のポケットから、一枚のメモを取り出した。
それは、アメリアが送ってくれた「王宮への納入業者リスト」だ。
「術式の解析に行き詰まったなら、物理的な証拠(モノ)から攻めるしかない。アメリアの情報網を使って、王妃が最近『何を取り寄せたか』を洗ってみる」
「あら、探偵ごっこ? 面白そうね」
母上が悪戯っぽく微笑む。
「でも気をつけてね、アルヴァ。深淵を覗く時、深淵もまた……って言うでしょ?」
「ええ。だからこそ、覗き返すための『目』を鍛えているんです」
僕は自分の右目を指差した。
この一年で、僕の「ネクロマンサーの視界」はさらに進化した。
今なら、壁の向こうの死霊だけでなく、数日前の残留思念すら読み取ることができる。
探偵? いいや。
僕は「死の鑑識官」だ。
「今日はもう上がろう。……アメリアが待っている」
実験を切り上げ、僕は地上へと戻る準備を始めた。
今日は、アメリアとの「デート」の約束があるのだ。
もちろん、ただのデートではない。
彼女の実家、ファルシア公爵領にある「ある施設」への潜入調査だ。
***
ファルシア公爵領は、帝都から馬車で半日ほどの場所にある。
表向きはのどかな田園地帯だが、その実態は「暗殺者とスパイの育成所」だ。
「お待ちしておりました、アルヴァ様!」
領境の森で、アメリアが出迎えてくれた。
今日の彼女は、いつものドレスではなく、動きやすい狩猟服を着ている。
その腰には、小さな短剣が二本、帯剣されていた。
五歳にして、すでに「仕事人」の顔つきだ。
「やあ、アメリア。似合っているよ」
「ふふ、ありがとうございます。アルヴァ様も、その冒険者風の衣装、とっても素敵ですわ」
僕たちはお互いの服装を褒め合い、森の奥へと進んだ。
護衛の騎士たちは遠ざけてある。
ここからは、子供二人だけの秘密の冒険だ。
「それで、例の場所は?」
「ええ、こちらです」
アメリアが案内してくれたのは、森の奥深くに隠された、古びた修道院の廃墟だった。
屋根は崩れ落ち、壁は蔦に覆われている。
だが、僕の目には見えていた。
その地下から立ち上る、濃密な血の匂いと、死者の気配が。
「ここは昔、教会が異端審問に使っていた施設なんですって。パパが買い取って、今は『特別な訓練場』として使っているの」
「訓練場……何の?」
「人間を、効率よく壊すための」
アメリアは無邪気に微笑み、廃墟の地下へと続く階段を降りていった。
地下室は、意外にも清潔だった。
広々とした空間に、様々な「人形」が並べられている。
藁人形、木製の人形、そして……精巧に作られた、人体模型のような肉人形。
「ここでね、人体急所の勉強をするの。どこを刺せば声を出さずに殺せるか、どの骨を折れば動けなくなるか……」
彼女は一体の肉人形に近づき、流れるような手つきで短剣を振るった。
シュッ。
音もなく、人形の首筋に深々と刃が突き立つ。
鮮やかだ。五歳児の動きではない。
「すごいな。誰に教わったんだ?」
「パパよ。……でもね、私、最近つまらないの」
アメリアは短剣を引き抜き、寂しそうに人形を見つめた。
「人形は、痛いって言わないもの。死ぬ瞬間の『魂の震え』がないわ。だから、練習にならないの」
彼女はくるりと振り返り、熱っぽい瞳で僕を見た。
「だから、アルヴァ様にお願いしたの。……この人形たちに、『命』を吹き込んでくれませんか?」
なるほど。
彼女の頼みごとはこれだったか。
「動く的」が欲しい。
それも、ただ動くだけでなく、恐怖し、苦痛を感じるようなリアルな標的が。
「いいだろう」
僕は承諾した。
これは僕にとっても良い実験になる。
死体に仮初の命を与え、生者と同じように振る舞わせる「擬似生命(ミミック・ライフ)」のテストだ。
僕は部屋の中央に立ち、両手を広げた。
魔力を放出する。
地下室に漂っていた古い残留思念たちを集め、肉人形たちの中に押し込んでいく。
「起きろ。そして、踊れ」
ギギギ……。
数十体の肉人形が一斉に動き出した。
彼らは虚ろな目をキョロキョロとさせ、自分の体を見下ろし、そして恐怖の悲鳴を上げ始めた(声帯はないので、空気の漏れるような音だが)。
『寒い……痛い……ここはどこだ……』
霊たちの混乱した思念が響く。
「きゃあああ! すごい! 本当に生きてるみたい!」
アメリアが歓声を上げ、短剣を構えて飛び出した。
彼女にとって、これは最高のアトラクションなのだ。
次々と人形の急所を突き、関節を切り裂いていく。
人形たちは苦痛に身をよじり、逃げ惑う。
それを追いかけるアメリアの笑顔は、残酷で、そして美しかった。
(……良いコンビだ)
僕は腕を組んで、その殺戮劇(トレーニング)を眺めていた。
僕が命を与え、彼女がそれを刈り取る。
生産と消費。
創造と破壊。
僕たちは、完璧なサイクルで結ばれている。
「アルヴァ様! 見て見て! この子の内臓、本物みたいに温かいわ!」
返り血(人形の中に入れた疑似血液)を浴びて真っ赤になったアメリアが、僕に手を振る。
僕は優しく微笑み返した。
「ああ、上手だよアメリア。……その調子で、いつか王妃の喉笛も食いちぎってくれ」
五歳の冬。
僕たちは、血と死の匂いの中で、愛と殺意を育んでいた。
普通の子供たちが雪遊びをしている間に、僕たちは「殺人」という名の未来への投資をしていたのだ。
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