第一章:赤ん坊の秘密と、黒すぎる英才教育(6)

王宮のパーティー会場から少し離れた、静かな回廊。

華やかな喧騒は遠のき、代わりに冷たく張り詰めた空気が漂い始めていた。

案内役の近衛兵に先導され、僕とアメリア、そして父上と母上の四人は、長い廊下を歩いていた。


「……空気が変わったな」


父上・ディーノが小声で呟く。

その背中は、いつもの飄々とした態度を消し、隙のない「帝国宰相」のそれになっていた。

母上・セレナもまた、扇子を持つ手に微かな魔力を帯びさせている。

この先に待つ者が、ただの王族ではないことを、二人の本能が察知しているのだ。


僕もまた、肌にまとわりつくような不快感を感じていた。

ネクロマンサーとして覚醒してから、僕は「死の気配」には敏感だ。

墓地や古戦場のような、淀んだ空気には慣れている。

だが、ここにあるのは違う。

死の静寂ではない。かといって、生の躍動でもない。

まるで、腐った肉に香水を振りかけ、無理やり防腐処理を施したような——人工的で、歪な気配。


「アルヴァ様……」


隣を歩くアメリアが、僕の袖をギュッと握りしめた。

彼女の顔色は青白い。

暗殺者の一族である彼女もまた、本能的な嫌悪感を感じているらしい。


「大丈夫だ、アメリア」


僕は彼女の手を握り返し、努めて冷静な声を出す。

だが、僕自身の警戒レベルも最大まで引き上げていた。

僕たちは、猛獣の檻に入ろうとしているのかもしれない。


「こちらです。王妃殿下がお待ちです」


近衛兵が、巨大な両開きの扉の前で立ち止まった。

重厚な扉には、王家の紋章である「双頭の鷲」が彫り込まれているが、その鷲の目は、どこか嘲笑っているように見えた。


ギィィ……と、蝶番が軋む音を立てて扉が開く。


中から溢れ出してきたのは、濃厚な甘い香りだった。

薔薇か、百合か。

むせ返るような花の香りが、部屋中に充満している。


「よく来たわね、セルヴァン公爵。……それに、可愛らしいお客様たちも」


部屋の最奥。

天蓋付きの豪奢な長椅子に、一人の女性が座っていた。

王妃イザベル。

帝国の影の支配者であり、僕の前世における処刑の黒幕。


僕たちは、部屋の中央まで進み、深々と頭を下げた。


「お招きいただき光栄です、王妃殿下」


父上の声が響く。

沈黙。

衣擦れの音だけがして、ゆっくりと気配が近づいてくる。


「……面を上げなさい」


鈴を転がすような、若々しい声。

僕はゆっくりと顔を上げた。

そして、息を呑んだ。


そこにいたのは、信じられないほど美しい女性だった。

公式記録では、王妃は四十五歳を超えているはずだ。

だが、目の前にいる女性は、どう見ても二十代前半にしか見えない。

透き通るような白い肌。シミ一つない首筋。少女のように艶やかな唇。

魔法による美容術か?

いや、それにしては自然すぎる。まるで時間そのものが、彼女だけ避けて通ったかのようだ。


(……なんだ?)


僕は思わず、ネクロマンサーの視界(サイト)を発動させた。

霊的なオーラを視る。

普通の人間のオーラは、生命力の色——赤やオレンジ色をしている。

だが、王妃のオーラは違った。


混ざっている。

赤、青、紫、黒……。

無数の色が、泥のように混ざり合い、渦を巻いている。

それは一人の人間のオーラではない。

まるで、何十人もの人間の魂を、無理やりミキサーにかけて固めたような——おぞましいモザイク模様だった。


(気持ち悪い……ッ!)


激しい吐き気がこみ上げてきた。

具体的な術式までは分からない。

だが、直感が告げている。

この若さは、ただの魔法じゃない。

もっと根源的で、もっと冒涜的な何か——他者の「命」を犠牲にして成り立っている、禁忌の産物だと。


「あら?どうしたの、ボウヤ」


王妃が僕の顔を覗き込んだ。

至近距離で見ると、その瞳の異様さが際立つ。

彼女の瞳孔の奥には、底知れない闇が広がっていた。光を吸い込むような、虚無の瞳。


「顔色が悪いわよ?……ふふ、もしかして私の美しさに当てられたのかしら?」


彼女はクスクスと笑い、扇子で僕の顎を持ち上げた。

その指先は氷のように冷たかった。

生きた人間の体温ではない。


「……いえ。王妃殿下があまりにお若くて、言葉を失ってしまいました」


僕は必死に吐き気を堪え、四歳児の笑顔を貼り付けた。

ここで動揺を見せてはいけない。

彼女は今、僕を値踏みしているのだ。


「お若い、か。……ふふふ。嬉しいことを言ってくれるじゃない」


王妃は満足げに目を細めた。

だが、その目の奥は笑っていない。

爬虫類が獲物を観察するような、冷酷な光が宿っている。


「セルヴァン公爵。あなたの息子……アルヴァと言ったかしら?なかなか面白い子ね。先ほど、レオンハルト(王子)とのやり取りも見ていたわよ」


「お恥ずかしい限りです。息子は少々、空想癖がありまして」


父上が割って入る。

王妃は視線を僕から父上へ移し、妖艶に微笑んだ。


「空想、ねぇ。……でも、あの子(王子)の背中に『女が乗っている』と言ったそうじゃない?本当に見えていたのかしら?」


試されている。

僕が本当に「視える」人間なのかどうかを。

もしここで能力を認められれば、彼女は僕を利用しようとするだろう。

だが、否定しすぎても不自然だ。


「さあ、どうでしょう」


僕は首を傾げてみせた。


「ただ、殿下が少し肩を重そうにしていたので。……僕の家の執事がよく『肩こりにはオバケが乗ってるもんだ』と言っていたのを思い出しただけですよ」


「まあ。ふふふ、オバケですって。可愛らしい」


王妃は声を上げて笑った。

だが、その笑い声の裏で、彼女のオーラが一瞬だけ膨れ上がったのを僕は見逃さなかった。

黒い触手のようなオーラが、僕の方へ伸びようとして——寸前で引っ込んだのだ。


「いいでしょう。子供の戯言ということにしておくわ」


彼女は興味を失ったように背を向け、ソファーへと戻っていった。

だが、その背中越しに投げかけられた言葉は、僕たちの心臓を凍りつかせるには十分だった。


「でもね、アルヴァ。……気をつけるといいわ。あまり『見えすぎる』目は、災いを招くものよ。時には、余計なものを見ないために、その目をくり抜かれることもあるのだから」


それは明確な脅迫だった。

これ以上、私の領域に踏み込むな。

さもなくば、物理的に排除するぞ、という。


「……肝に銘じます」


僕は深く頭を下げた。

父上と母上も続く。アメリアは、僕の手を握りしめたまま、微かに震えていた。


「下がりなさい。……ああ、そうだ」


退出しかけた僕たちに、王妃が思い出したように声をかけた。


「セルヴァン公爵。近いうちに、私の『特別な茶会』に招待するわ。その時は、奥方のセレナ殿も、ぜひ美容のお話をしましょうね?」


「……ええ、楽しみにしておりますわ」


母上が完璧な笑顔で応じる。

だが、そのこめかみには青筋が浮かんでいた。


扉が閉まる。

重厚な音が響き、僕たちは王妃の間から解放された。

廊下に出た瞬間、全員が大きく息を吐き出した。


「……なんて女だ」


父上が額の汗を拭う。


「あそこまで魔力が歪んでいるとはな。ディーノ、気づいた?部屋の隅にあった観葉植物……あれ、全部造花よ。生きた植物じゃ、あの部屋の瘴気に耐えられないのよ」


母上が忌々しげに呟く。

僕も同意だった。

あの部屋は、美しい装飾で隠された「墓場」だ。

そして王妃は、その墓場の主である、最も高貴な死人(グール)のような存在だ。


「アルヴァ様……」


アメリアが僕を見上げる。

その瞳には、恐怖ではなく、激しい怒りの炎が宿っていた。


「あの方……許せません。アルヴァ様を脅すなんて。それに、あの目……まるで、アルヴァ様を『食材』か何かを見るような目つきでした」


「ああ、気づいていたよ」


僕はアメリアの頭を撫でた。


「彼女は僕を狙っている。おそらく、僕の魔力か、あるいはこの『目』を欲しがっているんだろう」


王妃の正体はまだ分からない。

だが、一つだけ確かなことがある。

彼女は、僕たちセルヴァン家にとって、そして僕個人にとっても、絶対に相容れない「捕食者」であるということだ。


「帰ろう、みんな。……作戦会議だ」


僕の言葉に、家族全員が力強く頷いた。

王宮の長い廊下を歩きながら、僕は誓った。

あの傲慢な美貌を、いつか必ず剥ぎ取ってやる。

その下に隠された醜悪な正体を暴き出し、帝国の全人民の前で晒し者にしてやるのだと。

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