第一章:赤ん坊の秘密と、黒すぎる英才教育(3)

少し時間を巻き戻そう。

アメリアと運命的な出会いを果たした三歳のあの日より、さらに前のことだ。

僕がセルヴァン家でどのように「地盤固め」をしていたのか。

特に、あの個性的すぎる兄や妹と、どうやって共犯関係(キズナ)を結んだのか。

その話をしておかなければならない。


生後六ヶ月のカイルとの「涙の対面」から、さらに半年が過ぎた頃。

僕は一歳の誕生日を迎えた。


一歳。

それは、人間の身体機能が劇的に向上する時期だ。

ハイハイからつかまり立ちへ。そして、よちよち歩きへ。

この移動手段の確保は、僕にとって革命的だった。


何しろ、これまではベビーベッドという名の檻に囚われていたのだ。

だが今は違う。

自分の足で、屋敷の中を探索できる。

つまり——誰にも見られずに、「自主トレ」ができるということだ。


ある日の深夜。

僕は皆が寝静まったのを確認し、ベビーベッドから這い出した。

小さな足で床を踏みしめる。

視線の高さは低いが、見える世界は広い。

僕は、よちよちと廊下を歩き、屋敷の裏口へと向かった。


目指すは「裏庭」だ。

そこは、手入れされた美しい庭園……のさらに奥にある、鬱蒼とした雑木林だ。

庭師でさえあまり立ち入らないその場所こそが、僕の秘密の実験場だった。


(……さて、今日の収穫はどうかな)


僕は雑木林の奥、大きな樫の木の根元にしゃがみ込んだ。

そこには、小さな「墓」がいくつか並んでいる。

もちろん、人間のものではない。

屋敷の周りで死んでいたネズミ、小鳥、トカゲ……そういった小動物の死骸を、僕が埋葬しておいた場所だ。


ただ埋めたわけではない。

埋葬する際、土壌に僕の魔力をたっぷりと染み込ませ、簡単な「保存(プリザーブ)」と「培養(カルチャー)」の術式を施してある。

名付けて、『アルヴァ式・死霊熟成プランター』だ。


僕は小さな手で土を掘り返した。

すると、そこから真っ白な骨格標本のようなネズミが現れた。

腐敗は完全に止まっており、骨は魔力を吸って黒曜石のように硬化している。


(よし。成功だ)


僕はニヤリと笑った。

前世で覚醒したばかりの知識と、母上から盗み見た魔導書の知識を組み合わせた、初めての「作品」だ。

僕はその骨ネズミに指を触れ、魔力を流し込む。


「起きろ(ウェイク・アップ)」


カチ、と乾いた音がした。

骨ネズミの眼窩に青白い燐光が灯る。

それはギギギと関節を鳴らし、僕の手のひらの上で立ち上がった。

そして、前足をこすり合わせ、恭しく頭を下げる。


(……可愛いな)


僕は愛おしさを感じた。

これがネクロマンサーの悦びか。

ただの死骸が、僕の意思一つで忠実な下僕へと変わる。

生きたペットのように餌もいらないし、排泄もしないし、何より裏切らない。


「行け。屋敷の中を巡回して、不審な魔力の痕跡がないか探してこい」


僕が念じると、骨ネズミは目にも留まらぬ速さで闇の中に消えていった。

素晴らしい機動力だ。これなら諜報活動に使える。

僕は満足して、次の「作品」を掘り起こそうとした。


その時だった。


「……アルヴァ?」


背後から声をかけられた。

心臓が止まるかと思った。

深夜の裏庭だ。誰もいないはずだった。

僕は恐る恐る振り返る。


そこに立っていたのは、パジャマ姿の少年だった。

手に木剣を持っている。寝癖がついた金髪。眠そうな瞳。

兄のヴィクトールだ。当時九歳。


(しまった……!見られたか!?)


僕は冷や汗をかいた。

一歳の赤ん坊が、真夜中に庭で骨を掘り返してニヤニヤしている。

完全にホラーだ。

兄上は正義感が強いと聞いている。もし僕の正体がバレたら、「悪魔憑き」として教会に通報されるかもしれない。


僕は必死で言い訳を考えた。

「迷子になった」?いや、裏庭までは遠すぎる。

「お花を摘みに来た」?真っ暗闇で無理がある。


兄上は、僕の方へゆっくりと歩み寄ってきた。

そして、僕の足元にある掘り返された土と、まだ土に埋まっている小鳥の死骸(製作途中)を見た。


沈黙が流れる。

終わった。僕の二度目の人生は、ここでゲームオーバーか——。


「……そうか」


兄上が、重々しく口を開いた。


「お前も、強くなりたかったんだな?」


(……はい?)


予想外の言葉に、僕はポカンと口を開けた。

兄上は木剣を地面に突き刺し、僕の目線に合わせてしゃがみ込んだ。


「俺も眠れなくて素振りをしていたんだ。アルヴァ、お前もそうなんだろう?一歳にして、己の無力さに悩み、闇の中で特訓をしていた……違うか?」


兄上の瞳は、なぜか感動で潤んでいた。

どうやら、壮大な勘違いをしてくれているらしい。

死体いじりを「ストイックな特訓」と解釈するとは、なんと都合の良い脳みそだろう。

僕はすかさず、コクコクと頷いた。


「あう!(そうなんだよ兄貴!)」


「おお……!やはりそうか!」


兄上は僕をガバッと抱きしめた。

暑苦しい。そして力が強い。


「すまない、アルヴァ。俺は今まで、お前をただの赤ん坊だと思っていた。だが違ったんだな。お前もまた、セルヴァン家の男として、高みを目指す戦士だったんだな!」


兄上は涙ぐみながら、僕の「製作途中の小鳥の死骸」を拾い上げた。


「これを見ろ。ただの死骸じゃない。魔力を通すための『形』を模索している……これは、魔法剣士としての基礎訓練の一種か?すごいぞアルヴァ!」


(いや、それはただのネクロマンシーの実験台なんですが)


訂正するわけにもいかず、僕は曖昧に笑うしかなかった。

だが、この勘違いは好都合だ。

兄上は僕の頭をゴシゴシと撫でた。


「安心しろ。このことは父上にも母上にも内緒にしてやる。男同士の秘密だ。……その代わり、俺の剣術の練習に付き合ってくれないか?お前のその不思議な魔力操作、剣にも応用できそうな気がするんだ」


そう言って笑う兄上の笑顔は、前世の記憶にある「謹厳実直な騎士団長」の顔とは違い、無邪気で頼もしかった。

ヴィクトール兄上。

前世では、彼は僕を庇って真っ先に殺された。

王子の近衛騎士たちに囲まれ、全身に矢を受けながらも、最後まで僕の逃走ルートを確保しようとしてくれた。


(……兄上)


僕は小さな手で、兄上の服の袖を掴んだ。

この脳筋で、優しくて、ちょっと抜けている兄を、今度こそ死なせはしない。

僕の死霊術で、最強の剣士に育て上げてやる。


「あう!(任せとけ!)」


こうして、僕と兄上の「秘密の特訓(という名の死霊実験)」の日々が始まった。


***


だが、セルヴァン家にはもう一人、厄介な人物がいる。

妹のイザベラだ。

彼女は僕より一歳年上……つまり、今は二歳。

前世の記憶では、華やかな社交界の華でありながら、裏では情報を操る「女狐」と呼ばれていた才女だ。


兄上との密会から数日後。

僕は自室で、積み木遊びをしていた。

もちろん、ただの積み木ではない。積み木の一つ一つに微弱な霊を宿らせ、念じるだけで勝手に組み上がる「自動建築パズル」の開発テスト中だ。


そこに、トテトテと足音が近づいてきた。

ドアが開き、フリルのついたドレスを着た幼女が入ってきた。

イザベラだ。

彼女は二歳にして、すでに完成された美貌の片鱗を見せている。

そして、その瞳は——子供特有の無邪気さとは無縁の、冷徹な観察眼で僕を見ていた。


「……アルヴァ」


彼女は僕の前に座り込み、じっと顔を覗き込んでくる。


「ねえ。昨日の夜、お兄様と何をしていたの?」


(ッ!?)


心臓が跳ねた。

まさか、見られていたのか?

いや、あの場所は死角だったはずだ。


「とぼけても無駄よ。お兄様、今朝から様子がおかしいもの。『アルヴァは天才だ』とかブツブツ言いながら、庭で変な踊り(※剣の型)をしてるし」


イザベラは不満げに頬を膨らませた。


「私、知ってるのよ。あなたがただの赤ちゃんじゃないってこと」


彼女は、僕の手元にある積み木を指差した。

今まさに、僕の念動力で勝手に積み上がろうとしていた積み木を。


「それ。……手を使わずに動かしてるでしょ?」


バレていた。

完全にバレていた。

二歳児の観察眼じゃない。やはりこの妹、将来の諜報員としての才能が桁外れだ。

僕は観念して、積み木をガラガラと崩した。

そして、コクリと頷く。


「……ふーん。やっぱりね」


イザベラは勝ち誇ったように笑った。

そして、驚くべき提案をしてきた。


「ねえ、アルヴァ。その力……私にも貸してくれない?」


「あう?(何に使う気だ?)」


「あのね、隣の領地のボグナー男爵家の娘がね、私のドレスを『田舎臭い』って笑ったのよ」


イザベラの目が、スッと細められた。

その瞬間、部屋の温度が二度ほど下がった気がした。


「許せないわ。だからね、今度のお茶会で、彼女のドレスだけ『なぜか虫が集まってくる呪い』をかけてやりたいの。……あなたなら、できるでしょ?」


なんという私怨。

なんという悪用。

二歳児の発想ではない。

だが、その冷酷さと執念深さは——間違いなくセルヴァン家の血筋であり、僕の才能と相性が抜群だった。


(……気に入った)


僕はニヤリと笑った。

害虫を誘引するフェロモンを放つ死霊など、僕にかかれば朝飯前だ。

僕は積み木を操作して、『OK』の文字を作って見せた。


「まあ!ありがとう、アルヴァお兄様(・・・)!」


イザベラは満面の笑みで僕に抱きついた。

実年齢では彼女の方が上だが、精神的優位性を認めたのか、敬称がついた。


「ふふふ。これでボグナー家はおしまいね。……あ、ついでに彼女の父親のズラも飛ばしてやりましょうよ」


恐ろしい妹だ。

だが、これで役者は揃った。

武力のヴィクトール兄上。

知略と毒のイザベラ。

そして、全てを統べる黒幕の僕。


子供部屋で結ばれた、この小さな「同盟」が、やがて帝国を震撼させる「最凶の兄弟」の始まりだった。

僕たちは積み木を囲んで、無邪気に、そして邪悪に笑い合った。

平和な午後のひととき。

その裏で着々と、帝国支配への布石は打たれていたのだ。

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