第一章:赤ん坊の秘密と、黒すぎる英才教育(2)


時は流れ、僕は三歳になった。


貴族の子供にとって、三歳というのは一つの節目だ。

言葉を話し始め、基本的なマナーを教え込まれ、そして何より——「婚約者」候補との顔合わせが行われる時期だからだ。


そう、今日がその日だ。

セルヴァン公爵家の広間は、朝からピリピリとした空気に包まれていた。

いや、ピリピリしているというよりは、何かドス黒いオーラが充満していると言った方が正しいか。


「アルヴァ、いいか。よく聞くんだぞ」


父上・ディーノ公爵が、僕の肩に手を置いて真剣な顔をしている。

彼は帝国宰相としての威厳を漂わせているが、その目は笑っていない。


「今日来るファルシア家の娘、アメリア嬢だが……彼女はただの令嬢ではない。ファルシア家は表向きは没落寸前の貧乏貴族だが、裏では『暗殺者ギルド』と繋がりを持つ始末屋の一族だ」


「はい、父上。存じております」


僕は三歳児とは思えない流暢さで答える。

前世の記憶がある僕にとって、敬語など造作もないことだ。

父上は満足げに頷いた。


「うむ。お前は本当に賢いな。……で、だ。もしその娘が気に入らなければ、裏庭の池に沈めても構わんぞ?事故に見せかける工作班なら、すでに手配済みだ」


「あなたったら、過保護ねぇ」


母上・セレナが扇子で口元を隠しながら笑う。


「でも、女の子は早熟だから気をつけてね、アルヴァ。もし彼女が少しでもあなたを害そうとしたら……ママがその綺麗な髪の毛一本残さず、呪いの触媒にしてあげるから」


(……相変わらず、物騒な両親だ)


僕は心の中で苦笑した。

だが、彼らの心配は半分当たりで、半分ハズレだ。

アメリア・ファルシア。

彼女のことはよく知っている。

前世で僕の婚約者だった女性だ。

儚げで、美しく、そして弱々しい少女だった。

彼女はいつも「怖い」「守って」と僕にすがりつき、最後には権力を持った第二王子に乗り換えて、僕を裏切った。


彼女は、自分の身を守るためなら平気で嘘をつく。

弱さを武器にする、ある意味で最強の生存戦略を持った女だ。

だが、今回は違う。

僕には、彼女の「本性」を見極める目がある。

そして、もし彼女がまた僕を利用しようとするなら——その時は、父上の提案通り、池の底の住人になってもらうつもりだ。


「ファルシア公爵、並びにご令嬢のアメリア様、ご到着です!」


執事の声が響く。

重厚な扉が開かれた。


そこに入ってきたのは、少し疲れた顔をした中年男性と——一人の少女だった。


アメリアだ。

三歳のアメリア・ファルシア。

銀色の髪は月明かりのように輝き、青白い肌は陶器のように滑らかだ。

大きな瞳は、どこか焦点が合っていないようで、それがかえって神秘的な美しさを醸し出している。


(……ああ、やっぱり綺麗だな)


憎しみはある。だが、美しさを否定することはできない。

彼女は父君の後ろに隠れるようにして、おどおどと周囲を見回している。

その姿は、前世と変わらない「か弱い令嬢」そのものだった。


「初めまして、アルヴァ様。アメリア・ファルシアと申します……」


蚊の鳴くような声。

震える指先。

完璧だ。完璧な「被害者」の演技だ。

前世の僕なら、コロッと騙されていただろう。「僕が守ってあげなきゃ」と使命感に燃えていただろう。


だが、今の僕には見える。

彼女の背後に漂う、あの「気配」が。


(……ん?)


僕は目を細めた。

ネクロマンサーの視界(サイト)を発動させる。

普通の人には見えない霊的なオーラを視る。


彼女の背中には、霊が憑いていた。

それも、一体や二体ではない。

十体以上の、どす黒い人型の影が、彼女にまとわりついているのだ。

あれは、おそらく——彼女の周りで死んだ人間たちの怨念か?

いや、違う。

霊たちは彼女を呪っているのではない。

まるで、彼女を守るように、あるいは崇拝するように、彼女の影に潜んでいるのだ。


(どういうことだ……?)


前世では気づかなかった。

彼女もまた、ただの令嬢ではなかったということか?


「さあ、子供たちだけで遊んでらっしゃい。私たちは別室で、少し『政治的な』話をしようか」


父上がファルシア公爵を連れて退出していく。

母上も「ごゆっくり」とウィンクをして去っていった。


広い応接間に、僕とアメリア、そして数人のメイドだけが残された。

重苦しい沈黙が流れる。

アメリアは俯いたまま、ドレスの裾をギュッと握りしめている。


「……アメリア様」


僕が声をかけると、彼女はビクッと肩を震わせた。


「は、はい……」


「退屈でしょう。僕の部屋にご案内します。珍しい玩具があるんですよ」


僕は努めて紳士的な笑みを浮かべた。

まずは二人きりになる必要がある。

あの背後の霊の正体と、彼女の本性を暴くために。


***


僕の私室に入ると、僕はすぐに人払いを命じた。

メイドたちが一礼して退出する。

扉が閉まり、完全に二人きりになった瞬間——僕は、演技をやめた。


「さて」


僕は三歳児の可愛らしい声を捨て、冷徹な大人の声音で告げた。


「演技はもういいだろう、アメリア。君の後ろに憑いているそれ、何だ?」


アメリアが顔を上げる。

その表情から、先ほどまでの怯えが消えていた。

代わりに浮かんでいたのは——底知れない「虚無」だった。


「……見えているのね、アルヴァ様」


声色が変わる。

か細い少女の声ではない。冷たく、澄んだ、鈴のような声。


「やっぱり、噂通りだわ。セルヴァン家の神童。……いいえ、あなたも『こっち側』の人間なのね」


彼女はゆっくりと僕に近づいてくる。

その背後の霊たちが、ざわざわと蠢く。

僕は警戒して魔力を練った。もし襲ってくるなら、即座に返り討ちにする。


だが、彼女の行動は予想外だった。

彼女は僕の目の前まで来ると、僕の手を取り——そして、熱っぽい瞳で僕を見つめたのだ。


「綺麗……」


「は?」


「あなたの魔力、すごく綺麗。暗くて、冷たくて、死の匂いがするわ」


彼女は恍惚とした表情で、僕の手に頬ずりをした。

その瞳孔は開ききっている。


「私ね、ずっと探していたの。生きてる人間なんて大嫌い。嘘つきで、うるさくて、臭くて……。でも、あなたは違う。あなたは生きているのに、死んでいるみたいに静寂(しずか)だわ」


(……なんだ、この女は?)


前世の記憶と一致しない。

あのアメリアは、もっと計算高くて、俗物的な女だったはずだ。

だが、目の前にいる少女は——狂っている。

純粋培養された狂気だ。


「ねえ、アルヴァ様。その部屋の隅にあるぬいぐるみ……中身が入っているんでしょう?」


彼女が指差したのは、僕が練習用に作った「霊入りぬいぐるみ」だ。

クマのぬいぐるみに、野良犬の霊を定着させてある。


「……ああ。動くぞ」


僕が指を鳴らすと、クマのぬいぐるみがギギギと首を動かし、立ち上がった。

普通の三歳児なら泣き叫ぶ光景だ。

だが、アメリアは。


「ああ……!可愛いっ!」


彼女は歓声を上げてぬいぐるみに抱きついた。


「すごいわ!魂が定着してる!生きてる時の苦しみがそのまま動力になってるのね!なんて残酷で、なんて素敵なのかしら!」


彼女はぬいぐるみを抱きしめながら、クルクルと回った。

その無邪気な笑顔は、天使のように愛らしく——そして悪魔のように邪悪だった。


「私、ずっとこんなお人形が欲しかったの。でも、誰もわかってくれなくて……。パパもママも、私が小鳥の死体を集めてると嫌な顔をするのよ」


彼女は僕の方を振り返り、潤んだ瞳で訴えかけてきた。


「ねえ、アルヴァ様。私と結婚しましょう?」


「……動機が不純すぎないか?」


「いいえ、純愛よ。あなたのその『死の力』に、私は恋をしたの」


彼女は僕の両手を握りしめる。

その手は冷たい。まるで死人のように。


「二人で作りましょう?この国を、もっと静かで、綺麗な場所に。生きてる人間なんてみんな殺して、動くお人形さんにしちゃえばいいわ。そうすれば、裏切りも嘘もない、素敵な楽園になるもの」


彼女の言葉に、僕は息を呑んだ。

前世の記憶がフラッシュバックする。

『生者は嘘をつく。死者は嘘をつかない』

処刑台で僕が悟った真理。

それを、この少女は——生まれながらにして理解し、渇望していたのだ。


前世で彼女が僕を裏切った理由。

それは、僕が「光魔法」を使う「正義の味方」だったからかもしれない。

彼女にとって、生者の欺瞞に満ちた正義など、反吐が出るほど嫌いなものだったのだ。

だから、より権力欲にまみれた王子の方が、まだ「わかりやすい悪」としてマシだったのかもしれない。


だが今は違う。

僕はネクロマンサーだ。

死を操り、生を冒涜する外道だ。

そして彼女は、そんな僕を「美しい」と言った。


(……ハハッ)


僕は思わず笑ってしまった。

なんてことだ。

復讐相手だと思っていた女が、まさか僕以上の「逸材」だったとは。

死体愛好家(ネクロフィリア)にして、虚無主義者。

そして、僕の力を誰よりも理解し、肯定してくれる共犯者。


「いいだろう、アメリア」


僕は彼女の手を握り返した。


「君の望み通りにしてやる。この国を、僕たちの『おもちゃ箱』に変えてやろう」


「本当!?嬉しい!大好きよ、アルヴァ様!」


アメリアは僕に抱きつき、その小さな唇を僕の唇に押し付けた。

ファーストキスは、鉄と防腐剤の味がした。


こうして、僕は最強の武器を手に入れた。

S級ネクロマンサーの僕と、死に魅入られたヤンデレ令嬢。

この二人が手を組めば、もはや帝国に敵などいない。

僕たちの、血塗られた初恋と国盗り物語が、ここから本格的に始まるのだ。

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