第一章:赤ん坊の秘密と、黒すぎる英才教育(1)
セルヴァン公爵家での二度目の人生は、驚きの連続から始まった。
僕の前世の記憶では、この家は「清廉潔白」「忠義の士」として知られていた。
父上は厳格だが公正な政治家。母上は慈善活動に熱心な貴婦人。
それが、僕が二十八年間信じていた「セルヴァン公爵家」の姿だった。
だが、それはとんでもない勘違いだった。
いや、あるいは僕があまりにも「良い子」だったから、両親が気を使って「良い親」を演じてくれていたのかもしれない。
だが今は違う。
彼らは、生まれたばかりの赤ん坊である僕に対して、その本性を隠そうともしないのだ。
生後三ヶ月。
普通の赤ん坊なら、まだ首が座るか座らないかという時期だ。
僕は豪華なベビーベッドの中で、天井を見上げていた。
天井には、可愛らしい小鳥や星の飾りが吊るされたメリーゴーランドが回っている。
……普通なら、そうだ。
だが、僕の視界にあるのは違う。
「どうだ、アルヴァ。気に入ったか?」
父上が、嬉しそうにベビーベッドを覗き込んでくる。
彼の指差す先、僕の頭上で回っているのは——干からびたトカゲ、コウモリの標本、そして謎の小動物の頭蓋骨だった。
それらが黒い魔力糸で吊るされ、ゆらゆらと不気味に回転している。
呪いの儀式か何かだろうか。
いや、父上の笑顔を見る限り、これは本気で「知育玩具」として与えているらしい。
「これは『呪物メリー』だ。回転するたびに微弱な瘴気を撒き散らす。これを浴び続ければ、並の赤ん坊なら三日で発狂するか死ぬが……魔力抵抗力の訓練には最適だぞ」
(……なるほど、英才教育にも程がある)
僕は内心で苦笑しながら、その回る頭蓋骨を見つめる。
普通の赤ん坊なら泣き叫ぶところだろう。だが、今の僕にとっては心地よい揺り籠だ。
S級ネクロマンサーとして覚醒した僕の体は、清浄な空気よりも、こういった淀んだ空気の方が馴染むらしい。
僕は小さな手を伸ばし、頭上を通過するコウモリの干物を掴もうとした。
「おお!セレナ、見たか!アルヴァが呪物に興味を示しているぞ!」
「まぁ、素敵!将来は立派な闇の魔道士ね」
母上が飛んできて、僕の頭を撫でる。その手はとても温かいが、彼女が着ているドレスからは、かすかに血と薬品の匂いが漂っていた。
どうやら母上は、今日も地下室で「趣味」の実験をしていたらしい。
「よしよし。アルヴァ、今日はママと一緒にお勉強しましょうね」
母上は僕を抱き上げると、鼻歌交じりに部屋を出て行った。
向かう先は、日の当たるサンルーム——ではなく、屋敷の奥深くにある隠し階段だった。
***
地下三階。
そこは、前世の僕が一度も足を踏み入れたことのない場所だった。
冷やりとした空気。石造りの壁には、妖しく光る魔石が埋め込まれている。
部屋の中央には巨大な魔法陣が描かれ、周囲の棚にはホルマリン漬けの瓶や、古びた魔導書がびっしりと並んでいた。
「ここはママの秘密基地よ。パパには内緒の『死の使者たち』のアジトなんだけど……アルヴァには特別に見せてあげる」
母上はウィンクをして、僕を実験台のようなテーブルの上に座らせた。
秘密結社のアジト。
前世で僕が処刑される理由の一つとされた「黒魔術の研究」は、濡れ衣だと思っていたが、実は母上がガチでやっていたということか。
笑いが込み上げてくるのを必死に堪える。
母上は、棚から一冊の分厚い本を取り出した。表紙には、苦痛に歪む顔のような装飾が施されている。
「さあ、絵本の読み聞かせの時間よ。今日は『禁忌の召喚術・入門編』を読みましょうね」
普通は『森のくまさん』とかじゃないのか。
だが、僕は目を輝かせてその本を見つめた。
正直、興味津々だ。前世では光魔法の才能ばかりが注目され、こうした闇系統の魔術書には触れることすら禁じられていたからだ。
母上がページをめくる。
そこには、グロテスクだが精緻な悪魔の絵と、複雑な召喚陣が描かれていた。
「いい?アルヴァ。生き物を殺すときはね、苦しめれば苦しめるほど、死後の怨念が強くなって、強い使い魔になるのよ。でも、あまり傷つけすぎると素材としての価値が下がるわ。そのバランスが大事なの。わかる?」
「あうー(なるほど、鮮度と恨みの質のバランスか)」
僕は感心して声を上げた。
前世の僕なら「なんて残酷な!」と叫んでいただろう。
だが、今の僕には、それが真理だとわかる。
ネクロマンシーの本質は、残留思念のコントロールだ。母上の言っていることは、極めて合理的で実践的な講義だった。
「あら、わかるの?本当に賢い子ねぇ」
母上は嬉しそうに目を細め、指先で魔法陣をなぞる。
「じゃあ、ちょっと実践してみましょうか。……いでよ、彷徨える下級霊」
母上の魔力が揺らぐ。
次の瞬間、魔法陣からどす黒い靄が噴き出し、人の顔のような形を形成した。
下級の悪霊だ。憎悪に満ちた呻き声を上げている。
「ギギ……コロ……ス……」
悪霊が、無防備な赤ん坊である僕に向かって突進してくる。
母上は止めない。
むしろ、期待に満ちた目で見守っている。
『さあ、どうするの?』と。
試されているのだ。
僕は小さく息を吸い込んだ。
赤ん坊の肺活量では、大した詠唱はできない。そもそも言葉が喋れない。
だが、今の僕には「格」がある。
魂のレベルにおいて、僕はこいつら雑魚霊とは次元が違う。
(——ひれ伏せ)
声には出さず、意思だけで命令(コマンド)を送る。
同時に、僕の瞳孔が開き、S級ネクロマンサー特有の「死の威圧」が放射された。
「ギッ!?」
突進してきた悪霊が、僕の鼻先で急停止した。
その歪んだ顔が、恐怖に引きつる。
僕という存在が、自分よりも遥かに上位の「死の捕食者」であると本能で理解したのだ。
「あう(お手)」
僕が小さな手を差し出すと、悪霊は震えながら、その靄のような頭を僕の手のひらに擦り付けた。
まるで忠実な子犬のように。
「きゃあああ!すごいわアルヴァ!」
母上が絶叫し、僕を抱きしめて頬ずりをした。
「詠唱なしで使役(ドミネイト)したの!?しかも生後三ヶ月で!やっぱりあなたは天才よ!帝国の歴史を塗り替える逸材だわ!」
母上の興奮っぷりに、僕は少し窒息しかけたが、悪い気はしなかった。
前世では、いくら努力しても「公爵家の跡取りなら当然」とされ、心から褒められることは少なかった。
だが、この狂った母親は、僕の「闇の才能」を無条件で肯定してくれる。
なんて素晴らしい環境だろう。
僕は母上の腕の中で、悪霊を指先で弄びながらニタリと笑った。
***
そして、運命の日がやってきた。
僕が生後六ヶ月を迎えた頃。
セルヴァン公爵邸に、ある賓客が訪れたのだ。
「ようこそ、ヴァシリーン伯爵。それに……ご子息のカイル君も」
父上の出迎える声が聞こえる。
僕は母上に抱かれながら、客間のソファに座っていた。
ヴァシリーン伯爵家。帝国の有力貴族であり、セルヴァン家とは代々親交がある家柄だ。
そして——その次男であるカイル・ヴァシリーン。
彼は前世で、僕の数少ない「本当の友人」だった男だ。
僕が処刑される時、唯一反対の声を上げ、そのせいで左遷されたと風の噂で聞いた。
彼だけは救いたい。
そう思っていたのだが。
「はじめまして、セルヴァン公爵閣下。……カイル、挨拶しなさい」
「……あう」
伯爵の足元に、おくるみに包まれた赤ん坊がいる。
僕と同い年のカイルだ。
彼は不安そうに目をキョロキョロとさせている。その瞳は澄んでいて、いかにも「普通の善良な赤ん坊」という感じだ。
ああ、懐かしい。
カイルは昔から小心者で、優しくて、そして常識人だった。
この狂った世界で、彼だけが唯一の良心になるかもしれない。
僕は嬉しくなって、母上の膝の上で身を乗り出した。
「ばぶー(よお、カイル。久しぶり)」
僕が声をかけると、カイルはビクッと体を震わせ、僕の方を見た。
そして、次の瞬間。
カイルの顔が引きつり、火がついたように泣き出したのだ。
「ふぎゃああああああ!」
凄まじい絶叫だった。
大人の伯爵たちが慌てふためくほどの音量だ。
「ど、どうしたんだカイル!?お腹が痛いのか!?」
「まあ、可哀想に。もしかして人見知りかしら?」
大人たちは困惑している。
だが、僕にはわかった。
カイルは、僕を「見た」のではない。
僕の背後に渦巻く、どす黒い死のオーラを感じ取ってしまったのだ。
動物的な本能、あるいは彼特有の「危機察知能力」が警鐘を鳴らしたのだろう。『この赤ん坊には近づくな、食い殺されるぞ』と。
(……ごめんよ、カイル)
僕は心の中で謝罪した。
どうやら今の僕は、普通の人間から見れば「歩く厄災」そのものらしい。
だが、安心してくれ。
僕は君を殺したりはしない。
むしろ、この地獄のような帝国の未来で、君だけは絶対に守り抜いてみせる。
たとえ君が、僕のことを「悪魔」だと恐れ戦いたとしても。
「あらあら、アルヴァ。お友達が泣いちゃったわねぇ」
母上が僕の頭を撫でる。
そして、伯爵たちに聞こえないような小声で、耳元に囁いた。
「でも大丈夫よ。泣き止まないなら、死霊術で口を塞いじゃえば静かになるものね?」
(……母上、それは教育上よくない冗談ですよ)
僕は冷や汗をかきながら、泣き叫ぶ親友を見つめた。
前途多難だ。
最強の家族と、最強の才能を手に入れた代償として、僕は「普通の友情」を築くハードルがエベレスト級に高くなってしまったらしい。
だが、もっと大きな問題は別にあった。
この数年後。
僕の人生を決定づける「運命の女」との出会いが待っている。
アメリア・ファルシア。
前世で僕を裏切り、王子の腕の中で震えていたあの女だ。
彼女との再会が、まさかあんな形で——僕の「共犯者」としての覚醒を促すことになるとは、この時の僕はまだ知る由もなかった。
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