亡霊の哄笑

 アクアは両親がとても立派で十歳くらい歳が離れた弟が神童なことを除くと、どこにでもいる小娘だった。

 アクアの両親はとても立派な人でとても優秀である、両親のいいとこ取りしかしなかった五歳になる弟も、神童と呼ぶに相応しいとても賢く優秀な男の子だった。

 対してアクアは、そんな立派な家族と本当に家族なのかと疑わしいくらいの出来損ないだった。

 アクアは自分のことを説明する時に、あの極東の大人気絵巻の主人公であるチヂムくんを例えに出す。

 チヂムくんは生まれる前に父親に似ればスポーツ万能、母親に似れば頭脳明晰な子になると思われてもいた。

 しかしチヂムくんは父親に似て頭が悪く、母親に似て運動音痴な子として生まれた。

 まさに、アクアはそれと同じだった。

 母親の絶望的な運動音痴と、父親のどうしようもない脳筋的な思考を受け継いだ。

 ついでに誰に似たのか恐ろしいくらい音痴で、絵もとてつもなく下手くそである。

 アクアの『絵描き歌』は下手な拷問よりも効果があるだろうと言ったのは誰だったか、それを聞いた時アクアは流石に酷くないかと思ったが、後になって思い返してみるとそこまで言われても仕方がないかもしれないと項垂れた。

 アクアの両親は共に魔力がとても高い人だったので魔力だけは人並み以上にあるが、その力を使いこなすだけの才能がアクアにはなかった、というか父親以上に魔力の扱い方が絶望的に下手くそだった。

 いっそ魔力がない方がまだマシだったんじゃないかと言ったのは父親の優秀な部下のうちの一人だった、何かの拍子でアクアが魔力を暴走させることがあったら町一つくらい吹っ飛ぶかもしれないと冗談抜きで言われたりもした。

 頭も悪い、運動もできない、魔法も上手に使えない、まさにダメ人間である。

 きっとあの素晴らしい両親からこんなに酷い出来損ないの子として生まれたのだから、アクアはきっと盛大にグレても許される。

 けれど、アクアの周囲にいる大人達はべらぼうにいい人ばかりだった。

 そりゃあアクアの無能っぷりを蔑む人々は数多く存在したが、それが気にならないほどアクアは周囲から愛され、そして守られてきた。

 周囲のアクアへの対応はおそらく自分と違って盛大にグレてしまった伯母の存在もあるのだろうと勝手に思っているが、それがなくたってきっと彼らは自分のことを無碍にはしなかっただろうとアクアは信頼している。

 そういうわけでアクア自身は無能の出来損ないだったが、周囲がとてもいい人達ばかりだったのでグレずにすんだ。

 そう、本当にいい人ばかりだったのだ。

 アクアは超人の家族を持つがアクアは全然超人なんかじゃない、なので超人な家族と接していると、いくら家族が大好きだとは言っても徐々にストレスが溜まっていく。

 特になぜなに期真っ盛りの五歳児の弟からの素朴な質問攻めがアクアの精神を追い詰める。

 アクアの弟は五歳児だが神童である、現在十四歳のアクアが答えられないような小難しい魔術理論やら政治に関する質問を、姉であるアクアに投げかけてくる。

 アクアと弟の歳の差がもう少し小さければアクアはとっくに匙を投げていた、しかしアクアは十四歳で弟は五歳なのである、十歳くらい歳が離れているのである。

 五歳の小さい弟の素朴な質問に答えられないねーねって、すごくカッコ悪い。

 可愛い可愛い弟の質問に答えられない情けないお姉ちゃんのままの自分は嫌だ。

 だからアクアは弟の素朴な質問に答えられるように必死に勉強した、父の部下の人に泣きついて色々と教えてもらう日も多い。

 ちなみに政治の方はまだ父の部下に話を聞けばどうにかなるが、魔術の方は父の部下で一番魔術に詳しい人に聞いても難しい顔で唸られることが多くなってきた、どうしてアクアの弟ってあんなに難しいことを聞いてくるのだろうか、超賢いからだろうか。

 弟の質問に答えるためだけの猛勉強のせいでアクアの学力は飛躍的に上がった、五歳児の弟のおかげで自分の学力が上がっている現状をアクアはちょっと情けないと思っている。

 そういうわけでここ数ヶ月、アクアのストレスは溜まりやすい状態になっている。

 弟のことも両親のことも大好きなので決してみんなの事を嫌いになるわけがないが、それでもたまにはそのストレスを発散させないと心がおかしくなる。

 日々のストレスは大好きな歌姫の魔導式音声記録を聴くことで若干消えるが、それでは足らない。

 だから今日も「そろそろ限界かなー」と思ったアクアは帰宅しようとするその青年の横に一足で並び立った。

「突撃!! 父親の部下んちの晩御飯!!」

 アクアが時折行なっているストレス発散方法は、言った通り父親の部下の家で晩御飯をご馳走になることである。

 この時だけアクアは本当の意味でどこにでもいる普通の小娘になれる、難しいことも基本考えずに済むのだ。

 よく行くのはこの青年ともう一人、父親の部下で一番魔術に詳しい青年のうちである。

 どちらも結婚していて嫁一筋だし父に忠実なのでアクアが彼らの家に突撃しても両親はにっこり安心している。

 ちなみに青年の奥さんは世界一の歌姫で、魔術に詳しい方の奥さんはとても絵が上手い人だ。

 青年は横に並んだアクアの顔を見て、表情を変えずに感情が読み取れぬ声でボソリと呟いた。

「…………またですか」

「またなのです」

「おれの家でいいのですか?」

「今日はもう難しいこと考えたくないのでレイくんちがいいです。……ナハくんちに行くと、そのつもりじゃなくても最終的に小難しい魔術理論の話になるから……」

 アクアは目を遠くしてそう言った、そんなアクアを青年は可哀想なものを見る目で見た。

「あなたも大変だな。そういえばナハトが最近出したっていう新しい魔術理論はあなたの質問がきっかけだという噂だが……」

「あれはアクアの可愛い可愛い弟の質問が最初のきっかけなので、アクアちゃんの功績は一個もないです。うちの弟、超すごい」

「……そうか」

 疲れ切った笑顔のアクアに青年は小さくそう呟いただけだった。

「ちなみに本日の晩御飯のご予定は?」

「……聞いてないな」

「そうですか、でもおばあちゃんのご飯はどれも美味しいから楽しみです」

 アクアは小さく笑いながらそう言った、ちなみにおばあちゃんというのは青年の家のお手伝いさんのことである。

 青年も青年の奥さんも仕事で忙しいし、二人とも料理というものが壊滅的に出来ないのだ。なので家事、特に料理はそのお手伝いさんに任せっきりになっているそうだ。

 アクアは時々そのお手伝いさんに料理を教えてもらっている、最近はレシピさえあれば大体どうにかなる程度までお料理スキルが上がったアクアだったが、まだ弟や両親に振る舞えるようなものは作れない。

 アクアの今の目標はいつか弟に美味しいお菓子を作って「おいしい」と言ってもらうことであるが、生まれた時からいいものしか口にしていない弟の口に合うようなものをアクアが作り上げる日はきっと遥か遠いのだろう。

 それでもアクアはいつの日か可愛い弟のそんな素敵な笑顔を見るために日々努力を続けるのである、なんの才能もないアクアにできることなど努力以外に何もないのだ。

 そんなふうに雑談しながらアクアは青年についていく、そんな道中で青年がふと懐に手を入れた。

「失礼。家のものからだ」

 取り出したのは白色の魔法道具だ、白いそれは確か彼が家のものと連絡するために使用している魔法道具だったはずだ。

 青年は魔法道具を耳に当てる、アクアはなんとなく空を見上げて、今日はあんまり星が見えないな、と思った。

「……すまない。家のものから妻がまだ家に帰っていないと連絡があった」

「へ? クラリスさんが?」

 暗い色の空から目線を青年に移してアクアはそう問うた。

 青年は小さく頷く。

「じゃあまだ劇場にいるってこと? ……それとも」

 よくない想像がアクアの頭によぎる、なんせ青年の奥さんは大スターなのだ。

「わからない……わからないが……一旦劇場に行ってみようと思う。あなたは……」

「付いてく! 弱いけど足は引っ張らないようにする!!」

 アクアの答えに青年は少しだけ考え込み、仕方なさそうな顔をしてそれ以上何も言わなかった。

「……クラリスさん、大丈夫かな」

「無事だといいのだが……妹のこともあるし、これ以上の厄介事はやめてほしい」

「まだ見つからないって聞きました……ナハくんとこの部下くん、いったいあのお方をどこにすっ飛ばしてしまったんでしょうか……」

 とても色々あって行方不明になってしまった青年の妹はいまだに見つからない、生きているのかすら怪しいと聞かされたアクアはその場でぶっ倒れたし、意識が戻った後に号泣した。

 そんな事とその事件が起こった際に青年達がとらえた人物の証言をアクアは思い出し、そしてとても暗い気持ちになった。

 そうこうしているうちにアクア達は青年の奥さんの職場である劇場の前に辿り着く。

 アクアは劇場から人の気配を感じ取ることができなかったが、青年は何かを感じ取ったのだろう、少し厳しい表情で劇場に足を踏み入れる。

 購買の横を通り抜けたアクアの目に、舞台に続く扉がうつった。

 重い扉を青年が躊躇いなく開く、重苦しい音が響き、扉は完全に開かれた。

 薄暗い舞台の上に、誰かが立っていた。

 立っているのは二人、どちらも女。

 それを見たアクアは小さく悲鳴を上げた。

 立っているのは真っ黒な格好の女と、真っ白な格好の女。

 白い女は青年の奥さんであるクラリスだ、アイリスという芸名の歌姫で、この国で、いや世界でいちばんの歌姫だ。

 黒い女が誰であるのかアクアは最初わからなかった。

 誰だかわからない黒い女は、身の丈に合わない大きな剣を歌姫アイリスの喉に突きつけていた。

 いつも良くしてくれる知り合いの喉に剣が突きつけられている、命の危機である。

 殺されてしまうかもしれない。

 アクアは一瞬でパニックに陥った、馬鹿みたいに大きな声で悲鳴を上げて、けれどもそれ以上にどうすることできずに立ち尽くした。

 一方青年は自分の妻の身に迫る危機に、腰の剣を抜き――

「動くな!!」

 恐ろしい老女のような声が響いた。

 アクアは「ひい!!」と悲鳴を上げて、その顔に似合わない嗄れた声をあげた女の顔を見る。

 どこかで見たことがある気がした。

 数秒彼女の顔を見つめたアクアは、ようやく彼女の正体に気付いた。

 あの頃と違ってほとんど化粧をしていなかったからすぐに気付かなかったが、あの顔、そして今の老女のような声は。

「……エリカ」

 アクアのすぐ横で青年が小さく呟いた名は、アクアが愛してやまないとある歌姫の本名だ。

 そして、先週起こったとある事件の最中にアクアの父親の部下の失態で行方不明になってしまった、青年の妹の名でもある。

 アクアは自分の顔がすごく変なふうになっているのがわかった、彼女が見つかったのはとてつもなく嬉しいが状況が状況である。 

 一方アクアを除いたその場の全員は難しく厳しい表情をしていた。

「やっと来たわねお兄様」

 嗄れた老女のような、しかし不思議と聞き取りやすい声で言いながら黒い歌姫はわざとらしい作り笑いを見せた。

「何をしている、お前。何故クラリスを」

「お兄様のお嫁さん、人質に使わせてもらうことにしたの……ああそうそう、とても今更だけど結婚おめでとう」

 黒い歌姫は人の悪い笑顔を浮かべている、そこでようやく白い歌姫が声を上げた。

「ちょっと、今更だけど知ってたの!!? 知ってたならなんで」

「だまらっしゃい。今あなたと話す余裕も暇もないから、人質らしくおとなしくプルプル震えて怯えてなさい」

 ピシャリと冷たい声で黒い歌姫は言い放つ、白い歌姫はキッと黒い歌姫を睨み上げて何か言おうとしたが、その直前で黒い歌姫が無言で睨み返す。

 それに気圧されたのか白い歌姫は黙り込んでしまった。

「そういうわけで、この世界一の歌姫を無事に返して欲しければあの人を解放しなさい。あの殺人事件の犯人は私で、罪に問われるべきなのは私よ。……あの人が何をどう証言したのかは知らないけど……捕まってるみたいだから、どうせ私の罪を被るようなことを言ったんでしょう?」

 黒い歌姫の言葉に、アクアは数日前に訪れたとある牢の中の人のことを思い出す。

 確かにあの人が未だ牢の中にいるのはあの殺人事件が原因だ、しかしそれだけではないのだ。

 牢の中のあの人は狂ってしまった、放置すれば周囲にいる人々がただで済まないほどに。

 だから結果的に閉じ込めることになってしまっているだけだ。

 だからアクアは状況を説明しようとした、しかしその前に青年が口を開く。

「本当に、お前が殺したのか?」

 アクアが聞いた話によると、あの事件の現場に青年が足を踏み入れた際に目撃したのは首を切断された遺体と、その遺体の前で呆然と立ち尽くすあの人と、そして血に濡れた剣を持った彼女の姿だったという。

 それだけを見れば確かに彼女があの殺人事件の犯人であると考えてもそこまで違和感はない。

 しかし、彼女にそんな殺人事件を起こせるわけがない。

 何故なら彼女はただの歌姫で、大した力なんてなくて、だから。

 しかし、黒い歌姫は凄絶な笑みを浮かべて自らの兄に答える。

「そうよ、私が殺したの。この剣があの人を殺した凶器。お兄様だって見たでしょう? 私があの事件現場で血濡れたこの剣を手に持っていたのを。……どうしてそれであの人を犯人だなんて誤解したのかしら? あなた達ってとんでもない無能なのね?」

 黒い歌姫はそう言ってから大きな笑い声を上げた、アクアはその笑い声を聞いてまるで物語に出てくる悪女のようだと思った。

 アクアはその雰囲気に圧されて彼女の言葉に流されかけたが、横に立つ青年は異なった。

「ふざけるな。お前に殺せるものか」

 静かな、それでいて親しいものが聞けば彼が怒っていることに気が付くような声色だった。

 黒い歌姫と青年、よく見ると顔立ちがそっくりな双子の兄妹は互いに睨み合う、怖いなーとアクアは月並みの感想を抱きつつ、自分は何をどうすればいいのだろうかと思い悩んだ。

「……私が殺したの、私が殺したって言ってんだから殺したに決まってんでしょう!!? なんで信じないのよたった一人の妹の言葉を!!」

 ヒステリックな叫び声、老女の嗄れた声が劇場中に響き渡る、声を呪われてもその声量と迫力は何一つ変わっていない。

 変わったのはその声色だけなのだ、それ以外は何も。

 そこでアクアは小さな違和感を感じた、自分はそういったことには疎いが最近猛勉強しつつやっても意味がなさそうな特訓もやっている、その特訓の成果なのかそれともただの勘違いか。

 その違和感を口にするかどうかアクアが迷い始めたその時、青年の懐からけたたましい警戒音が響いた。

「ちょっと、なによその音! ……何? 凶悪殺人犯を見つけたとかそういう合図のつもり?」

「違う。職場からの緊急通信だ。何か異常事態が発生したらしい。……らしいが今は」

 妹が暴走して妻の命が危険にさらされている。仕事か家族かどちらを優先すべきか、難しそうな顔の青年に黒い歌姫は溜息を吐く。

「……いいわよ、少しだけなら待ってあげる。緊急なのでしょう? 早く出たら? ……別に多少時間がかかったとしても、それだけでこの子に怪我させたりとかしないから」

 黒い歌姫はぶっきらぼうにそう言った、青年はその顔を少しだけ見つめた後、彼女から目を逸らさずに懐から青色の魔法道具を取り出し、耳にあてる。

 隣に立っているアクアの耳には通信相手がなんと言っているのかは聞こえなかった。

 ただ、通信端末を耳にあてる青年の顔色がサッと変わって、返答するその声がわかりやすくこわばったのはわかった。

 彼の職場で何かあったということは、アクアの実家で何かあったとほぼ同義である、まさか家族に何か良くないことでも起こったのだろうか、とアクアは不安になる。

 両親は両方ともとても元気だが立場的に命を狙われることもある、アクアの弟もそれは同じである。

 何かあったらどうしよう、これ以上大変なことは起こってほしくない、けど嫌なことって立て続けに起こるものなんだよなと思ってアクアはちょっと泣きそうになった。

 アクアが涙目になりかけたところで青年が通信端末を下す。

 そして、深々と溜息を付いた後、天を仰いだ。

「何よ、何があったわけ? お兄様の職場が爆発したとか?」

「滅多なことを言うな。爆発はしていない、怪我人もギリギリ出なかったそうだ。……ただ、一部施設が倒壊しかけただけだ」

「それって結構な大事件じゃない? それで、何があったわけ? お兄様ひょっとしてこの後忙しくなる?」

「……緊急事態だし忙しくなりそうだ。そしてこの問題はお前にも関係がある」

「は?」

 訝しげな黒い歌姫に、青年は職場で何が起こったのか簡潔に伝えた。

 曰く、あの殺人事件の重要参考人である例のあの人が、突然魔力を暴走させて牢を大破壊、制止しようとする兵士その他を振り切って逃亡した、とのことだった。

 大事件じゃん、とアクアは思わず頭を抱えてしまった。

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