魔女騙り

 第一王女マリアはその日、付き添いの騎士を引き連れその牢獄の前にやってきた。

 そこには先週この王国に残されたとある廃城で起こった殺人事件、それに関わった狂気の『魔女』が閉じ込められている。

 魔女モルガナイトはマリアにとってたった一人の伯母である、自身に境遇が少し似ているその伯母にマリアは複雑な感情を抱いていた。

 伯母が自分の最愛の弟を殺そうとしたその日まで、マリアは自分の伯母のことを勝手に同志だと思って懐いていたのだ。

 伯母は迷惑そうにしてはいたものの、それでもマリアを無碍に扱うことはなかった。

 だから、そんな伯母が自分の弟を殺そうとした事を知った時にマリアはぶっ倒れた、そしてその後ショックで一日ほど寝込んでしまったのだ。

 暗殺に失敗した伯母の行方は最近までわからなかった。そう、先日起こったあの殺人事件までは。

 牢の前に立ったマリアは、その中の人物を見る。

 中の人物は真っ赤な目がマリアを睨む。

 それはこの国の王族、それも王の第一子として生まれながらもマリアが受け継がなかった色だ。

 その色は弟や父と同じか、それよりもなお赤い。

 マリアがこの色を受け継がなかったことが、似ているようで全く違う自分と伯母の決定的に異なる部分なのだろう。

 自分もこの色を持って生まれたのなら、伯母と同じく王位に執着したのだろうか。あの小さく賢く愛らしい弟を、素直に愛することができなかったのだろうか。

 なら、自分はやはりこんな色はいらないとマリアは思った。

 王の色を受け継がず、大した才能もなかった、それどころか無能でしかなかったマリアは自分がこの国の王様になんてなれると思っていなかったし、なりたいとも思わなかった。

 だから、王の色を受け継いだ弟が生まれた時に心の底から安堵したのだ。

 しかし、伯母は違った。

 先代王の第一子として生まれ、王の色を受け継ぎ、そして才能もあった彼女は、自らが王になることを望んだ。

 そのために軒並みならぬ、血の滲むような努力もしていたとマリアは聞いたことがある。

 それでも、王は男児がなるべきである、ということで彼女が王位を継ぐ事はできなかった。

 王になったのは彼女の弟であるマリアの父親だ。

 それでも伯母は王位を諦めなかった。

 マリアが生まれた後も、そしてマリアの弟である正当な王位継承者が生まれた後も。

 弟が生まれた後、再会した伯母にマリアはこう問われた。

 王になれなくてもいいのか、悔しくはないのか、と。

 マリアはその時伯母が何を思うかなんて考えずに、無遠慮に「いいえ、全く」と笑顔で答えた。

 むしろそれでよかったと、やっと重荷を下ろせたと、結構はしゃぎながらそう笑った。

 伯母は絶句していた。

 今なら彼女の心情を察する事ができるが、弟が生まれたばっかりで浮かれまくっていた当時のマリアにそんな余裕はなかった。

 悪いことをしてしまったな、とマリアは今更のように思う。

 けれどそれがマリアの偽りない本心であったし、それを偽ってまで王位というものに執着する仕草をしても仕方のないことだろう、とも思う。

 牢の中のその人は恐ろしい目つきでマリアの顔を睨んでいる。

 忌々しいという言葉の横に添える挿絵にその人の顔の絵を使えば、誰であってもその言葉の意味をすぐに理解できるようになるだろうなと、なぜなに期真っ盛りの五歳児の弟を持つマリアはそう思った。

 普通だったらきっと臆するだろう、きっと泣いても仕方がないと思ってもらえる。

 しかしマリアは両親によく似てとても図太いので臆することなくその赤い目を真正面から見つめ直し、口を開いた。

「お話を、聞かせてください」

 少しの間、答えはなかった。

 赤い目はただマリアを睨みつけるばかり、その口は固く閉ざされている。

「お話を聞かせてください、『魔女』様。あなたと、あなたの大切なご子息のことを」

 今日マリアがここにやってきたのは、あの殺人事件の話だけでなく、それ以外の話も聞くべきだと思ったからだった。

 というかあの殺人事件に関する『魔女』の主張は、狂乱の中叫ぶ彼女の言葉からおおよその事がわかっている。

 なのでマリアが今日ここにきたのはそれ以外の、自分が知らない伯母と『兄』の話を聞くためだった。

 両親の許可は取ってある。かなりしぶられたが、自分なら何かを聞き出せるかもしれないと、そうゴリ押しして。

 自分の父、つまりは魔女の弟もこの牢の前を訪れたが、『魔女』は彼には何も語らずただ黙り込んだ。

 恨んでいるからか、憎んでいるからか。

 王妃も訪れ『魔女』から話を聞こうとしたが、それも失敗した。

 けれどもマリアなら、伯母と似た境遇の自分になら何かを語ってくれるのではないか、と。

 何故、マリアがこうまでして『魔女』から話を聞き出そうとしているのか、その理由は単純だった。

 マリアはどうしてもあの殺人事件を解決させたかったのだ。

 あの殺人事件はマリアの家族だけでなく、マリアにとってとても大切な人物が関わっている、だから絶対になんとかしたいのである。

 口を噤んだままの『魔女』にマリアはそれでもしつこく声をかける。

「『魔女』様、聞こえていますか『魔女』様。お話しましょう。わたし、あなたの話が聞きたいんです。ねえ『魔女』様」

「やかましい、ピーチクパーチク喚くな小娘」

 少女のように甲高い、狂気の滲む声がマリアの言葉を遮った。

 顔に似合わぬその高い声にマリアは一瞬だけ怖気付く、やはりこの顔からこの声が出てくるのは慣れそうにないとマリアは思った。

「『魔女』様がお話をしてくださるのなら、マリアは口うるさく喚きません、ですが」

「話さなければ喚くと、そう言いたいのか、小娘」

 小娘、という呼び名にマリアの横に立つ騎士が眉根を上げる。

 何か物申したそうな騎士に一瞬だけ視線を送って、マリアは再び赤い目の『魔女』と向き合う。

「ええ、喚きますし騒ぎます、なんなら歌います。マリアちゃんオンステージです。先に言っておきますが、マリアはとってもとっても音痴ですからね、どうぞご覚悟を」

「何を訳のわからないことを言っているのかしら、この小娘は」

『魔女』はマリアの発言にたじろいだ、マリアもちょっと変なことを言いすぎたなと少しだけ反省した。

 けれどマリアが『魔女』に対して使える脅し文句なんてほとんどないので仕方ない。

 ちなみにマリアはなんの誇張も無しに本当に音痴である。夜泣きひとつしなかったとってもいい子な赤さん時代のマリアの弟ですら、マリアのとんでもない音程の子守唄を聞いた時だけは凄まじく泣き叫んだ、あの心優しい父と母ですら「二度と歌うな」と真顔で言うほどである。

 マリアはその時の両親の顔を思い出してうっかり悲しくなってしまった、どうしてここまで自分って不出来なんだろうなって思った。

 けれど、『魔女』が何も話さないつもりなら本当に歌うのも有りかもしれないとマリアは思った、付き合わされる付き添いの騎士には悪いとは思うが、どうしようもないなら仕方ない、犠牲になってもらおう。

 なんてマリアが密かに決意をかためていると、牢の中の『魔女』は深々と溜息を吐いた。

「……何が聴きたい」

「……あなたが知っていることを。あの殺人事件の犯人はわかりきっていますが、何故あのような事態になったのか……だから、聞かせてください。魔女モルガナイトとその息子のことを」

「そんなことを聴いて、何になると言うのだ? 興味本位で根掘り葉掘り聴きたいだけと言うのなら」

「興味だけで聴くわけないじゃあありませんか。全てはあの殺人事件を解決に導くため。その為にあなたのお話を聴くべきだとわたしは判断しました」

 マリアはそう断言して、『魔女』の目を見据える。

 この事件はきっと、ただ犯人を罰するだけでは解決できない。

 解決のためには情報と、そして行方不明となってしまった彼女が必要だ。

 少なくともマリアはそう判断した、馬鹿な自分の考えだからひょっとしたら的外れかもしれないが、それでもきっと何もしないよりはマシだった。

 それに、王家の人間としては王位を虎視眈々と狙い続けた挙句に第一王子の命すら狙った伯母の過去や、彼女がどのようにして国を奪おうとしていたのかは確認しておくべきだろう、とも少しは思っている。

『魔女』はマリアの顔を睨んで、諦めたような顔で小さく息を吐いた。

「強情ね。そういう女の子の顔、大嫌いよ。…………いいだろう。話してやる、お前が知りたいということをな」

 もう少し粘る必要があると思っていたマリアだったが、『魔女』はどうやら話をしてくれる気になったらしい。

 それならば『彼女』の気が変わらぬうちに、とマリアは質問を開始した。

 

 ……話が前後すると頭の悪いお前は混乱するから、とりあえず時系列順に話せと?

 時系列順と言ってもどこが始めだ? ……ふん。

 そうだ、お前が言うとおり二十二年前、我が愚弟ヘリオドールの即位と共にわたくしはこの国を去った。

 わたくしがこの国の王に相応しかったと言うのに、父上も国の無能な連中も、わたくしが女だからと言う理由で……!!

 ……わたくしでは王に相応しくないと言うのなら、弟や父すら超えた王の器を兼ね備えた子を、わたくしが生めばいいと思った。

 わたくしが王にならずとも、わたくしの血をひく子が弟や弟の子らを超えた王になるのなら、それなら許せると。

 王の血が濃ければ濃いほど、より赤い目の子が生まれるだろう。

 王族の血が濃ければ、わたくしよりも弟よりも濃い赤の目の子であるのなら、それならば誰よりも王に相応しい。

 だから国を出る前に寝入っている我が弟から子種を搾り取って、国を出た。

 安心するがいい、魔法と道具を使って搾り取っただけだ、わたくしは奴の身体に触れてもいない。

 まぐわいなどしておらん。それに魔法で深く深く眠らせた上でのことだから、お前の父親にはなんの記憶も残っていない。

 浮かない顔だな、小娘。父の不貞はなかったとわざわざ教えてやったと言うのに。

 ……国を出た後、ここから遠く、とても遠く離れた西の地に向かった。

 道中で弟の子種を使って胎に子を宿し、十月十日後に男児を生んだ。

 生まれた赤子の目は、わたくしよりも弟よりも濃い赤色をしていた。

 この赤子をこの国の王として育てようと思った。

 しかし。

 ……ああああ、ああああああああ!!!!! 忌々しい!!

 …………悪い、取り乱した。

 そこから先は思い出したくもないから簡潔に話してやろう。

 我が子を生んだ後、わたくしはかなり疲労していた、というか出血が酷くて死にかけていた。

 その隙を、突かれた。

 わたくしは罠にかけられとある男に捕えられた。

 本調子であればあのような下衆、簡単に蹴散らせた。しかし当時のわたくしにはどうすることもできず……

 生まれたばかりの我が子が取り上げられた。

 わたくしを捕らえた下衆は趣味の悪い狂人だった。

 死ぬよりも酷い目にあえばいいと、あの下衆は我が子をよりにもよって、娼館に二束三文にもならない値で売りつけたのだ。

 そこから先は思い出したくもない、語りたくもない。

 ……わたくしがあの下衆をやっとの思いで殺して我が子を迎えに行くことができたのは、それから七年後のことになる。

 顔を見れば、その目を見ればその子供がすぐに我が子であるとわかった。

 ……だが、わたくしの子は、王になるべく生まれたその子供は、とっくに壊されていた。

 手脚はつながっていたが、肉体はボロボロで。

 心はとっくに割れていて、壊れていた。

 当然、報復はしたとも。

 可愛い我が子を散々痛めつけたクズ共に相応しい地獄を見せてやった。

 取り戻した我が子は身体にも心にも深い傷を負っていたので、その後は傷を癒すことを最優先に。

 身体の傷はすぐに治ったが、心の傷はそう容易く癒えなかった。

 それでもあれはいずれ王になる子、あの程度の傷で使い物にならなくなっては、困る。

 だから、辛抱強く、根気よく。

 悪夢で飛び起き泣き叫ぶ夜には抱きしめて子守唄を歌ってやった、真昼間に突然悪しき記憶に蝕まれて気を狂わせ暴れ出した時は正気の世界に引き戻すために声をかけ続けた。

 少しずつだったのかそれとも早い方だったのかわたくしにはわからないが、三年も経てば我が子の心の傷は多少良くなった。

 少なくともその頃には悪夢に泣き叫ぶことも昼間に正気を失うことも無くなった。

 心の傷が癒え始めた頃に教育をはじめた。

 遅すぎはしたが我が子が王として相応しい者になるように。

 そして、成長すればするほど、我が子は我が弟、そしてわたくしに似ていった。

 この国の者ならその顔を一目見れば王族の子だと、それも王の子だと気付く程度に、我が子は弟に、そしてわたくしに似すぎていた。

 我が子が王になる前にその顔が晒されれば、確実に邪魔が入るだろう。

 王とその姉の不義の子であることが明かされれば、わたくしも我が子も非難されることは避けられない、そして不義の子であるが故に国の将来を憂いた我が弟か、国の上層部の輩は我が子を排除しようとするだろう。

 ……父はそんなことはしないと断言するか、小娘。

 随分と優しく育てられたらしいわね? アタシ、あんたのそういうところ、本当に大嫌い。

 ずっとずっと大嫌い、甘っちょろくて可愛いだけのお姫様、あんたなんて……

 ……お前のことなぞどうでもいいか。

 まあ、そんなわけであまりにも顔が似すぎていた我が子には兜を被らせた、何か問われたら「見るに耐えない醜い傷がある」とで言って誤魔化し、人前では絶対に外すな、と。

 我が子は忠実にその約束を守り通した。

 守り通したと思っていた。

 ……ああ、愚かなお前の要望通り時系列通りに話してやるのなら、それはもっと後の話になるのか。

 我が子に兜を被らせる少し前まで、わたくしは我が子に魔術を教えようとしていた。

 しかし、残念ながら父親に似てしまったのだろう、我が子には魔法の才能がなかった。

 本当にわたくしの息子なのか疑うくらい、才能がなかった。

 お前と同じだ、両親共に高い魔力を持っていたからその身には膨大な魔力を持つが、それをコントロールする才能がなかった。

 とはいってもその才能が皆無なお前よりも、我が子は多少マシだったがな。

 我が子がかろうじて使いこなせた魔法は簡単な肉体強化系の魔法だけだった。

 ……確かその頃だったはずだ、我が子にまともな魔法の教育を施すのを完全に諦めた時期。

 我が子は肉体強化しかできないのなら、と剣を取った。

 王として魔法ではなく肉体的な強さを手にしようと思ったらしい。

 流石我が愚弟の子と言ったところか、我が子には剣、というか戦いの才能はあるようだった。

 また、身体的に強くなることで心の傷の癒えが早くなっていった。

 今思うと、幼少期のどうしようもない過去の記憶をかなぐり捨てるためにあれは強さを求めていたのかもしれない。

 あれは、我が子が十二歳になった少し後のことだ。

 我が子は唐突に、騎士になりたいと言い出した。

 どこで何があったのか、どうしてそのような決意をかためたのかわたくしには理解できなかった。

 止めようとしたが我が子は聞く耳を持たなかった、わたくしの言うことはよく聞くいい子だったのに、その時だけはどうしても、と。

 だから、仕方なく。

 我が国で四年に一度開催される武術大会、その優勝者は余程の犯罪者でもない限り経歴も年齢も不問で王国騎士団への入団することができる。

 この国では随分と長く続いた馬鹿馬鹿しい祭り事、我が子が騎士になりたいと言い出したその年にも開催が予定されていた。

 だから、その年の武術大会で優勝できたら騎士になってもいいと言った、ただしチャンスはその一度きりだとも。

 ……結果はお前も知っての通り。

 このわたくし、そしてあの愚弟の子が弱いわけがなかった。

 我が子は破竹の勢いで他の参加者を蹴散らした、十代前半の子供があの大会に出場することは時折あったが、決勝まで進んだのは後にも先にも我が子ともう一人だけ。

 そこに控える騎士の息子だったらしいな、我が子と決勝で当たったあのレイフとかいう子供は。

 十二歳の子供が決勝まで残ったのも、決勝が十二歳の子供同士になったのも前代未聞だった。

 果たしてどちらが勝つのか、会場は大盛り上がりだった。

 あの時は誰もそれを知らなかったが、今思うとあの決勝戦はとんでもない戦いだったのだろう。

 王国建国以降、最強の騎士と謳われたそこの騎士の息子と、王とその姉の子がぶつかりあった戦いだ、それもどちらも十二歳という幼い子供。

 戦いは長時間に及んだ、どちらも一歩も譲らず、そして最終的に相打ちとなった。

 相打ちになった事で誰に騎士団への入団資格が与えられるのか、という話になったが結局相打ちした二人に与えられることになった。

 決勝が子供同士になったのも、相打ちになってその二人に入団資格が与えられたのも前代未聞だった。

 負けもしなかったが勝てもしなかった我が子は随分と気を揉んでいたようだった、そもそも『優勝したら騎士になってもいい』という約束だったしな。

 ……しかし、あの状況で騎士団に入らないというか選択をする方がどうかしているし、悪目立ちする。

 だから許してやったとも、我が子が騎士になることを。

 ……元々は我が子を由緒正しき貴族の娘のところに婿入りでもさせて、その後ある程度戦力を集めた後にこの国を取り戻そうとわたくしは考えていた。

 しかし、騎士として王に仕えさせ、後々不当な王である我が愚弟の首をアレに落とさせるのも悪くはない、と。

 異例の幼さで騎士団に入った我が子は同時期に入団したあの子供と共に、それなりの活躍をしていった。

 我が子であるのならいつかあのレイフとかいう子供を簡単に打ち負かす日が来るだろうと思っていたが、結局そんな日は一度も訪れなかったな。

 基本相打ちで、勝ったことは一度もない。

 アタシ、あんたの息子のこと大嫌い。

 誠実で、クソ真面目で、才能しかないくせに当たり前のように努力して当たり前のように一番になる、あれで少しでも嫌なやつだったらまだマシなのに、基本的に善良で非の打ち所がない。

 だから大嫌い、本当に嫌い、世界で二番目か三番目くらいに嫌い。

 ……貴殿の息子のことなど、今はどうでもいいか。

 いつでもどこでも兜を外さない我が子を訝しがったり怪しむものはいたようだが、それでも特に問題なく。

 無理矢理兜を取ろうとした愚か者もいたようだが、あの兜はわたくしの魔法が掛かった特別な品、被っている者本人以外には脱げないようになっていた。

 わたくしの魔法は完璧で絶対だ、だから問題など起こるはずがなかった。

 全て順調だった、そう思っていた、あと数年もすれば王冠はわたくし達の手に戻ってくると信じて疑わなかった。

 それなのにあの阿婆擦れが全てを台無しにした。


「あの女だ、あの阿婆擦れがわたくしの息子を誑かした!! あの見た目だけは愛らしい醜い声の小娘が、ライアーバードとかいうふざけた偽名しか名乗らない得体の知れない小娘が、わたくしの野望を、夢を全て台無しにしたのだ!!」

 甲高い少女のような声色で牢の中の『魔女』が叫んだ。

 マリアはその甲高い、憎悪に染まった声に思わず半歩後ろに下がってしまった。

 そしてマリアはチラリと自分の横に控える騎士の顔を盗み見る、『魔女』が阿婆擦れと叫んでいるのは彼の娘なのだ。

 色々あって親として接した機会は数回ほどしかないらしいが、それでも彼はその娘のことを、そして娘の双子の兄のことも大切に思っていた。

 それを知っていたから思わずマリアは彼の顔を盗み見た。

 騎士は『魔女』の暴言に顔を顰めている、よく見ると握りしめた拳が震えている。

 それでも彼は何も言わず、ただマリアのそばに控えていた。

 叫ぶ『魔女』にマリアは視線を戻す、見たこともないくらい酷い顔のその人の顔を見て、マリアはひとつだけ確信した。

『魔女』は知らないのだ、気付いてすらいないのだ。

 彼女が阿婆擦れと呼ぶ人の正体に。

 ライアーバードの正体はモリオンという歌姫だ。

 その歌姫はマリアが愛してやまない歌姫である。

 彼女が声に呪いをかけられ失踪したという話を聞いた時、マリアは自室に引きこもり三日三晩泣きじゃくった。

 マリアだけでなくマリアの両親も歌姫モリオンの大ファンである、両親も歌姫の身に起きた悲劇に心を痛め、しばらく落ち込んでいた。

 そして、それはマリアの伯母である魔女モルガナイトもだった。

 魔女モルガナイトは、マリアの伯母は歌姫モリオンのファンだった。

 マリアは自分の伯母が劇場でモリオンのグッズを買い漁っていたのを見たことがある、口ではあんな歌姫どうでもいいと言っていたが、それがただの照れ隠しなのは誰が見ても明らかだった。

 だからマリアは伯母に懐いていたし勝手に同じ歌姫を愛する同志だと思っていた、彼女が自分の弟に手をかけようとしたその日までは。

 けれど『魔女』は気付いていないらしい、というかそもそも、きっと知らないのだ。

 ライアーバードと名乗っていた少女の正体が、魔女モルガナイトが愛した歌姫であったことに。

 だからこんな簡単に阿婆擦れなんて言葉が出てくる。

 マリアは正直なことを言うと、この先の話をあんまり聞きたくなかった。

 たとえその正体を知らなかったとは言え、自分と自分の伯母が愛する歌姫への罵倒の言葉を『魔女』の口から聞きたくなかった。

 それでも聞かなければならないとマリアは思った。

 牢に入れられた『魔女』がここまで素直に、そして理性ある言葉で自身のことを語ったことは一度もない。

 この先同じような状態になる可能性はどちらかというと低い、そしてきっと他でもないマリアの問いかけであるからこそ、『魔女』は自分に語って聞かせているのだ。

 だからマリアは一度だけ目をかたく瞑った後、再び牢の中の『魔女』の目を見る。

 きっと、この国で最も赤い色をしている狂気に染まったその目を。


 あの女さえ、あのライアーバードとかいう阿婆擦れさえ現れなければ、全てがうまくいったはずなのだ。

 いつどこであんな女に我が子が誑かされたのか、わたくしは知らない。

 きっとわたくしがこの国を空けている間だったのだろう、わたくしがお前の弟を殺そうとして、失敗した後。

 ……何故わたくしがそのようなことをお前の弟を殺そうとしたのか、だと?

 ………………邪魔だったからに決まっている、王家の色を継がずなんの才能もなかったお前だけなら問題なかったが、お前の弟は王家の色を継いだ、だから邪魔だった。

 ……あの後どこで何をしていたのか、だと?

 それを聞いてなんになる? 語る必要はない。

 ただ、一つだけ答えてやる。

 わたくしはこの国を追われた後も、この国を取り戻すための準備を行なっていた。

 具体的な話などするものか、不当にわたくし達から国を奪った愚弟の娘に素直に話をするとでも?

 …………あの阿婆擦れが我が子とどこで知り合ったのか、どのように誑かしたのかは知らん。

 だが、きっとあの見た目だけは愛らしい顔と身体で篭絡したのだろう、あの老女のような醜い声を差し引いても、あの小娘は確かに愛らしい見た目をしていた。

 阿婆擦れらしく肌を晒して股を開いて誘惑でもしたのだろう、どうせ。

 少なくとも我が子から関わったのではあるまい、どうせあの阿婆擦れの方からすり寄ったに違いない。

 何故あの阿婆擦れが我が子をその手の内に収めようとしたのか。

 決まっている、我が子がわたくしの、そして王の子であるからだ、いずれ王になる男に取り入って、甘い蜜でも吸おうとしたのだろう。

 そういう欲に塗れた汚らしい理由で、あの阿婆擦れは我が子に擦り寄ったに違いない。

 ……先ほども話したが我が子はわたくしから奪われた後、娼館に叩き売られた。

 そこで口にするのも悍ましい目に遭わされた、人としての尊厳を粉々に壊すような、心が真っ二つに割れるような、本当に酷い目に。

 女の相手をさせられることは稀だったらしいが、それでも相手が誰であれなんであれ、性的な、そういった行為は我が子にとって嫌悪の対象でしかなかった。

 それなのにあの阿婆擦れは我が子をその肉で籠絡し、骨抜きにした。

 いったいどんな『魔法』を使ったのか、わたくしには理解できない。

 我が子はすぐにあの阿婆擦れの虜になったらしい、王になるべき者があんなどこの馬の骨かもわからない小娘の肉に溺れ、犯し続けた。

 なんて情けない、魔女モルガナイトの一人息子があんな小娘の虜になど……

 いったいあんな小娘のどこがいいというのだ、白く柔い肌か? あの顔か? それともそんなに抱き心地が良かったのか?

 我が子は、ビスクバイトは何故あんな小娘を愛したのだろうか。

 ……大嫌い、大嫌い、この世で一番大嫌い、何度殺そうって思ったか、もうその回数も思い出せない。

 因果応報って言って笑うの、本当にどうでもよさそうに、全部諦めたみたいな顔で笑うの。

 その顔が一番嫌い、本当に嫌い、あんな顔二度と見たくない。

 だから痛めつけるの、世界で一番酷い目に遭わせようと思ったの、二度とあんな口叩けないように。

 世界で一番不幸な女の子にしてやろうって、ずっとずっと思ってた。

 誰よりも醜くて、世界一大嫌いなアタシの……

 …………なんの話をしていたのだったか。

 とにかく、我が子がどこであんな阿婆擦れに引っかかったのかは知らん。

 一年ほど前にようやくわたくしはあの子の元を訪れることができた。

 愚弟の無能な追跡を完全に撒いた後になってようやくだ。

 その頃にはすでに我が子はあの阿婆擦れに骨抜きにされていた、我が子はあの阿婆擦れの存在を隠そうとしていたが、その痕跡は消しきれていなかった。

 ……別に、女一人くらいどうでも良いと思っていた、だからわたくしは見逃してやった。

 わたくしの良い子であるのなら情婦の一人くらい見逃してやる、わたくしを一番としわたくしに尽くすのなら、忠誠を誓うのなら。

 ……しかし我が子はあの阿婆擦れに骨抜きにされていた、わたくしへの忠誠心を捨て去りかねないほどに。

 あの阿婆擦れのためにわたくしの悲願を蔑ろにして、わたくしを裏切る可能性があった。

 だから、わたくしはあの阿婆擦れを亡き者にしようとした。

 だから我が子の家に向かおうとしていたあの阿婆擦れを捕らえて、あの廃城に引き摺り込んだ。

 あそこなら基本的に誰の邪魔も入らない、余程の愚か者でなければすでに妖精の領域となったあの場に足を踏み入れることはない。

 廃城にあの阿婆擦れを引き摺り込んで磔にした後、わたくしは我が子をあの廃城に呼び出した。

 すぐに青白い顔の我が子が廃城に駆け込んできた、我が子は磔になった阿婆擦れと、磔にしているわたくしの顔を見て絶句していた。

 我が子は「やめてくれ」と言った、そいつは何も関係ないと、なんの力もない弱い女だから、と。

 だから、何も関係がないというのなら、殺せ、と言った。

 可愛い我が子に殺せと命じたのだ、あの阿婆擦れを殺せと。

 わたくしを愛しているのなら出来るだろうと。

 わたくしの愛しい子なら、それができるだろう、と。

 ……愛している、アタシはあの子のことを愛している。

 世界一とは言えずとも、本当に大事だったの、本当に大好きだったの。

 あの子のためなら何もかも捨てていいって思ったことだってある、あの子が笑っていてくれればそれで十分だと思ったこともある。

 でもね、それはダメなの。

 魔女モルガナイトの息子の一番大切なものは、一番優先すべきものは、お母様でなければいけないの。

 だから、あの小娘を亡き者にする必要があった、我が息子に手をかけさせ、わたくしへの忠誠心を証明させなければならなかった。

 それなのに、ああ、それなのに!!

 我が子は青白い顔で首を横に振ったのだ。

 わたくしの子は、わたくしの命令に背いた、わたくしの言うことをきかなかった。

 なんでもいうことを言う、誰よりも何よりもいい子だったのに!!

 だからこそ、あの阿婆擦れを生かしておくことはできなかった。

 我が子が出来ぬと言うのなら、わたくしが。

 だからわたくしはあの阿婆擦れを殺そうとした、我が愛しき息子が最も愛した、この世で最も憎い女を。

 それなのに。

 やめてくれと我が子は叫んだ、そして。

 そして、自分の剣で、自分の首を掻き切った。

 自分がいなくなれば母があの阿婆擦れを殺す必要は無くなるだろうと、躊躇いなくその首を自らの手で落とした。

 信じられなかった、そこまでするほどあの阿婆擦れは我が子をどうしようもなく魅了していたのだ。

 わたくしの子が、王になるべき子が死んだ。

 その衝撃で思わずあの阿婆擦れを磔にしていた魔法が緩んだ。

 あの阿婆擦れはその隙を突いてわたくしの拘束から抜け出した。

 そしてどういうわけかわたくしの息子の首を落とした剣を取り上げて……

 その後は、何がどうなったのだったか。

 騒ぎを聞きつけたそこの騎士の息子を筆頭にした愚弟の手のものが廃城に駆け込んできて、わたくしを取り押さえようとする彼奴等とわたくしが争っているうちに、いつの間にかあの小娘はどこかへ逃げ出したらしい。

 気がついたら既にその姿が消えていた、我が子の剣と共に。

 気付いた頃にわたくしはあの忌々しい騎士と魔術師どもに拘束されていた、そうしてこの牢獄に押し込められ、今に至る。

 ああ、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!

 あの女が憎い、我が子を奪ったあの阿婆擦れが憎い。

 八つ裂きにしてやる、いや、それだけでは足らぬ。

 殺してやる……!! この世で最も悍ましい方法で殺してやる!!

 ライアーバード、ライアーバード!! どこにいる!! 今すぐ出てこい!! 殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!!!!!

 出てこいコトドリ!! 一番酷い方法で殺してあげる!! ほら出てきなさいよ!!


「『魔女』様、『魔女』様……」

 マリアの声は『魔女』の絶叫にかき消された。

『魔女』は完全に正気を失った声でライアーバードへの怨嗟の言葉を叫ぶ。

 聞きがたいほど甲高い、完全に狂った人間の声を前にマリアは完全に怖気付いた。

「マリア様、これ以上は……」

 側に控えていた騎士が悲痛な顔でマリアに声をかける。

 きっとこれ以上は無駄だろう、もう『魔女』には誰の言葉も響かない。

『魔女』が求めるコトドリライアーバードの声以外は、きっと『魔女』の心に届かない。

 だからマリアはただ、自分にはない色を持つ『魔女』の顔を、狂い、泣き叫ぶその人の顔を見つめることしかできなかった。

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