[Side Y/現代]Link: 魔女-00

 スターバックスは、いつも同じ匂いがする。


 ブレンダの猿轡をされた唸る匂いと、ミルクを温めるマストレーナの遊園地みたいな賑やかさ。

 レジの前で交わされる短い会話の粒が店内のBGMを揺らして、空気を良い塩梅に柔らかくしている。


 僕はいつもの時間に来て、いつもの列に並んで、いつもの様に視線を置く。

 目線の先には、いつもの席がある。

 窓際でもない。入口から遠過ぎない。

 バーの真正面にあるソファ席の隅──あの人の隣になり易い位置。


 あの人は、今日は居た。


 毎回じゃない。週に二回か三回。

 それでも、ほぼ同じ時間に来て、ほぼ同じ動作で荷物を置き、ほぼ同じ速度で本を開いて、時々だけiPhoneを手に取る。

 服も派手じゃないのに、視界の端で勝手に輪郭が立つ。

 静かなのに存在感だけが五月蝿い。


 僕は自分の番を待ちながら彼女の横顔を見ないようにして、結局盗み見てしまう。


「ユウキさん、こんばんは」


 レジの向こうから声が飛んで来て、僕は反射で顔を上げた。

 パートナーのしおりちゃんが笑っている。


「バニラクリームフラペチーノのヴェンティサイズで──」

「「チョコソースとチョコチップを追加」」


 しおりちゃんが満面の笑みでハモる。


「やるじゃん」

「ふふ、いつもそれですもん」

「じゃあ、次から『彩愛(さえ)ちゃんスペシャル』をヴェンティサイズで──って頼んでも良い?」

「ゆうきさんなら、良いですよ」


──こういう会話は、簡単だ。

 簡単なのは、相手が『そういう役割』だからだと思う。


 パートナーは、積極的にお客さんに声を掛けるよう指導されているらしい。

 前に、雑談の流れでそんな話を聞いた。

 忙しい時でも目を見て挨拶をする。

 困ってそうな人には声を掛ける。

 常連さんの名前を覚える。

──そういう空気を店全体で作る。


 だから、僕も話し掛け易い。

 最初から話し掛けて良い、が用意されているから。


 でも、あの人は違う。

 あの人は、ただのお客さんだ。

 僕と同じ側にいる人だ。

 同じ『日常』を、同じ席で過ごしているだけの人だ。

 声を掛けた瞬間、日常が変わる。

 変わって、もし失敗したら……僕はこの店に来辛くなる。

 それが怖い。

 怖いのに気になっている。


 ドリンクを受け取ってソファに腰掛ける。

 僕は、あの人の隣。

 距離は近いのに、世界は遠い。


 話し掛ければ良い──

 『いつもこの時間だよね。僕は、ゆうきって言うよ。君は何て名前なの?』

 『美味しそうなフラペチーノだね。なんてメニュー?』

 『それ、島田荘司(しまだそうじ)?異邦の騎士だよね?摩天楼の怪人は読んだ?』。

 言葉の候補はいくらでもある。

 でも、僕は言えない。


 彼女はページを捲る。

 紙が擦れる音がやけに綺麗で、僕はそれを『会話の代わり』みたいに聴いてしまう。

 自分のiPhoneを取り出す。

 YouTubeを無音で流したまま、頭には何も入って来ない。

 それでも、画面の中のお饅頭頭の表情がくるくる変わるのを視界の隅に置いていると、僕の呼吸だけが先に整った。


──今日も話し掛けられなかった。


 帰り際、しおりちゃんがまた声を掛けてくれる。


「ゆうきさん、またお待ちしてますね」

「しおりちゃんも気を付けて帰るんだよ」

「はい。ありがとうございます」


 こっちは言える。普通に言える。

 店を出た瞬間、その落差が余計に残る──後悔。


 外は少し寒い。

 僕は歩きながらスマホを取り出して、LINEのトーク画面を開いた。


『スタバで隣に座る女の人、ギザカワユス』


 送信した直後に既読が付く。

 妹の咲希(さき)は返信が早い。

 早過ぎて、たまに怖い。


『きっしょ』


 僕は思わず吹き出しそうになって唇だけで堪えた。


『でもマジで女神。いつも隣。タイミング噛み合い過ぎ。結婚する。きっと神様が書いたシナリオ。コレガ『コイ』??』

『運命なら話せ』


 それが出来無い。


『スタバの女の子には普通に話し掛けられるのに、お客さんとして来てるその人には話しかけられないのなぁぜなぁぜ??』

『そりゃ店員さんは話し掛けるのが仕事だからでしょ。空気が違うんだよ』


 正論が刺さる。

 刺さるのに、痛いところが的確過ぎて抜けない。

 ただ……足りないんだ。決定的にね。配慮と、言葉が。


『店員さんって、積極的に声掛けるように指導されてるって言ってた。だから話し掛け易い雰囲気を感じるのかも』


 少し間が空いて、次が来る。


『どうせナンパ出来無いんだから、大人しくマッチングアプリしてみなよ』


 僕は立ち止まって、ビルのガラスに映る自分を見た。

 どうせナンパ出来無い。

 否定出来無いのが悔しい。


 帰宅して部屋の灯りを点ける。

 いつもの机、いつものマグカップ、いつもの生活。

 それなのに心の中だけが落ち着かない。


 僕はスマホの検索窓を開いた。


 マッチングアプリ

 おすすめ

 初心者


 知らない広告みたいな結果が並ぶ。

 現実的過ぎて、どれも僕のモヤモヤの形に合わない。

 欲しいのは恋愛の攻略法じゃない。

 多分、勇気の代替品だ。


 画面をスクロールしていると、ふと目を止めた単語があった。

 検索結果の一覧に見慣れない名前がある。


[GatePair: Link]


 説明文は短い。


[あなたの世界の外側へ。リンクで始まる新しい出会い]


 怪しい。普通に怪しい。

 でも、目が離れなかった。

 アプリのアイコンはシンプルで、扉みたいにも観えるし、鎖みたいにも観える。

 僕は勢いでインストールを押した。


 ダウンロードのバーが伸びていく。

 伸びていくのを見ている間も、スタバの隣の席の横顔が頭から消えない。


 インストール完了。

 起動。

 画面が切り替わって、許可の確認が出る。


[通知を許可しますか?]

[リンクを許可しますか?]


 通知は分かる。

 リンクって何だ?


 僕は通知だけ許可した。

 リンクは良く分からないまま、後回しにした。


[プロフィール設定]

 名前:ユウキ


【次へ】


 画面が流れ始める。

 候補がカードみたいに次々出て来る。


[魔女]


 写真は無い。

 デフォルトの人型。背景も無い。

 プロフィール本文は、たった一行。


[よろしくお願いします。]


 それだけだった。

 年齢も、普段何をしているのかも分からない。

 魔女って肩書きだけが妙に強い。


 高齢のおばあさんかも知れない。

 鍋をグツグツ煮て「ヒャッヒャッ」って笑う、鼻の高いステレオタイプの魔女を思い浮かべてしまう。


 雑な想像だ。

 分かっている。

 分かっているのに、僕は勝手にそういう絵を先に用意してしまう。

 その自分が少し恥ずかしくて指が止まった。


──最初に出て来た。

 ただそれだけで『運命』って言葉が頭の中に浮かぶ。

 浮かんで、直ぐに消そうとする。

 運命なんて現実では何の役にも立たない。

 スタバの隣の席のあの人に話し掛けられない僕がいきなり運命を語るのは滑稽だ。


 でも──

 最初に出て来た。

 写真が無い。

 情報が無い。

 無いからこそ僕の方が勝手に意味を足してしまう。

 僕は一度だけ深く息を吸って、【いいね】を押した。

 押した瞬間、少しだけ胸の奥が熱くなった。


 次。


[聖女]


 写真を観た瞬間に息を飲む。

 長い銀髪に白いドレス。

 教会の光が絵画みたいに綺麗だった。


 プロフィールが……長い。

 長いのに雑じゃない。

 文字の端に祈りの癖みたいなものが滲んでいる。

 僕はスクロールして、戻って、また読む。

 肩書きを飾るための文章じゃない。

 『誰かに届くこと』を前提にした文章だった。


 こういう人は、軽く押したくない。


 僕は真剣に読んだ。

 真剣に読んで、真剣に迷った。


──迷って、結局【いいね】を押した。


 次。


[ドワーフ]


 写真が出る。

 筋肉と、酒場と、工具と、笑い皺。

 そういう情報が一瞬で飛び込んで来て、僕の指が勝手に動く。

 読まない。

 考えない。

 次。


[エルフ]


 指が止まる。


 美しい。

 『美しい』を形にするなら、こういう輪郭になるんだろうと思った。


 写真の光は派手じゃない。

 背景も作っていない。

 なのに、目だけが綺麗だった。


 プロフィールも丁寧に書かれている。

 さっきの聖女みたいに長くはない。

 必要なことを、必要なだけ。


 丁寧さの種類が違う。

 この人は多分、頭が良い。


 エルフの森の長老の娘。

 次期、村長候補を探している。


 エルフの森でスローライフ。

 そんな言葉が勝手に浮かぶのに、数字が浮かんで来て現実に戻る。

 八万いいね。

 僕は笑いそうになって、笑えなかった。

 この顔なら当たり前だ。

 当たり前過ぎて、僕がここに居ることが急に恥ずかしくなる。


 それでも【いいね】を押した。


 次。


[ネコマタ]


 猫耳。


【いいね】


 次。


[魔界貴族]


 肩書きが強い。

 写真が強い。


【いいね】


 次。


[王女]


 四十九万いいね。

 数字が笑っている。

 僕は笑えない。

 押す。


【いいね】


 次。


[勇者]


 肩書きが非現実的なのに、写真は妙に現実っぽい。

 光の当たり方が綺麗で、目線の切り方が上手くて表情に計算がある。

 僕はプロフィールを読まなかった。

 読む前に指が動いた。


【いいね】


 次。


【いいね】


 次。


【いいね】


 写真だけ観て【いいね】を押す。

 押して、次を見る。


 現実で話し掛けられない僕の代わりに指だけが仕事をしているみたいだった。

──誰に?何のために?


 考える暇も無く、画面が勝手に進む。


【いいね】

【いいね】

【いいね】


 途中で、ふと手が止まる。


 いつの間にか、写真と肩書きだけで押していることに気付く。

 最初に真剣に読んだ自分が、遠い。

 馬鹿みたいだ。

 窓を見ると、空が茜色だった。


 夜になって、部屋の灯りを落としてベッドに潜る。

 スマホは枕元に置いた。

 画面を伏せて、目を閉じる。


 眠気が来ない。

 スタバの隣の席の、ページを捲る音が思い出される。

 話し掛けられなかった自分が静かに残る。


 静か過ぎて逆に五月蝿い。

 静寂は時々、攻撃的な表情をする。

 エアコンの風の音と自分の呼吸だけがやけに目立つ。

 僕は結局、枕元のスマホを取った。

 青い光が暗い部屋の天井を薄く跳ね上げる。


 LINEを開く。

 咲希の名前が一番上にある……迷って、送る。


『いいねしまくってみた』


 送った瞬間、既読が付く。

 早過ぎてやっぱり少し怖い。


『なんてアプリ?』


 僕は画面をスワイプしてアプリアイコンを一瞬だけ観た。

 扉みたいにも、鎖みたいにも見えるやつ。

 説明文の『リンク』が、今も頭の中で引っ掛かってる。


『GatePair: Linkってやつ。知ってる?』

『最近、流行ってるよ。異世界の人とマッチング出来るやつでしょ』

『そう。兄はこの世界から旅立つ。追ってくれるな』

『追わないから。笑。良さそうな人とマッチングした?』


 僕は天井を見た。

 良さそう、って何だ?

 写真の光が綺麗で、肩書きが派手で優しそうで……

──それだけで良さそうに見える。


『未だ。取り敢えず指だけ働かせた』

『怖。指が勝手に恋するやつじゃん』

『喩えが言い得て妙。笑。勇者が気になってる…15万いいね超えてる化け物みたいな女の子。笑』

『失礼だな。笑。でも打倒魔王の旅でしょ?ヤバそう』

『僕も思った。危険が危ない』

『じゃあマッチングしても、会いに行かなければ良いね』


 会いに行かなければ良い。

 その言い方が現実の僕には優し過ぎて少しモヤモヤする。

 優しい正論は、逃げ道みたいで。


『マッチングして【会いに行く】って押したらさ、相手に[受け入れる]通知が来るんでしょ?』

『来る。通知飛ぶ。向こうが受け入れたらリンク成立』

『で、現代に戻るには?やっぱりブロックするしかないの?』


 短過ぎる単語が、やけに重たく観えた。

 使い方説明を読んだ時に画面の下に並んでいたスクリーンショットを思い出す。


[ブロックしますか?]

[この操作は取り消せません]


『仰るとおりでございます。お兄様』

『ブロックしたら二度と会えないんでしょ?』

『会えないし喋れないしメッセージも出来無い。リンク切断は永久。でも、危険が危ない時は躊躇わずブロックしなきゃダメだよ』

『アホきゃ!愛に命を賭けずに、どこに命を賭ける!?』

『花京院の『魂』も賭けよう』

『グッド!』


 送ってから、少し笑った。

 声は出ないのに喉の奥だけが軽くなる。

 同時に胸のどこかが熱くなるのが分かる。

 『賭ける』って言葉は、冗談の顔をしているのに──僕の心は真剣だ。


 スマホを枕元に戻して、今度こそ画面を伏せた。

 目を閉じる。

 さっきより部屋が暗い。

 暗いのに眠気はまだ来ない。

──ブロックは『帰る』じゃなくて、『消す』なんだと思った。


 その日の夜、二件の通知がiPhoneを静かに鳴らした。

 画面が、伏せたまま光る。

 青い光が布団の影を薄く切った。


 [マッチング成立]相手:魔女


 ……。

 ……。


 [マッチング成立]相手:聖女

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