GatePair: Link〜【いいね】で始まる異世界マッチング〜 (ゲートペア)
愛崎 朱憂
[Side M/異世界]Link: 勇者-01
※本作はフィクションです。登場する人物・団体・出来事は架空であり、実在のものとは関係ありません。
※作中に登場する商品名・サービス名は、各社の商標または登録商標です。
──こんなはずじゃなかった。
洞窟の入口は思っていたよりずっと狭い。
岩肌に染みた湿気が冷たい。
松明の火が揺れる度、影が増えたり減ったりして人数が正しく数えられない。
影が嘘を吐く。
その嘘の中で、勇者が剣を構え直した。
「ミユっ!」
刃が光って、私の鼻先を掠めた。
風の線だけが頬を切る。
「……っ!」
肩が強く引かれ、私は半歩、倒れるように横へズレた。
袖を掴んだのは武闘家だった。
鎧も剣も無い。
拳と脚だけでここまで来た人の手は迷いが無くて温かい。
「ありがとう」
短く礼を言うと、武闘家は振り返らずに言った。
「あいつの目を覚まさないと、オレ達は全滅する」
──全滅。
その言葉が松明の火より先に肺に入ってくる。
勇者は本来なら前に立つ人だ。
皆が頼る背中で、道を切り開くために剣を振るう人だ。
なのに今は、こちらを殺すための角度で剣を持っている。
原因は洞窟の奥に居たサキュバスだった。
薄笑いだけを残し、角と翼の影を壁に踊らせながらサキュバスは勇者の耳元で囁いた。
言葉は聞き取れなかった。
けれど、勇者の目から光が抜けたのは見えた。
私達に向けられた刃の角度が、敵意の角度に変わったのも。
賢者が低く叫ぶ。
「魅了だ!勇者が奪われた。視線を合わせるな!」
視線を合わせるなと言われても、彼は勇者だ。
存在感が強すぎる。戦場の中心に勝手に立ってしまう。
武闘家が私の前へ出た。
勇者の一撃が空を裂き、武闘家の肩の横を掠めた。
拳で受けるのは無理だ。
武闘家も分かっている──分かっていて、立っている。
賢者が杖を掲げる。
結界の光が広がり、洞窟が一瞬だけ昼みたいに白くなる。
白さが目を焼く。
影が消える。消えて、また戻る。
白さが戻った瞬間、私は腰の小袋に指を差し込んでいた。
考えた訳じゃない。
身体が勝手に探した。
小指の先ほどの石が指に触れる。
──転移石。
使い方は聞いた。
握って、行き先を思い浮かべて、言葉に出す。
私は魔法使いとして勇者パーティに登録されている。
けれど私は本当は一般人だ。
魔法は使えない。魔力の流し方も分からない。
転移石の『使い方を聞いた』は、言い方を変えれば注意事項を聞いた程度だ。
それでも、ここで何もしない訳にはいかなかった。
石を強く握り締めた瞬間、転移石は淡く発光した。
驚くほど簡単に石は反応した。
体温に触れたからか、危機が近いからか理由は分からない。
けれど確かに、転移の兆しはあった。
光が指の隙間から漏れる。
このまま飛べる。
一旦、逃げる。
後で助けに戻る。
そう思い、息を吸う。
合言葉みたいな短い言葉を、胸の奥で探した。
──その瞬間、賢者の声が刺さった。
「待て!転移石はメンバーを選べない。パーティ単位で飛ぶぞ!」
握った手の中の光が、急に重く感じる。
今ここで飛べば、勇者も一緒に飛ぶ──魅了されたままの勇者が転移先でも刃を向ける。
逃げ場が消えた。
「じゃあ、どうするんですか!」
叫んだ自分の声が洞窟の壁にぶつかって跳ね返る。
跳ね返った瞬間、賢者の結界が弾けた。
破裂音は無い。
光が千切れ、結界の光が消える。
洞窟の闇が戻る。
戻った闇は、さっきより濃い。
サキュバスが指を鳴らし、黒い糸みたいな魔力が賢者の足元に絡み付いた。
賢者が膝をつき杖を落とす。
勇者はその瞬間を逃さなかった。
刃が賢者の肩を切り裂く。
賢者の身体が地面に叩き付けられ鈍い音がした。
「賢者!」
武闘家が叫び、前へ出ようとする。
でも勇者が一歩、こちらへ詰め寄る。
距離が縮む。
縮んだ分だけ、死が近い。
武闘家が私の腕を掴んだ。
掴んだ手が熱い。
「走れ!」
「でも!」
「走れ!」
命令の声音だった。
武闘家は私を引き擦るように洞窟の出口へ向かう。
足が滑る。
握ったままの転移石が手の中で冷たい。
光はもう消えていた。
消えたのに、指の内側だけが熱い。
走る度、背中に気配が追い付いて来る。
勇者の足音。剣の気配。
追い付かれたら終わりだと分かっているのに、私は一瞬だけ振り返りそうになる。
視線を合わせるなと言われたのに。
その時、ポケットの中でiPhoneが震えた。
異世界で──iPhone。
この組み合わせに慣れたくないのに、もう慣れているのが嫌だった。
画面を一瞬だけ見る。
[吟遊詩人]そういえば、ミユさんは魔法とか使えるんですか?
「今、それ!?」
声が出た。出てしまった。
武闘家が一瞬だけこちらを見る。
私は首を振って画面を伏せる。
最初の相手だから、もう慣れてしまっている。
彼はいつもこうだ。
甘い言葉が上手そうな肩書きのクセに踏み込んで来ない。
誘ってこない。質問ばかりしてくる。
そしてもう一度、震える。
[マッチング成立]相手:エルフ
名前は未だ見えない。プロフィールも開けない。
でも『エルフ』の文字だけが、やけに綺麗に見えた。
今は、今だけだ。
私は画面を消して、走った。
洞窟を抜けると夜だった。
外気が冷たく、森の匂いが胸に刺さった。
星が見えるのに安心出来無い。
星の下で人が死ぬことがあるのを、私はもう知ってしまっている。
武闘家は森の影へ私を押し込み、木の幹の裏に隠した。
自分は半歩前に出て、身体を盾にするような位置で立つ。
「ミユ。聞け」
武闘家の声は低い。
息が荒いのに、言葉は切れない。
「オレ達は全滅しても、城で復活出来る」
「復活……」
「勇者パーティはそういう契約だ。死んでも終わりじゃない。けどお前は違う。お前は、こっちの世界の住人じゃない」
武闘家の目が、私の腰の辺りを見る。
【GatePair: Link】。
異世界と現代を繋ぐマッチングアプリ。
私がこの世界に来たのは、勇者という肩書きが格好良かったからだ。
プロフィールに『勇者』と書かれていて、肩書きの下に『世界を救うため旅をしている』とあった。
【いいね】が何千も付いていて、写真も煌びやかな物ばかりだった。
画面の向こうの勇者は、理想の物語そのものに見えた。
私は、その物語に触れたかった。
ロマンチックな恋がしたかった。
勇者と並んで歩いて街の皆に感謝されたり、夜の焚き火の前で笑って、傷の手当てをして……。
そういう景色の最後に。
たった一言で良いから、私の存在を認めてくれる言葉が欲しかった。
居場所の無い私に『ここに居て良い』と思わせてくれる言葉が──。
私のことを『必要だよ』と言ってくれる言葉が──。
だけど現実は剣の刃先だった。
武闘家が続ける。
「もしオレがやられたら、お前だけでも逃げろ。お前はブロックすれば帰れる。リンクを切れば、お前はこの世界から抜けられる」
言葉が胸に刺さる。
ブロック。リンク遮断。
アプリの機能として知っている。
あのボタンを押せば、相手の世界との接続が切れる。
でも、もう会えない。
もう、こちらから見ることも出来無い。
木々の隙間から勇者が出て来た。
月明かりが剣の縁を光らせる。
顔は無表情に近い。
瞳の奥が空洞みたいで、そこにサキュバスの笑いだけが住んでいるみたいだった。
武闘家が拳を握る。
握った指の関節が白い。
「来るぞ」
武闘家が前に出た。
拳が空を切る。
勇者の剣がその拳を弾く。
金属と骨が打ち合わさるような音がした。
武闘家が歯を食いしばり、間合いを詰める。
剣の内側に入れば勝てる。そういう戦い方だ。
でも相手は勇者だった。
勇者は剣の角度を変え、武闘家の脚を払う。
武闘家の体が傾く。倒れきる前に踏ん張る。
踏ん張った場所の地面が抉れる。
追撃が来る。
避ける。
剣が木を叩く音が静かな森に響き渡る。
武闘家の拳が勇者の肘を叩いた。
叩いたはずなのに、勇者の剣は落ちない。
落ちないまま、刃が回る。
武闘家の手がぱっくりと割れて、血が落ちた。
落ちた血は黒く見える。
夜だからじゃない。生きてる色が、今は暗い。
私の視界が揺れる。
森が回る。
サキュバスの魅了が解けない限り、勇者は戻らない。
武闘家が私の方へ叫ぶ。
「逃げろ!」
その声と同時に、武闘家の肩に刃が入った。
深い。
武闘家が膝をつく。膝が土を噛む。
勇者は容赦しない。
剣を振り上げる。
──そこから先は見られなかった。私は駆け出していた。
森は静かなままだった。
静か過ぎて音が一つあるだけで形が見える。
私の息。
喉の奥が鳴る音。
肺が擦れる音。
走る度、雑草が脚を絡め取る。
葉が肩に当たって冷たい。
静寂は時々、攻撃的な表情をする。
背後で笑い声がした。
洞窟の奥で見た、あの薄笑い。
音だけが追い掛けて来る。
もう一つ。
自分ではない走る音が混じる。
土を踏む重さ。
息の速さ。
距離が縮まる気配。
私は、視線を前だけに固定した。
振り返らない。振り返ったら終わりだ。
走りながら、アプリの画面が森の夜に浮かぶ。
勇者のプロフィールが表示される。
肩書きは『勇者』。
ステータスは『マッチング中』。
アイコンは笑っている写真のままなのに、最後に見た勇者は笑っていなかった。
木の枝が私の頬を叩く。
痛みで指が震える。
爪がガラスを撫でる。
画面をスクロールする。
下にボタンが並ぶ。
【メッセージ】
【ブロック】
笑い声が近い。
走る音が近い。
でも耳が追い付かない。
勇者の足音だった気がした。
武闘家の足音だった気もした。
どっちでもない気配が混じった気もする。
分からない。
分からないまま──近い。
指先が震える。
震えたまま、私は【ブロック】に触れた。
確認の表示が出る。
[ブロックしますか?]
[この操作は取り消せません]
[リンクが遮断されます]
何かの気配が直ぐそこまで迫って来ている。
足音が近い。息が近い。
影が近い。
私は、もう一度──【ブロック】を押した。
画面が白くフラッシュする。
[リンク遮断中…]
[GatePair: Link]
[接続が解除されました]
森の音が遠ざかる。
空気が薄くなる。
身体の輪郭が崩れる。
木々の匂いも、血の匂いも、土の湿気も──夜空の星々も。
全部が引き剥がされていく。
視界が一瞬、黒くなった。
次に目を開けた時、そこは見慣れた自分の部屋だった。
蛍光灯の白さ。
机の上のマグカップ。
乾いた室内の空気。
壁に掛けた時計が秒針を刻んでいる。
耳が、異世界の静けさではなく現代の機械音に戻っていく。
iPhoneが手の中にあった。
画面には、GatePair: Linkのアイコン。
さっきの通知が、まだ消えずに光っていた。
[マッチング成立]相手:エルフ
[吟遊詩人]そういえば、ミユさんは魔法とか使えるんですか?
私はベッドの端に座ったまま、画面を見つめた。
部屋は安全なのに、呼吸は未だ整わない。
異世界の夜の冷たさが指先だけに残っていた。
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