[Side M/現代]Link: エルフ-01

 蛍光灯の白さがやけに残酷だった。


 森の夜から引き剥がされた目には、部屋の光が強過ぎる。

 安全なはずの空気が薄い。

 胸が未だ走っている。

 心臓だけが自動車のエンジンみたいにドッドッドッと規則正しく胸を叩いていた。


 指先だけが冷たい。

 冷たいまま、iPhoneを握っていた。

 画面に通知が残っている。


 さっき森で見た文字。

 現代の部屋で観ると現実味が増す。

 増して、増した分だけ身体の中が現実に追い付かない。


[マッチング成立]相手:エルフ

[吟遊詩人]そういえば、ミユさんは魔法とか使えるんですか?


「今、それ?だよ……ほんとにもう」


 ポツリと呟く。

 呆れた声の形をしているのに、口元だけが勝手に緩んだ。

 自分でも意外なくらい気が抜けたみたいだ。

 ディーゼル車にガソリンを入れたみたいに、不思議とエンジンが止まっていた。

 止まるはずが無い回転が、ふっと黙る。

 胸の奥で鳴り続けていた騒音が、たった一行で静かになる。


 森の夜は未だ身体に残っている。

 指先の冷たさも喉の奥の鉄みたいな味も。

 安全な部屋に戻っても、現実だけが追い付いて来ない。


 それでも、その問いかけは軽かった。

 軽いから持ち上げられた。

 重いものから一度だけ手を離せる感じがした。

 きっと彼はヘリウムガスで出来ているんだろう。


 リンク申請をしていないのは、『吟遊詩人』が何をしている人なのかが分からないからだ。

 危険は無いのか?生活は出来るのか?どこから収入を得ているのか?

 本当は本人に尋ねれば良い。

 けれど、彼の質問に答えている内にこちらから質問するタイミングをいつも逃してしまう。


 GatePair: Linkを開く。

 画面下に並ぶのは──


[マッチ中]

[メッセージ]

[設定]


 私は一旦【マッチ中】を押した。

 新しく増えたカードが一枚。


[相手:エルフ]


 タップするとプロフィールが開く。

 写真が派手じゃない。

 背景も光も作っていない。

 けれど、目が綺麗だった。

 綺麗過ぎてどこか嘘っぽい。

 嘘っぽいのに見てしまう。


 エルフは凄く綺麗な顔をしている──女の私よりも。

 『美しさ』を形にするなら、正にこの形になるだろう。


 隣に居るほど自己肯定感を削られる相手かも知れない。


 そう思った瞬間、胸の奥のアラームが小さく反発する。

 削られるのが嫌なら観なければ良い。

 そういう正論を自分に投げても指が画面から離れない。


 写真の下に短い一文がある。


【こちらの世界を、あなたの世界の言葉で教えてください】


 甘い言葉じゃない。誘い文句でもない。

 ただのお願いに見える。

──それが逆に怖い。

 優しさの形をした要求は断り方が分からない。


 画面の下にボタンが二つ並んでいる。


【メッセージ】

【リンクを申請する】


 申請。

 扉を叩くこと。

 叩けば向こうに通知が飛ぶ。

 向こうが【受け入れる】を押したらリンク成立。

 成立したら会いに行ける。


 森の冷たさが指先に残っている。

 その冷たさがブレーキみたいに効く。


 名前は未だ見えない。

 リンク成立しても名前の表示はされない。

 本人に直接尋ねる必要がある。

 それがアプリの仕様。


 勇者の時、私は「勇者」と呼んでいた。

 相手も名乗らなかった。

 そして、ずっと名前を聞けなかった。


 一緒に旅をした一週間ほどの中で名前なんて聞いている場合じゃなかった。

 洞窟の中では光が先だった。

 夜の森では火が先だった。

 名前はいつも後回しになった。

 後回しにしたまま──取り返しが付かなくなった。


 悪いイメージを振り払い、私は【メッセージ】を押した。


 メッセージ画面は空白。

 余白が広い。

 広過ぎて、そこに自分の輪郭が落ちて行く気がした。


 エルフのアイコンがある。

 綺麗な目。

 綺麗な輪郭。

 人の形がはっきりし過ぎていて、こちら側の薄さが余計に見える。


──ふと思う。


 私のアイコンがデフォルトなのに、この人は何に惹かれたんだろう?


 分からない。

 考えても分からない。


 礼儀として短く送ることにした。

 怖くても無視は出来無い。

 無視した瞬間に私が私を嫌いになるのが分かる。

 嫌いになるのを避けるために手順を踏む。

 踏めば、今日を終えられる。


[ミユ]マッチングありがとうございます。ミユです。よろしくお願いします。

[ミユ]エルフの世界は危険ですか?戻る方法を先に教えてください。


 送信。


 送ってから気付く。

 こうやって自分から名乗るから、勇者は私を「ミユ」と呼んでくれていたんだ。

──呼んでくれていた。

 意味は重いのに過去形にすると音が軽い。

 『過去』にもきっと、ヘリウムガスが詰まっている。


 画面を閉じる。

 閉じると部屋の静けさだけが戻って来る。


 時計を見る。

 秒針は規則正しい。

 規則正しいモノに寄り掛かりたくなる。

 私は枕元にiPhoneを置いて、伏せた。

 伏せても青い光が瞼の裏に残る。


 眠ろうとして──出来無かった。

 目を閉じると森が来る。

 目を開けると夜が来る。

 どちらも強過ぎて、どちらにも馴染めない。

 呼吸だけが数を数えている。


 気付いたら、朝になっていた。


 朝の空気は洗剤より先に消毒の匂いを連れて来る。

 駅のホームで息を吸うと、胸の奥が少しだけ固くなる。

 固いままでも身体は改札を抜けることが出来た。

 抜けることが出来る、が極めて重要だ。

 出来ることだけが残る。


 施設の裏口は鍵が掛かっている。

 暗証番号を押す指が冷たい。

 扉が開いた瞬間に室内の暖かさが頬を撫でた。

 暖かいのに、安心とは少し違う。


「おはようございます」


 言うと返事が返って来る。

 返って来るけど名前は戻って来ない。


 ロッカーで制服に着替え、名札を留める。

 そこには自分の名字だけが載っている。


 五十嵐(いがらし)。


 呼ばれるときも、それだ。


「五十嵐さん、早番お願いね」

「はい」


 検温。

 申し送り。

 食事介助。

 排泄介助。


 仕事は身体の順番で進む。

 順番の中に居る間は考えなくて済む。

 笑顔の練習をしている訳じゃないのに口角だけが勝手に上がる。

 そうしないと相手が不安になるのを、私は知っている。

 知っていることだけが動く理由になる。


 昼前。休憩に入る。

 休憩室の椅子に座ってiPhoneを開いた。


 通知が一件。


[エルフ]あなたの問いに応答します。

[エルフ]この世界には魔物が存在します。危険度は地域により変動します。

[エルフ]帰還方法について。あなたの世界への帰還は、ブロックにより実行されます。取り消しは出来ません。

[エルフ]危険時は自己保全を最優先してください。


 私は画面を上から下まで読んだ。

 読み終えて指を止める。

 止めた指先が少しだけ冷たい。


 返信欄に短く打つ。

 長く書くほど、自分が何を求めているのか分からなくなる。


[ミユ]回答ありがとうございます。

[ミユ]私は戦闘が出来ません。危険に遭遇する可能性は高いですか?

[ミユ]大丈夫でしょうか?不安です。


 送信。


 送信して、もう一件を開く。


 昨夜のメッセージ。

 返していない項目が、そこに残っているだけだった。


[吟遊詩人]そういえば、ミユさんは魔法とか使えるんですか?


 私は返信欄に指を置こうとして──止める。


 魅了された勇者に殺されそうになった。

 武闘家が血を流した。

 私は逃げた。

 ブロックを押した。

 それだけを並べると言い訳に見える。

 言い訳に見えるのが嫌で言葉が増える。

 増えた言葉は、逆に本当を削る。


 休憩の終わりを告げるアラームが鳴った。


 私は画面を閉じた。

 閉じると、現代の音が戻って来る。


 『五十嵐さん』としての午後が始まる。


 仕事の合間にiPhoneは見ない。

 見ないと決めると逆に指先だけが気になり始める。

 森の冷たさが未だ残っている気がする。


 半日で一往復。

 それくらいが多分、調度良い。


 ヘリウムガスで浮き過ぎないように、わざと胸の息だけ浅くした。

 私の心が壊れない速度で──じゃない。

 制服の下に収まる速度で。

 笑顔の仮面が落ちない速度で。

 そう思いながら私は今日も『五十嵐さん』として働いた。

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