第3話 取引の話をしよう

朝は早かった。


宿の窓から差し込む光はまだ柔らかく、街全体が半分だけ目を覚ましたような時間帯だった。通りの音も少なく、聞こえるのは戸を開ける音や、遠くで荷を運ぶ足音くらいだ。露店が動き出す前のこの時間は、噂も立ちにくい。


「行くぞ」


声をかけると、リーナはすでに立っていた。服は昨日と同じだが、乱れはなく、髪もまとめ直されている。目の下にわずかな疲れは残っているが、逃げるような様子はない。


街を歩く。昨日より人は少なく、道も空いている。踏み固められた土は乾いていて、足取りも軽い。森の方から鳥の声が聞こえるが、不穏な気配はない。この辺りは、今日も変わらず平和だ。


「この時間なら、いると思います」


「理由は?」


「……父は、朝が早い人だったので」


短いが、十分な理由だ。


昨日と同じ道を辿り、同じ角を曲がる。家は変わらずそこにあった。扉は閉まっているが、完全に放置された家の雰囲気ではない。屋根も壁も問題なく、人が住み続けている家だ。


扉を叩く。


少し間があり、内側で足音がした。戸が引かれ、年配の男が顔を出す。目元と口元に、はっきりとリーナの面影が残っている。


「……どちら様で」


リーナが一歩前に出る。


「……父さん」


男の動きが止まった。目が見開かれ、次にリーナを頭から足元まで見る。その視線が、首元へ落ち、止まる。


「……リーナ?」


「……はい」


声が震えたのは、どちらだったか分からない。


奥から、女性が出てきた。母親だろう。リーナを見るなり、口元を押さえ、言葉を失う。


「……生きて」


「……母さん」


抱き合うほどではないが、距離が一気に詰まる。肩に手を置き、何度も名前を呼ぶ。涙は静かに落ち、大声にはならない。感情が追いついていないだけだ。


俺は一歩、距離を取った。


「少し、話をさせてもらえますか」


男がこちらを見る。警戒と混乱が入り混じった目だ。


「……あなたは」


「ジェイドだ。商人をしている」


「商人……?」


視線が、荷馬車の方へ移る。


「……奴隷商人、ですか」


「そうだ」


空気が変わる。


「娘が……」


「今は、俺の商品だ」


はっきり言う。ここを曖昧にすると、後で必ず話が拗れる。


「中で話そう」


家の中は質素だったが、手入れはされている。使い込まれた机、擦り切れた椅子、壁に掛けられた古い道具。生活が続いてきた家だ。


椅子に座ると、母親が落ち着かない様子で何度も立ったり座ったりを繰り返した。手の震えを隠そうとしているが、うまくいっていない。





「……すまなかった」


最初に口を開いたのは、父親だった。低く、掠れた声だ。


「……あの日だ。森に薬草を取りに行くって言った時」


「……」


「俺が、止めなかった」


言葉が続かず、男は視線を落とす。


母親が、震える声で続けた。


「……私も」


「……」


「薬屋に持っていけば、少しは足しになるって……」


そう言い、目を伏せる。


「森の浅いところだけだって、そう言ったのに……」


指先が強く組まれる。後悔が、言葉より先に滲んでいた。


「最近、薬草の値が下がって……」


「……」


「でも、家の薬も足りなくて……」


言い訳のようで、事実だ。責める余地はない。


「俺が、もっと稼げていれば......」


父親が続ける。


「街の外に出る必要なんて、なかった……」


声が途中で崩れ、机の上に拳が落ちる。


「……違う」


リーナが、小さく言った。


二人が顔を上げる。


「……薬草を取りに行くって、決めたのは私」


声は震えているが、目は逸らさない。


「……森の浅いところなら、大丈夫だって……私が、そう思っただけ」


母親が唇を噛みしめる。


「……生きてて、本当に良かった」


「……うん」


その言葉で、涙が落ちた。大声ではない。溜め込んでいたものが、静かに溢れただけだ。


俺は、そのやり取りを黙って見ていた。

森に入った理由は、もう十分に分かった。


無謀じゃない。

ただ、余裕がなかっただけだ。


俺は黙ってその様子を見ていた。ここは口を挟む場所じゃない。


父親は、しばらく黙ったまま俯いていたが、やがて深く息を吐いて顔を上げた。


「……それで」

視線が、俺に向く。

「娘は、どうなる」


ようやく現実を見る目だ。


「今は、俺が合法的に所有している」


俺は静かに言った。


「だから、話をしに来た」


母親が、息を呑む。


「……買い戻す、ということですか」


「そうだ」


「……」


リーナは俯いたまま、何も言わない。

だが逃げてはいない。


「正直に言う」


俺は続けた。


「全額を金で払うのは難しいだろう」


二人は否定しなかった。


「だが条件ではある」


「……条件?」


「金は、用意できる分だけでいい」


「……」


「残りは、この家が持っている“価値のある物”で埋める」


父親が、少しだけ眉を動かす。


「……武器、ですか」


「そうだ」


用途は言わない。

この場で必要なのは、価値の話だけだ。


「使われていないが、手入れされているもの」


「……」


「数は多くなくていい。状態が良ければ、それでいい」


沈黙が落ちる。

母親は、リーナの手を強く握っている。


やがて父親が、ゆっくりと立ち上がった。


「……少し、待ってください」


奥の部屋へ消え、しばらくして戻ってくる。

布で包まれた長物が三つと、小さな袋。


剣が二本、槍が一本。

古いが、刃こぼれはなく、手入れも行き届いている。


「……これで、足りますか」


「十分だ」


袋の重さを確かめ、武器を見る。

問題ない。


「では、成立だ」


俺は帳面を閉じた。


「この時点で、リーナは俺の商品ではなくなる」


母親が、息を詰まらせる。


「……本当に」


「ああ。売却は完了だ」


リーナが、ゆっくり顔を上げた。


「……私、戻っていいの」


「今すぐとは言わない」


俺は正直に言う。


「だが、戻る資格は取り戻した」


母親が、堪えきれずリーナを抱きしめた。

父親は、深く頭を下げる。


「……ありがとうございます」


「礼はいらない」


「……」


「俺は、売っただけだ」


家を出ると、街はすっかり動き始めていた。


「……終わったんですね」


リーナが言う。


「ああ」


「……私、もう……」


「自由だ」


「……はい」


言葉は短いが、それで十分だった。


金と、価値のある物。

条件は悪くない。


さて。

これで一件、成立だ。

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奴隷商人として独立したので、 奴隷達を“故郷へ売りつけて”います 喜哀楽 @Kiara-Syo-Setsu

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