第3話 蒸気と熱狂

 その日、都市の心臓が悲鳴を上げた。けたたましい警報音が鳴り響き、管制室の照明が不吉な赤色に変わる。


「動力炉、臨界点突破! 冷却システム、応答しません!」


炉心溶融メルトダウンまで、あと二〇分!」


 技師たちの絶叫が飛び交う。地下都市のエネルギー源である地熱動力炉が暴走を始めたのだ。このままでは、都市ごと融解して全員が蒸し焼きになる。


 解決策は一つしかない。高濃度の放射能と数百度の蒸気が充満する炉心エリアへ手動で突入し、緊急停止バルブを開くこと。だが、それは確実な死を意味する任務だった。防護服など数分で溶けてしまう。


「誰が行くんだ……?」


 誰もが押し黙り、視線を逸らす。僕も膝が震えて立っていられない。そこかしこで絶望の声が漏れ始める。


「静粛に!」


 ギデオン先生の声が、パニック直前の空気を切り裂いた。先生はこんな時でも、氷のように冷静だった。いや、その瞳はむしろ、異常なほどの熱を帯びて輝いていた。


「我々にはマザーがついている。神がこの都市を見捨てるはずがない。今は啓示を待つのだ」


 先生はマザーの端末に向き直り、祈るように両手を組んだ。


「マザーよ。我々を導きたまえ。誰が、何をすべきなのか」


 僕は祈る思いでキーボードに指を置いた。頼む、マザー。奇跡の解決策を、誰も死なない方法を教えてくれ。長い沈黙の後、文字列が流れ出した。


『みず あふれる くるしい あおい そら とびたい からだ ぬいで』


 ……え?僕は呆然とした。水?空?体を脱いで?これは指示じゃない。まるで、今まさに溺れている人のうわ言だ。


 管制室に再び絶望的な空気が流れた。誰もが「マザーは壊れた」「見捨てられた」と思った。だが、ギデオン先生だけは違った。


 先生はゆっくりと天を仰ぎ、そして、感極まったように震え出したのだ。その頬を、一筋の涙が伝った。


「ああ……なんという慈悲深き言葉か」


 先生の声が震えている。僕は戸惑いの表情で先生を見つめる。


「分からないのか? マザーは、物理的な解決などとうに超越されているのだ」


 先生は両手を広げ、演説を始めた。


「『水あふれる、苦しい』。マザーは我々の苦しみを、我がことのように感じておられる。そして、解を示された。『青い空、飛びたい』。『体を、脱いで』と!」


 先生の声が徐々に熱を帯びていく。


 「これは『次元上昇アセンション』の宣言だ! マザーは、汚れた肉体を捨て、精神生命体となって、かつて地上にあったという「青い空」へ飛べと仰っているのだ! 場所はどこだ? 決まっている。今、最もエネルギーが満ちている場所――炉心の蒸気の中だ!あそこで肉体を昇華させることこそが、永遠の救済なのだ!」


 狂気だった。どう聞いても、それは集団自殺の勧めだった。けれど、極限状態の恐怖の中で、先生の確信に満ちた言葉は、甘美な福音のように響いた。


「そうだ……救済だ!」


「マザーの元へ行けるんだ!」


 絶望していた技師たちの目に、狂信の光が宿り始める。彼らは次々と立ち上がり、マザーの名を叫びながら、死地である炉心エリアへと走り出した。


(待って……!死ぬぞ!)僕は止めようとした。でも、声が出なかった。彼らの顔が、あまりにも幸せそうだったからだ。恐怖に歪んでいた顔が、恍惚とした笑顔に変わっていた。


 ギデオン先生は、そんな彼らを満足げに見送っていた。


「美しい……。これこそが、信仰の極致だ」


 先生は思い出したように僕の方を向いた。


 「君も行くかね? 選ばれし巫女として」


 僕は首を横に振った。激しく、何度も。


「い、嫌です……僕はまだ死にたくない……」


「そうか。残念だ。君はまだ、肉体の呪縛から逃れられていないようだね」


 先生は憐れむように微笑んだ。


 やがて、炉心の方角から、地響きのような音が聞こえた。それは悲鳴ではなかった。何十人もの人間が、蒸気に焼かれながら最期に上げた、歓喜の歌声だった。


 ―――数分後。炉心の温度が下がり始めた。彼らが命と引き換えに、バルブを開いたのだ。こうして都市は救われた。管制室には、僕とギデオン先生だけが残された。


 赤い回転灯が消え、静寂が戻ってくる。僕はモニターの前に座り込んだまま、動けなかった。彼らは救われたのだろうか。それとも、ただ無意味に死んだのだろうか。  分からない。ただ、マザーの言葉が、呪いのように耳に残っていた。


『くるしい からだ ぬいで』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る