第2話

 ちゅんちゅんと、雀の囀りが聴こえる。

 窓から差し込んできた陽光が、俺の瞼を透かしてくる。

 瞼は閉じたまま、慣れた手つきで、傍のスマホを手に取った。

 そこで、鉛のように重い瞼を開き、ホーム画面に表示された時刻を確認する。


 7:30


 引きこもりの俺にはやけに早い目覚めで、その割には思考もクリアで爽快な気分だった。

 

 昨夜のことを思い出すまでは……


「……ッ!」


 そうだ、昨日の夜中……いや、今日なのか? に玄関で死神とか名乗ったイカれた少女に襲撃をかけられて……俺は……


「――どうなったんだっけ?」


 六畳間の室内を見回して、あの少女がいないか確認する。

 目に飛び込んでくる光景は、山積みになった漫画、ディスクケース、空っぽになった弁当の容器などのゴミの数々。

 

 そこに、夜に出遭った少女の姿はなかった。


 俺は安堵のため息を吐き、胸を撫で下ろす。

 

 そうだ、たちの悪い夢だったんだ。


 母さんの死を発端に、いろいろ追い詰められてて、あんな訳の分からない夢を見たんだ。


「……」


 でも、現実はなにも変わっていない。遅かれ早かれ仕送りだけを頼りに生活していたことはバレるんだ。それを契機に俺は人生のどん底に叩き落とされるんだ。


「……はぁ」


 俺は、安堵とは別のため息を吐き、再び布団に身を包めた。

 なにもかも自分が悪いなんてことは分かってる。甘い汁を吸い続けてきた報いなのだ。

 なにも考えたくない。

 俺は再び目をつむり、夢の世界に逃げ込もうとした。

 こんな現実を直視するくらいなら、昨夜見たイカれた少女の夢でもいい。とにかく、自意識の存在しない世界に逃げたかった。


「そうですかそうですか、そんなにわたしに会いたかったんですね」


「うん……って、は?」


 俺は少女の高いソプラノの声で、一気に意識が覚醒した。

 ガバッと包まっていた布団を吹っ飛ばし、弾みをつけて起き上がる。

 眼前には、黒いパーカーに黒いショートの髪の少女。

 そして、少女の黒い双眸が、混乱している俺を覗き込んでいた。


「お、お前……」


 俺は一歩二歩と後退り、少女から距離をとる。

 すかさず、少女は一歩二歩と、ニタニタと笑みを浮かべながら俺に詰め寄ってくる。

 そして、背中と壁が密着したとき、俺の逃げ場は無くなった。


「く、来るな!」


 俺は無様にその場でへたり込んだ。

 少女は笑みを浮かべながら、おかしそうな目で俺を見つめている。


「もう、そんなにつっけんどんにしなくてもいいのに……」


 そして、少女は歩みを止め、へたり込んでいた俺に視線を合わせて、手に提げていた物を俺の眼前に突き出した。


「……へ?」


 突き出された物は、近所のスーパーのビニール袋だった。ゴツゴツとした表面から、野菜やらなにやらが大量に詰め込まれているのが分かる。


「朝ごはん作りますので、そんなに邪険にしないでください」


 そんな言葉を俺に向けて、少女はくるりと半回転。向かいにある台所へと向かっていった。

 そして、台所に散乱するゴミを隅に追いやり、ビニール袋の中にある野菜を取り出して、それを包丁で細かく刻み始めた。

 そして少女は首だけで俺の方へと振り返り、


「よく眠れたでしょ、睡眠圧縮のまじないを掛けときましたから!」


 俺はただただ、奇想天外なこの状況に圧倒されるばかりだった。




 それから30分間、料理をする少女の背中を部屋の中央にあるちゃぶ台で胡座をかいて眺めていた。


「はい! ウキちゃん特製カレーです!」


 ちゃぶ台にでんと置かれた二皿のカレー。

 見た限り、ナスやトマト、ズッキーニなどがふんだんに使われた、夏野菜カレーというやつだろう。香辛料の匂いが鼻腔をくすぐり、俺は自然と固唾を呑んだ。

 しかし、朝食にカレーかよ、なんて愚痴を吐きそうになったが、作ってくれた相手に失礼だと思って、かろうじて飲み込んだ。

 その代わりに、今いちばん知りたい疑問を吐き出した。


「お前はなんなんだ?」


 謎の少女は、自分で作ったカレーを口に運び、喜色満面に舌鼓を打っている。


「ん〜! やっぱカレーは簡単に作れて尚且つ旨い! アレンジの幅も広くて、正に神に相応しい料理です!」


「おい、人の話を聞けよ……」


「ん? ああ、そうでした。起きたら話すって言いましたもんね」


 そこで、少女はカレーを食べ進める手を止め、右手で胸をドンと叩いた。


「わたしこそ、死神協会の新進気鋭のエース! 明日張市担当死神のウキちゃんです!」


 先夜も聞いた話だが、厨二病を拗らせた妄想発言にしか捉えられない。

 疑心に彩られた俺の表情を見て、ウキと名乗った少女は、ぷぅ、と頬を膨らませた。


「わたしのこと信じてませんね!」


「信じられるかよ! そんな荒唐無稽な自己紹介で!」


「先夜の光景を見てもまだ信じられませんか。なら改めてお見せしましょう!」


 そこで、ウキは立ち上がり、虚空に右手を突き出した。

 ウキの存在を証明する影が、右掌に集中。ウキの身の丈を超える黒い棒が現れ、先端部の側面から、波打つ三日月型の曲刃が形成された。


「な!?」


 死神が持つような大鎌を目の前にして、その非現実的な威容に気圧される。

 先夜に見た大鎌は、夢か幻かと思って思考から片付けていたが、この光景を見る限り、現実だと判断せざるを得ないようだ。


「えへん! これでわたしが死神だってこと信じてくれたでしょ!」


 俺はガクガクと震えながら首を縦に振った。少なくとも、非現実的な存在と対面していることは確かだ。

 ウキは俺の怯えを見て取ったのか、大鎌をすぐに分解して己の影に戻した。


「そんな怯えるものかな、これ? 男の子なら、カッケェ! って感想が出て喜びそうなのに……」


「そ、それで喜ぶのは現実とフィクションの分別がつかねえガキだけだろ! 俺は立派な大人だ!」


なねえ……」


「な、なんだよ?」


「いーや、存外に冷たい態度取られちゃって凹んじゃっただけです」


 そこで、ウキは、ふぅ、と嘆息を吐いた。俺は質問を重ねる。


「で、そんな死神さまが俺になんのようだってんだ? 俺を殺しに来たのか?」

 

「達臣耕太……これから、って呼ばせてもらうね」


「わかったから、どうして俺のところに来たんだよ?」


「たっちゃん、死のうとしてたよね?」


「ッ!?」


 そうだ、俺は死のうとした。これから起こる不幸を想像して自暴自棄になって、こんな人生歩むくらいならとっとと自分の手で終わらせようと思った。


「な、なんでそのことを……?」


「神さまには、なんでもお見通しですよ〜! たっちゃんが仕送りだけを頼りに生活していたことも、なにもせずにずっと引きこもっていたことも」


 そこでウキは、ハッハッハッ、と高笑いして話を続ける。


「そこで、たっちゃんは本当に死ぬべきかどうか、わたしが審判を下しにきたのです!」


「審判って……お前、死神なんだろ? 俺の魂を奪いに来たとかじゃないのか?」


「死神って、字だけを見ると怖いですけど、邪心でも悪神でもないんですよ。ただ、死を司る神なんです。規律を破って無闇に魂を奪いはしませんよ」


「わ、わかったけど、じゃあ審判とやらはどうなんだよ。俺は死ぬべき人間だろ? さっきの大鎌で楽に殺してくれよ、死神なら楽に殺してくれるんだろ?」


「できますけど……じゃあ、判決を下しますね」


 俺はゴクリと固唾を呑み込んだ。

 このまま楽に死にたい。生きていても希望なんてない。こんなダメ人間を社会は許容なんてしてくれないはずだ。

 そうならとっとと死んで来世に希望を託した方がいいに決まってる。

 そのためにも俺は……


「たっちゃんは生きるべきです」


「……え?」


 予想外の判決だった。


「な、なんでだよ……こんな社会にも拒絶されて、家族にも拒絶されるはずの人間なんだぞ? どこに生きる価値があるんだよ!?」


「まあ、家族には拒絶されるでしょうね。4年間もこんな生活送ってたんですから。それは自らの怠慢が招いたことです。自業自得です」


「だ、だろ!? だったら俺は……!」


 そこで、ウキは身を乗り出して、人差し指を俺の口の前に翳した。続く言葉を制止するためだろう。


「でも、社会から拒絶されたって、たっちゃん一回しかバイトの面接受けてないじゃないですか。それだけで決めつけるのは早計というものです」


「で、でも、まともに受け応えもできなかったんだぞ? これじゃ、どこ行っても落とされるに決まってるだろ!」


「憶測でなんでも決めつけるのはたっちゃんの悪い癖です。でも、面接のときの記憶を見させてもらいましたが、確かに壊滅的な受け応えでしたね……」


「そうだろ? だったら俺に生きる価値なんて……!」


「あるに決まってます!」


 ウキはピシャリと断言した。


「わたしが生きるべき、と判決を下したとき、たっちゃんは心の隅でほっとしたはずです。わたしは知ってますよ」


「……うっ!」


 俺は散々、自分は死ぬべき人間だと決めつけていた。そんな心の状態で、生きていてもいいなんて言葉をお世辞でも投げかけられたら、自分が押し込んでいた自己肯定感が刺激されて、少しだけ胸が温かくなったのは事実だ。


「そんなことが心の隅にあるならたっちゃんは生きたいってこと! たっちゃんがダメ人間だとしても、わたしは肯定するよ! 生きてこれからの人生を巻き返そうよ! 希望はどこかに絶対あるよ!」


「希望なんてどこにもない! 俺は自分で捨てちまったんだよ! だから俺みたいなクズに生きる価値はない!」


 俺は反射的に怒気を孕んだ声を発していた。しかし、ウキは一切怯まず、ニコッと口を弓にしていた。


「たっちゃんはさ、もし自分に優しくてかわいい彼女がいて、大金持ちで、夢も叶って、今置かれてる状況みたいなしがらみがないとしたら、死にたいと思う?」

 

「……は? なら、死にたいなんて思わないだろ」


「だよね、幸せの形はさまざまだけど、こんな好条件が揃ってたら誰だって死にたいって思わない。こんな状況でも死にたいって思う人間は死ぬべきなんだと思う。そういう人間の魂をわたし達は刈り取るの」


「だ、だからなんなんだよ?」


「たっちゃんは言ったよね、こんな好条件なら死にたいと思わないって。だったらさ、そんな希望を一緒に探してみようよ?」


「一緒にって……」


「さっきの例えは大袈裟だけど、そんな馬鹿げた希望を探すので良いんだと思う。そんな希望が見つからなくても、その道中で自分に合った希望はきっと見つかるから!」


 そこでウキは立ち上がり、ちゃぶ台を回り込んで俺の傍に座った。そして、両腕を俺の後頭部に回した。


「!?」


「わたしは知ってるよ? お母さんが亡くなったときに一晩中泣いてたたっちゃんの事を。たっちゃんは優しいんだね。そんな誰かのために涙を流せる人の魂を冥界は求めてないの」


 ウキの体温は感じない。空気に抱きつかれてるようで、温かくもないし、冷たくもない。これが死神というものなのだろうか。

 しかし、俺の心に温かいなにかが溢れ出してきた。

 そして、その温かいなにかは、全身を駆け巡って目頭から涙となって溢れ出した。


「ぐっ……うっ……」

 

 俺はウキを抱き返して、声にもならない嗚咽を繰り返した。そこに邪な心など微塵もない。ただ、母の温もりを求めるようにその体温を感じようとした。

 ウキはそんな泣きじゃくるみっともない大人の頭を、子供をあやすように、よしよしと撫でた。

 

 それから、何秒、何分、何十分と時間が過ぎただろうか。

 泣き止んだときには、すっかりカレーは冷めていた。

 ウキは再び自分の対面に座り、カレーを食べ始めている。


「冷めても旨いよたっちゃん! カレー食べて気分切り替えてこ!」


 俺も倣うように、カレーを食べ始めた。すっかり冷めているが、野菜の旨味が凝縮したカレーは美味しかった。

 不思議なことに、冷めているはずなのに食べると体があったかくなるようだった。

 向かいに座るウキが、ニヘッ、と笑ってカレーを口に運ぶ俺を見ている。


「これから、頑張ろうね! たっちゃん! いつでもわたしがついてるから!」


 そんな言葉と、太陽のような笑顔が眩しい。

 俺の顔は自然と綻んでいた。とても久しぶりに笑った気がした。

 これからの人生は前途多難だろう。

 でも、傍にウキが居れば、なんとかなる気がした。

 俺は、カレーの最後の一口を食べ終えると、立ち上がり、玄関の前に立った。


「どこか行くの? たっちゃん」


「うん、希望を探しに」


 玄関扉を押し開ける。

 

 久しぶりに浴びた陽光は、とても心地よくて、あたたかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダメ人間と死神ウキちゃん 果汁20% @kazu6519

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画