第15話 ボクシングジム

 東京に戻るはずだった。だけど、杏子は反対の電車に乗っていた。社長に会いに行こうと思ったのだ。あの夜の礼も言わなくてはならない。TSCの本部がある浦和店に神木こうのき社長は居るはずだった。

 浦和店への道を辿りながら歩いていると、小さなボクシングジムがあった。マサオ・ボクシングジムと看板が出ている。

 マサオ? 誰だろう。杏子には全く分からなかった。そして何度か浦和店には来たことがあるが、こんなボクシングジムは初めてだ。今まで気が付かなかったのか、それとも・・・。

 大きなガラス張りのジムだった。3階建ての小さなビルで、1階がジムで、2階には飲み屋が、3階は消費者金融だ。

「いかにも場末な感じだわ・・・」

 杏子はそう思う。ボクシングなんて・・・、場末なのよ。そんな気持ちがしたが、それを口にするのは憚られた。仮にも16才から18才まで自分も全てを賭けてたのだから。

 杏子は吸い寄せられるように、ジムの前に来ていた。ガラス窓から中を覗き込む。リングがあった。だけど、その他の設備は普通のボクシングジムとは少し違っていた。奥には3台のエアロバイクがあり、2台は練習生らしき若者が乗っている。

 更にその隣にはアブコースターが置いてあった。アブコースターは腹筋を上部から下部まで鍛えられる腹筋専用マシンだ。

「進んでるなあ」

 杏子が感心する。よく見るとジムの入り口近くには、体重計とともに体組成計があり、血圧の測定器もある。

 そして反対側の壁際の方を見た杏子は驚いた。そこはダブルエンドバッグがあったのだが・・・、それに向かっている男性は紛れもなく神木社長だったのだ。

「社長・・・?」

 その声が聞こえたわけではないのだろうが、突然神木が杏子を見た。そして手招きしてきたのだ。唖然とする杏子だが、それに気が付いた誰かがジムの入口ドアを開けて出て来た。

「見学は自由だから。どうぞ」

 中年の男が杏子を招き入れた。ジムの中にはエアロバイクの2人を含めて5人の練習生が思い思いに身体を動かしている。館内は明るく、汗臭い古びた雰囲気は全くなかった。

 杏子はその中年の男に神木社長の前まで案内された。

「杏子、紹介しよう。元東洋ジュニアバンタム級チャンピオンのブルドーザー真尾さんだ」

 今案内してくれた中年の男だった。そして名前に驚く。

「ぶ、ブルドーザー?」

「昔はそういうのが流行ったんだよ。リングネームだ。ここのオーナーの真尾真司さんだ」

「よろしく。格好いいお姉さんだねえ。カミキも隅に置けねえ」

ジムオーナーが戯けてそう言った。どうやら神木社長とは仲が良いらしい。

「あ。はい。御子柴杏子です」

「カミキんとこの人?」

「いや・・・」

 社長が簡単に否定した。

「何か訳ありそうだね。じゃ、ごゆっくり」

 何かを察したのか真尾は事務所に引っ込んでいった。

「どうしたんだ、杏子? 私に用があったのか?」

「あ、いえ。警察でお世話になったので挨拶だけはと思って・・・」

「そうか。あん時はお前、ぐでんぐでんで何も聞けなかったんだが、何があった?」

 神木が杏子に尋ねる。

「三反薗店長に聞いてるんでしょ?」

杏子が挑戦的に返した。

「顛末はな。川口でってことは川口店へ行った帰りなんだろ? そこで何かあったんじゃないのか?」

 痛いところを突かれた。今まで誰もそこは問題にしなかったのだ。杏子は元々酒癖の良くないところもあり、飲み過ぎて店で喧嘩した・・・そういうことで終わっていた。

 だがそうなるには何らかの原因があったはずだと、神木は察した。

「ああ、それは・・・」

「喋っちゃった方がさっぱりするぞ」

「もうさっぱりも何も、クビですから。仕事も無くしてさっぱりですよ」

 杏子はいつもの口調で自虐的に返した。

「らしくないな。いつだって攻撃的な御子柴杏子が」

 神木はそういうと顔馴染みらしい練習生を呼んだ。

「杏子。やってみないか?」

 神木がダブルエンドバッグを指した。

「え?」

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