第13話 遠い過去の試合

 今から8年前、杏子が浦和女子実業高校3年の時だ。インターハイに出場した女子拳闘部は3位決定戦に進んだ。

 優勝のチャンスは失くしたけど、3位入賞を何としても果たす。チームはそう固く誓っていた。この年、浦女実業は個人戦では早々に全敗し団体戦に賭けるしかなかった。

 杏子はそんな状況下、3番手としてリングに上がった。3位を争うのは優勝経験のある強豪青森陸奥高校だ。そして杏子の対戦相手は主将の藤島だった。藤島は個人戦でも既に予選を突破している。優勝候補の一角だ。

 だが、杏子は臆することなくリング上で藤島キャプテンと向き合った。藤島は小柄だが恵まれた体格をしている。打たれ強いタイプだ。

 1ラウンド。試合は一進一退だったが、藤島がたまに放つ左ストレートだけが何度かクリーンに入った。その差で10対7と杏子は後れを取った。

 そして2ラウンド。杏子が猛攻を掛ける。左のジャブを当て、右ストレートが藤島の顔面をもろに捉えた。

「行け! 行け!」

 浦女実業の掛け声とともに、杏子は激しく手数を浴びせた。

「この回、主導権は杏子だ。押せ!押せ!」

 1対1の同点だった浦女実業は盛り上がった。ここまで杏子が試合を支配している。主導権に与えられるジェネラルシップポイントも杏子のものだ。

 そして2ラウンドも残り30秒。距離を取ろうと下がる藤島を杏子が追う。藤島は下がりながらカウンターを狙って左を伸ばしてきた。

 杏子はそのパンチを頭を振って躱し、前に出る。右ストレートを狙って腕をわずかに引いた。だが、藤島はすぐに反応した。上体を右に振って、足を一歩右に踏み出したのだ。

 ところが、杏子はストレートは打たず、身体を大きく捻って左フックを放った。右に体重を寄せてきた藤島の右頬に杏子の左フックが炸裂する。

 場内が静まり返る。鮮やかな体重を乗せた左フックだった。藤島は大きく体勢を崩すと、何とか踏ん張ろうと右足を出した。だが、足がついてこない。

 左フックが効いていた。藤島はそのままリングに尻餅をつく。立てない。

「ダウンだ!」

 浦女実業は勝利を確信した。だが、レフェリーの腕が横に振られた。

「スリップ!」

 場内がざわめく。滑った? そんなはずはない。杏子には分かっていた。あれは、効いていて崩れただけだ。

 藤島はゆっくりと立ち上がり、呼吸を整えていく。

 浦女実業は大荒れだった。皆口々に何かを叫んでいた。ただひとり、この時1年生の伴志津香だけはこの騒ぎに加わっていなかった。

 志津香は、この左フックに魅せられていたのだ。

「凄い・・・。あんなパンチって・・・」

 それは美しくさえあった。そして、私もあんなパンチが打ちたいという欲望が湧き上がってきた。それがその後の伴志津香の原動力となった。

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