第6話 傷跡

翌朝、携帯のアラームで目が覚める。

母さんは今日の夜に帰ってくる予定らしい。


(やっと母さんのうまい飯が食える……)


そう思っただけで、口元が勝手にニヤけた。


「はぁぁ〜……眠たぁ……」


大きく欠伸して背伸びをし、支度を始める。

さすがに今日の朝は何か食わないと、また倒れる未来しか見えない。


教科書を鞄に詰めて制服に着替え、せっせとリビングへ――


「あ……」


キッチンに立った瞬間、思い出した。


(食洗機にぶち込まれてる、昨日の皿……)


トースト焼いてる場合じゃない。

露骨にテンションが下がる。だが――


(今日一日頑張れば、夜は母さんの飯だ)


そう思えば、なんとかモチベは戻った。

俺は食洗機の中の皿を一枚ずつ、丁寧に食器棚へ戻す。

思ってたより量が多くて軽く絶望しつつも、作業は進む。


(昨日……楽しかったな)


そんなことを考えていると、いつも通りインターホンが鳴った。


「はいよー」


鞄を掴み、玄関を開けて外に出る。


「おはよう翔!」


「おっはー!」


「おはようございます、翔さん!」


――そこには、ヤンデレ三人組が満面の笑みで立っていた。


「お、おはよう……? こりゃまた大勢で」


いつもは夏樹だけなのに、結衣と菜々までいる。

昨日で家の位置を把握されたのだから、まあ、こうなるとは思っていたけども。


「大丈夫だったか?」


心配そうに眉を下げる結衣。


「全然大丈夫。完全ふっかーつ!だ!」


親指を立ててグッとやると、三人の顔に安心した笑顔が戻った。

そのまま、四人で学校へ向かって歩き出す。


通学途中、他の男子の視線が痛いほど刺さるが――これももう慣れるしかない。


俺が倒れてから三日。


それからは倒れることもなく、大きなトラブルもなく、平和な学園生活を楽しんでいた。


……まあ、例の三人のおかげで多少のイレギュラーはあるが、許容範囲内だ。


部活も、倒れた翌日から普通に出られている。

あの日が嘘みたいに身体が軽い。


前世じゃ走るどころか生きるだけで精一杯だったから、ついていけるか心配していたが――


驚くほど陸上部の生活に馴染んでいった。

夏樹は順調にマネージャー業を覚え、

結衣も楽しそうに走り、

菜々は未経験とは思えない勢いで吸収して、どんどんタイムを縮めている。


ただ一つ、気がかりがあるとすれば――

この三日、二年の蓮と颯太のヤンキー二人が、一度も部活に来ていないことだ。


(まあ、サボってるだけだろ)


正直、いない方が平和で助かってる部分もある。


そして今。

部活が終わり、三人と一緒に帰路についていた。


今日は金曜日。

明日は朝練があって、それを越えれば日曜で休み。

二度目の高校生活でも、平日はやっぱ長い。


乗り越えた俺のテンションは、自然と上がっていた。


「明後日の休み、どっか行かない?」


夏樹の一言で――修羅場が確定した。


「おい!抜け駆けしてんじゃねぇよ!」


「そうです!ありえないです!」


ほら見たことか。

火がついたおバカ二人が、予想通り声を荒らげる。


(夏樹……絶対ちょっと悪意あっただろ)


俺はため息をつきつつ、先を歩いた。


「……ッ、いたっ!」


ふと、菜々の悲鳴。


「は?」


振り返った瞬間、理解が追いつかない。

路地から現れた颯太が、菜々の手首を掴んで引っ張っていた。


「明後日、俺と出かけりゃいいじゃん。菜々ちゃん」


不敵な笑み。

結衣と夏樹は呆気に取られて動けない。


(動けるの、俺しかいない)


俺は菜々のもとへ駆け出した。

颯太に手を伸ばし、掴もうとした――その瞬間。


右頬に、激痛。


凄まじい衝撃で身体が回り、地面に倒れ込む。


「はっ。クソガキが調子乗りやがって」


視線の先に、蓮。

俺を殴り飛ばして、満足気な顔をしている。


(最初から……路地で待ってたのか)


「夏樹ちゃんと結衣ちゃんは、俺ね〜」


気持ち悪いことを言いながら、蓮が二人に手を伸ばす。


「お前、殺す」


俺が殴られたことで、結衣のスイッチが入った。


次の瞬間――


結衣の蹴りが綺麗な弧を描き、蓮の顔面に直撃した。


「いってぇ! テメェ!」


普通なら一発で倒れる。

でも蓮は、喧嘩慣れしてる。倒れない。


「夏樹! 警察呼べ!」


俺は起き上がり、叫んだ。

結衣も菜々も、完全にブチ切れかけている。

ここで夏樹まで巻き込まれたら終わる。


夏樹は一瞬固まって、すぐに頷く。

携帯を耳に当てながら走り出した。


「おい! ちょっと待て!」


慌てた颯太が、菜々を乱暴に押し退けて夏樹を追う。


「いった……!」


菜々が地面に倒れ、二の腕を擦って出血する。


「颯太! ちょっと――」


蓮も焦ったのか追おうとしたが――

その途中で、蓮の顔面に綺麗な飛び蹴りが炸裂した。


「結衣さん?だっけ。いい蹴りしてんじゃん」


声の主は、柊。

蹴り飛ばされた蓮は背中から倒れ、そのまま気絶。

鼻から血が垂れていた。


(なんで柊が――)


疑問が浮かぶより先に、俺は颯太の方を追おうとして振り返る。


「いぇ〜い!」


そこには――地面に伸びてる颯太。

その上に座り込んで、ピースしてる響。

隣で身を潜めてる夏樹も無事っぽい。


「お前ら……なんで……違う! 菜々!」


俺は菜々のもとへ駆け寄る。


「大丈夫か!?」


傷の確認をするため、腕を取って服をめくろうとした瞬間――

菜々が、震える声で止めた。


「……ちょっと待って。ダメです……」


「今はそんなの気にしてられないだろ!」


俺はそのまま、二の腕の傷を確認した。


……擦り傷。


そして、その下に。

刃で刻んだような白い線が、幾重にも。


呼吸が止まった。

頭の中で、何かが軋む音がした。



俺はその傷跡を見た瞬間、

見てはいけないものを見てしまったような感覚に襲われ、一瞬、動きが止まった。


傷を見られた菜々は、俺と目を合わせようとせず、俯いたまま黙り込む。

その姿を見て、ようやく我に返った。


――違う。


固まってる場合じゃない。


一番苦しいのは、見られた菜々の方だ。

一瞬でも動けなくなった自分に嫌気がさしながら、俺は意識を切り替え、傷の手当てに集中することにした。


「これ使って」


そう言って結衣が差し出してきたのは、消毒液と絆創膏だった。

この三人の中で一番男勝りな結衣が、こんな時にさっと気遣いを見せるのが意外で、少しだけ胸が温かくなる。


「ありがとう」


短く礼を言い、それを受け取って、菜々の腕に触れる。

出来るだけ優しく、慎重に。


「菜々、大丈夫か?」


「……はい」


返事はあった。

けれど、そこにいつもの明るさはなく、今にも消えてしまいそうな、か細い声だった。


胸が、ちくりと痛む。


「翔〜! 夏樹ちゃんもちゃんと無事だぜ〜!」


その空気をぶち壊すような、響のやかましい声が響く。

視線を向けると、夏樹と並んで手を振りながら、こちらに歩いてきていた。


……そうだ。


この二人にも、ちゃんと礼を言わなきゃな。


「柊も響もありがとう。マジで助かった。

 ……でも、なんでここに?」


「全然〜。なんかコイツらコソコソしてて怪しかったからさ。

 何企んでんのか気になって。とりあえず学校に報告しとかないとな」


そう言いながら、柊は気絶している蓮の頬を思い切り叩いた。

パァン、と乾いた音。


「ッ……てめぇ、この間の一年のガキ!」


頬にくっきり手形を残したまま、蓮が目を覚ます。

どうやら以前から柊と面識があるらしい。


「知り合いなのか?」


「空き教室占領してた時に居たから、一回ボコしただけ」


……なるほど。

可哀想に……いや、やっぱり自業自得だな。


「じゃ、俺らこいつら連れて学校に報告してくるわ。

 まだ開いてるだろうし。

 悪いけど、夏樹ちゃんと結衣さんも来て」


「「えー!?」」


二人が見事に声を揃えて顔を見合わせる。


「“えー”じゃない。証人いるし、菜々さん怪我してるんだから当たり前でしょ」


まさか柊から、こんな正論が飛んでくるとは思わなかった。

正直、少し感動してしまった。

渋々文句を言いながら、夏樹と結衣は柊たちと一緒に学校へ戻っていく。


ビンタされて起こされた蓮はともかく、引きずられながら連れていかれる颯太が、少しだけ哀れに見えた。


……まぁ、完全に自業自得だけど。


「菜々……帰ろう」


そう声をかけると、菜々は小さく頷いた。

再び歩き出した帰り道。

さっきまでの賑やかな雰囲気は消え、氷のように冷えた沈黙が続く。


――どうする。


菜々が自傷行為をしているなんて、夢にも思わなかった。

けれど、その気持ちは、俺にも分かる。

前の人生で、俺も似たところまで追い詰められたことがある。

だからこそ、余計に胸が痛んだ。


空気をどうにかしたい。

でも、どんな言葉も浮かばない。


……なら。


ええい、ままよ。


俺は菜々の手に、そっと自分の手を伸ばし、握った。


「っ……!」


突然のことに、菜々の肩がびくっと跳ねる。

みるみる顔が赤くなり、恥ずかしそうに俺とは逆の方を向いたまま歩き続ける。


俺も、顔が熱くなっていくのが分かった。

多分、同じような顔をしている。

うるさく脈打つ心臓を必死に抑える。


……これ、ワンチャン悪化してないか?


そんな不安とは裏腹に、菜々はその手を、ぎゅっと握り返してきた。


数分後、俺の家が見え始めた頃。

ようやく菜々が口を開く。


「……家、来ませんか?」


心臓が、さらに早鐘を打つ。

体の奥から、熱が込み上げてくる。


「……行く」


人生二度目の、女の子の家。

胸は高鳴るが、脳裏には先ほど見た傷跡がちらつく。


俺は、この子を少しでも楽にしてやれるだろうか。

……いや、もう見てしまった以上、見なかったふりは出来ない。

そんなことを考えているうちに、菜々の家の前に着いていた。


「あはは……手、びっしょりですね」


繋いでいた手を離しながら、菜々が笑う。

言われて初めて気付いた。

確かに、手汗でびちゃびちゃだ。


……そりゃそうだ。


人生でまともに女の子と手を繋いだことなんて、ほとんど無い。

菜々は鍵を開け、俺を中へ招き入れる。

そのまま再び手を引かれ、部屋へと案内された。


「……え?」


扉を開けた瞬間、俺は言葉を失った。

勉強机と布団だけの、簡素な部屋。

その壁一面に貼られた、無数のスケジュール表とテストの点数表。


「陸上辞めろ」


そんな言葉が書かれた紙まで、無造作に貼られている。

中でも目を引いたのは、休日用のスケジュール表だった。


――朝四時起床。

――三十分で朝食。

――十八時まで勉強。

――三十分で夕食。

――深夜一時まで勉強。

――就寝。


……異常だ。


一目見ただけで分かった。

菜々の親は、間違いなく“毒親”だ。


「何も無い部屋だけど……適当に座って。

 今日、お母さん帰って来ないから……心配しなくて大丈夫だよ」


菜々はそう言って、床に座り込んだ。


「……菜々のこと、ちゃんと聞かせてほしい」


考えるより先に、言葉が出ていた。

学年トップの成績。

何でも器用にこなす優等生。

そして、ヤンデレ。

俺は、この子のことを、何も知らない。


「全部受け止めきれるかは分からないけど……

 俺で良かったら、話してほしい」


その瞬間――


「……っ……ぁ……わぁぁぁぁぁ……!」


菜々は一瞬固まり、次の瞬間、堰を切ったように泣き出した。

大粒の涙を零し、声を上げて泣く。


普段の明るい姿からは、想像も出来ないほどの泣き方だった。

俺は何も言わず、菜々を抱き締める。


「……っ……ご、ごめん……ありがとう……」


しばらくして、ようやく落ち着いてきた菜々が、そう呟いた。

そして――


菜々は、自分の“闇”を語り始めた。


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