第2話 記憶に無いこと
「よっしゃ、着いたな。頑張るか〜」
校門を見上げながら、俺は一つ息を吐いた。
二度目の高校生活――いや、二度目の人生と言ってもいい。
俺の行動次第で、未来は変えられる。
借金に追われる人生とも、うまくいけばおさらばだ。
それどころか、欲を言えばもっとマシな暮らしだって目指せる。
(こんなチャンス、もう二度と来ねぇ)
気合を入れ直す。
学校は、記憶とまったく同じだった。
朝日ケ丘高校。偏差値50の、どこにでもある普通の高校。
校門前には先生が二人立っていて、登校してくる生徒たちに声をかけている。
律儀に挨拶する生徒もいれば、完全無視する生徒。
中にはなぜか一発芸を披露して、周囲から冷たい視線を浴びている謎の生徒もいた。
……平和だな。
生徒玄関で靴を上履きに履き替え、夏樹と一緒に校内へ入る。
教室は四階。階段側から一組、二組、三組、四組。
俺は三組。
そして、夏樹も三組。
「翔くん、今日吹奏楽の部活、一緒に見に行かない?」
「いいよ。放課後な」
「やった!」
そんな会話をしながら、教室後ろのドアを開ける。
すでに中には六人ほど来ていた。
朝が異様に早いやつって、どの時代にもいるよな。
……それより。
(席、どこだっけ)
教卓の上に置かれている座席表を確認する。
六列構成で、一クラス二十八人。
俺の席は――窓際の、一番後ろ。
席に向かい、鞄を下ろす。
隣は夏樹。
知ってる人が隣なのは安心……なんだけど、
朝の一件を思い出すと、ちょっと怖い。
まぁ、可愛ければオッケーです。
◆
時刻は八時二十分。
生徒が次々と入ってきて、教室は一気に賑やかになる。
懐かしいなぁ、と思いながら一人で黄昏ていた。
……いや、違う。
俺、誰が誰だかわかんねぇだけだ。
「お、翔〜!おはよう!」
前の席に鞄を置いた男子が振り返る。
短髪で、いかにも運動部って感じ。
……誰?
「お、おはよう」
「今日も夏樹と一緒に登校か?リア充め」
「……お、おう」
やめてくれ。
楽しそうに話しかけられるほど怖い。
夏樹を見ると、顔を真っ赤にして俯いていた。
「……ところで誰だっけ?」
本日二度目のこのセリフ。
正直、言いたくなかった。
「は?俺は
「いや、そのゴミを見る目やめろ」
「……冗談、だよな?」
なんとか誤魔化せたが、心臓に悪い。
記憶と違うことが多すぎる。
「おはよう、翔」
その声に、救われた。
「お、おはよう柊」
中学からの同級生、
知ってる人だ。
それだけで泣きそうになる。
柊は俺の斜め前――夏樹の前の席に座った。
(……よし、周りは知ってる人ばっかだ)
二人ほど知らないけどな。
◆
八時四十分。
SHRが始まる。
教室に入ってきた先生を見て、俺は固まった。
……誰だ。
俺の記憶にある担任とは違う。
背が高く、無駄にイケメン。
「なぁ柊、あれ誰だっけ」
「藤井先生だけど?」
「あー……そうか」
「今日どうしたんだよ」
「一時的な記憶障害」
冗談に聞こえるが、割と本気だ。
俺の知ってる高校生活と、確実にズレている。
◆
授業は順調に進み、昼休み。
知識をなぞる感覚は悪くなかった。
前の人生で何も考えずに生きていた時間より、何倍もマシだ。
ただ一つ、気になることがある。
(……夏樹、ノート書きすぎじゃね?)
異様な集中力で、何かを書き続けていた。
◆
そして、重大なミスに気づく。
「……弁当、忘れた」
オカンの弁当を机に置きっぱなしだ。
「翔くん、私の食べる?」
「いや、いいよ」
「ほら、あーん」
……待て。
「……あーん」
美味い。
めちゃくちゃ美味い。
「手作り?」
「そだよ」
「天才じゃん」
「えへへ」
……これ以上はダメだ。
「柊と響は?」
「どっかで食べてると思う」
一瞬、夏樹の目が冷えた。
「……私といるの、嫌?」
「違う違う」
「そっか」
空気が重い。
◆
トイレで一人、頭を整理する。
俺と夏樹は、
“元から仲が良かった”ことになっている。
響という新しい友人。
担任の変更。
(……まだ、何かあるな)
でも、今は考えすぎない。
二度目の人生は、まだ始まったばかりだ。
◆
考えをまとめ終えた俺は、トイレから出て廊下を歩き、教室へ戻ろうとした。
「あ、翔じゃん」
不意に、女の子の声がした。
声のした方を見ると、三組の教室の前からこちらへ歩いてくる女子生徒が一人。 長い髪を揺らしながら、当たり前みたいな顔で立ち止まる。
……誰だ。
心の中でそう叫んだ瞬間、嫌な予感がした。
「……ごめん、誰だっけ?」
できるだけ軽く、冗談っぽく言った。 これで怒られたら今日はもう終わりだ。
「なにそれ。私は
少しだけ眉をひそめて、でも笑いながら名乗る。
──ああ、思い出した。
前の人生でも、確かにいた。 幼なじみで、よく一緒に帰って、よく喧嘩して、よく笑ってた。
……でも。
(なんか、違う)
その違和感を言語化する前に、結衣の空気が変わった。
「翔さ」
声が、少し低くなる。
「なんで、夏樹とばっかり一緒にいるの?」
一歩、距離を詰められる。
「私とは? 一緒に食べてくれないの?」
問いかけなのに、答えは最初から決まっているような目だった。
「嫌いなの?」
──来た。
背中に冷たいものが走る。
「いや、今日は弁当忘れててさ……」
「じゃあ私の食べればよかったじゃない」
被せるように言われる。
「そんなに、夏樹の方がいいの?」
……言葉の選択肢、全部地雷だ。
「翔」
じっと、目を覗き込まれる。
「明日は一緒に食べるよね?」
疑問形なのに、断れる気がしなかった。
「……うん」
それだけで、結衣は満足そうに微笑った。
「じゃあいいや。今日は許してあげる」
そう言い残して、何事もなかったかのように去っていく。
俺は、しばらくその場から動けなかった。
(……人って、あんな目できるんだな)
蛇に睨まれたカエル、ってこういう感じか。
◆
教室に戻ると、案の定、夏樹に捕まった。
「遅かったね?」
距離が近い。 笑顔だけど、圧がある。
適当に誤魔化し、なだめ、ようやく席に着いたころには、精神的にヘトヘトだった。
──薄々、分かってきた。
この世界の人間関係、俺の知ってるそれと違う。
◆
放課後。
約束通り、夏樹と吹奏楽部の見学に向かう。
「今日一日、これ楽しみにしてたんだよ?」
重い。 いや、嬉しいけど、重い。
吹奏楽部は別棟。 体験入部歓迎の張り紙。
夏樹はトランペット、俺はパーカッション。
夏樹は経験者らしく、音が綺麗だった。 素人目でも分かるくらい。
一方、俺は鍵盤系が壊滅的。 「カエルの歌」のはずが、よく分からない儀式音楽になった。
泣きたい。
◆
下校時間。
「楽しかったね」
「夏樹、上手すぎだろ」
ドヤ顔される。
可愛い。 ……可愛いけど。
校門を出たところで、夏樹が言った。
「ねぇ、翔君。今日、うち寄ってかない?」
脳が一瞬、停止した。
断る理由が、浮かばない。
「……いいよ」
自分で言ってから、後悔した。
◆
夏樹の家は、俺の家から徒歩四分程の激近物件だった。
女の子の部屋に入るなんて久しぶりすぎてドキドキするなぁ。
そんなことを考えながら菜月の部屋に入った瞬間、押し倒された。
「──っ!?」
「えへへ……翔君、大好き」
距離ゼロ。 笑ってるのに、目が笑ってない。
力が、強い。
「夏樹、落ち着け……」
必死に離す。
一瞬、我に返ったように目を瞬かせて、
「……ごめん」
俯いた。
「抑えられなかった」
それだけで、全部察した。
(……これは、普通じゃない)
◆
その日は軽い会話をして早めに帰った。
頭を撫でると、少しだけ安心した顔をしたのが、逆に怖かった。
布団に倒れ込み、今日を振り返る。
記憶と違う人間関係。 距離の近さ。 視線の重さ。
未来を変えられると思っていた。
でも── 変えようと動けば動くほど、何かが絡みついてくる。
「……流石に簡単じゃないな」
呟いて、目を閉じた。
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