熱に浮く――04

 翌朝のニックはえらく快調だった。昨夜の熱が嘘のように下がり、全身の痛みも耐えられる程度になっていた。

 ラクになった、と胸を撫で下ろす。その一方で、昨夜の出来事を思い出して、怪我が治ったら奴の上唇と下唇を縫い合わせてやる、とすら考えていた。

 そんな折、部屋の扉が控えめな音を立てて開くのに気が付いた。


「――昨日は、本当にごめんよ」


 朝食を運びに来たヨハネスの表情はひどく曇っていた。若干、血の気が引いているようにも見えた。


 とても非常識なことをした。申し訳ない。謝って済むことではない。嫌な思いをさせただろう。怖い思いもさせただろう。本当はおれの顔を見るのだって嫌だろう。こうやって謝られても腹の虫は治まらないだろう。


「これからの世話は、妖精たちに任せることも考えている。……昨日は、本当にすまなかった」


 そう言って深々と頭を下げるヨハネスの目元には深いクマが刻まれていた。

 いやに整った眉毛をこれでもかと垂れ下げて、あらん限りの謝罪を口にされると、酷い言葉で責め立てようとしていた自分の方がみみっちく思えてならない。


「……昨日? 何のことだ? 熱出したせいか、あんまり覚えてねェんだよなー。でもほら、今はすげェ元気だし、何があったか覚えてねェけど、助かったぜ」


 だから、あんたもそんな思い詰めた顔すんなよー。

 予想外の深い反省にニックは頭を切り替えた。

 わざとらしい愛想笑いを浮かべて妙に調子づいた口調で言うと、ヨハネスは戸惑ったように目を瞬かせる。頼む、こちらの意を汲んでくれ!とニックが胸の内で祈っていると、しばらくしてヨハネスは、「元気になって良かった」と困ったように笑った。


 悪いと思っているなら水に流そう。

 水に流してなかったことにしよう。

 絶対そっちの方がお互いラクだし。


 どうせ、怪我が治るまでは嫌でも世話にならざるを得ないのだ。家主と気まずい雰囲気になるのはニックとしても決して本意ではない。

 昨夜、ヨハネスがとった行動はあくまで治療行為。

 人工呼吸の類だったのだと、そうでなければならないのだと、ニックは自分に強く言い聞かせた。


 *


 あの夜が嘘だったかのように、療養の日々は穏やかに過ぎた。

 ヨハネスの治療のおかげか、それとも神々の加護下である土地の恩恵か。十日も経つとニックは立ち上がれるほどに回復した。

 いつだったかな、とニックは記憶を掘り返す。北部で大工の仕事をしていた際にも足の骨を折ったことがある。その時は松葉杖なしで歩けるようになるまで二ヶ月近くかかったはずだ。医者からは早い方だと言われたが、骨折の完治には本来その程度かかると言うこと。

 それがほんの数日ですっかり良くなったのは、やはり奇跡と言って差し支えないだろう。身体が全快に向かっていることに安心を覚えつつ、尿瓶に小便をしなくて済むことに途方もない喜びを覚えた。


 まだ治り切っていない腕を庇いながら部屋の中で軽く身体を動かすニックを見て、ヨハネスは安堵の表情を浮かべた。そして、「家の中を案内しようか」と扉の向こうを指し示す。


「ずっとベッドの上で退屈だったろう。気晴らしついでに屋敷の中を見て回ろう。ついでにキッチンとか風呂場の場所も教えるよ」


 断る理由もなかったので了承すると、何がそんなに楽しいのか、ヨハネスはうきうきした様子でニックの前を歩いた。まるで、親しい友人と遊びに出かける幼い子供のようだった。

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