第六章(過去)
【1】
【9月】
僕の小学校生活は、決して充実していなかった。クラスで目立つようなキャラではなく、友だちと呼べるのは3人くらいだ。
病気が原因で、いじめみたいな状況になった時期もあった。喘息のせいで咳込む僕に「病気がうつる」「マスクしろ」みたいなことを言ってくる嫌なヤツがいて、みんなもそれに同調した。最初は傷ついたけど、すぐに考えないようにした。考えてもどうしようもないと気づいた。そうしているうち、ブームが去ったみたいに僕へのいじめもなくなっていた。
そんな僕に、突然大きなラッキーがやってきた。
平日の夕方、お母さんに借りたスマートフォンでアプリゲームをしているときだった。滅多に出ないレアキャラをガチャで引き当てることができた。僕は思わずガッツポーズをし、ゲームを遊んだこともないお母さんにまで報告していた。その日は一日中、興奮が収まらなかった。
そのアプリゲームは、仲間と協力しながらキャラを戦わせるアクションゲームで、学年中で流行っていた。
次の日、クラスの男子がそのゲームの話題を出すのを待って、僕は会話に加わった。みんなは僕のことを快く受け入れてくれて、たくさん褒めてくれた。「フレンド申請」をしたいと、みんなが僕のノートにアカウント名を書いてくれた。「フレンド」になると、みんなが僕のキャラを仲間として使えるようになるのだ。
みんなの驚く顔が、嬉しくてたまらなかった。
クラスの話題の中心に僕がいる。今までの学校生活が嘘のようだった。
【2】
その日の放課後になっても、みんなの注目は僕に集まっていた。学校を出るまで、色々な人から「フレンド申請よろしくね」と声をかけられた。
その状況が嬉しい反面、少しめんどうくさくも感じた。僕には行きたい場所があったからだ。
ー早く成果に言いたい!
成果はこれまでも、僕の話ならどんな話でも嬉しそうに聞いてくれた。今日のことを成果に報告したら、どれだけ褒めてくれるだろう。変わった僕を見て、成果は喜んでくれるに違いない。
そんなことを考えていたら、午後の授業はほとんど頭に入ってこなかった。
羽根が生えたように足取りが軽い。いつもよりももっと早足で、病院に向かった。
病室に入ると、真っ先に椅子へ座った。
「成果、僕、すごいんだよ」
「どうしたの?そんなに慌てて」
僕は昨日からの出来事をたっぷり話した。これまでにも成果にアプリゲームの話をしたことがあったが、詳しいことは話していなかったので、何が凄いのか分かりやすいように、そのあたりも付け加えながら。
「クラス中みんな驚いてさ!見てよこのノート」
ランドセルから、アカウント名がぎっしり書かれたノートを取り出す。机に置かれたそれを、成果が指でなぞっていた。
「これは…何?」
「だから、みんなとフレンドになるためのやつだってば!さっき説明したじゃん」
「あぁ、これがそうなんだ」
「そうそう。だから帰ったら、フレンド申請で大変なわけ。なんせ数が多いからさ」
「全部は大変だね」
「うん…」
話をしている最中から、何かがおかしいと感じていた。自分は全力で走っているつもりが、振り返ると誰も付いてきていないような感覚。
思わず、僕は聞いた。
「なんか、反応薄くない?」
その時初めて、成果の顔を見た。普段通りの顔だった。ここに来るまでに想像していた顔ではなかった。
「そんなことないよ、でもごめん、ちょっと難しくてさ」
「難しくないよ、ちゃんと説明してるし」
「そうだよね、ごめん。なるちゃんがみんなと仲良くなれたのは、本当にいいことだと思うよ」
そのあと、成果は「ちょっとごめん」と立ち上がり、トイレに行ってしまった。
病室に取り残された僕は、やり場のないモヤモヤを感じていた。成果が戻ってきたらどんな態度を取ってやろうか、そればかりを考えていた。
「ごめんね、ずっとお腹ゴロゴロしてて」
かなり時間がたってトイレから戻ってきた成果は、申し訳なさそうに謝った。ずっとって、いつからだろうか。けれどその時の僕は、そんなことを気にかける余裕がなかった。
僕は聞こえていないふりをした。
「今日は宿題あるの?」
「…は?」
少しの沈黙の後、成果が口にしたのは全く別の話題だった。正直耳を疑った。当然、さっきの話題に戻ると思っていたからだ。
「宿題?そんなの今はどうでもよくない?」
「だって、夜はゲームやるんでしょ?ここで終わらせていきなよ」
「なんだよそれ…つまんないよ」
成果は純粋に、僕を気遣っていてくれたのだと思う。それでもそれを優しさと受け取る余裕がなかった。
「もっと…喜んでくれると思ってた」
「…ゲームの話のこと?」
今日の成果はひどく鈍感だと思った。
「ちゃんと喜んでるよ。お友だちができたら、どんな子かまた聞かせてね」
違うんだ。友だちなんてどうでもいい。
そうじゃなくて…ただ、「スゴいね、なるちゃん」って言って欲しかっただけなのに。
「…もういい」
僕は机に出したノートをランドセルに押し込んで、椅子から立ち上がった。
「待ってなるちゃん!」
大股で歩き、病室のドアに手をかける。成果の呼び止める声に、振り返ることはしなかった。
廊下に出た瞬間、胸の奥が急に冷たくなる。
何に怒っているのか、自分でもよく分からなかった。
その日以降、成果の病室に通う習慣はなくなった。通院の際も、立ち寄ることはなかった。
かわりにアプリゲームに没頭した。しばらくはクラスの中心だったが、隣のクラスの誰かが僕のよりも珍しいキャラを引き当てたとたん、誰も僕のキャラを使わなくなった。
僕は元通り、クラスでは目立たないキャラになった。
そのことを報告する相手も、今はいない。
【3】
あたしはこれから、知らない人のお見舞いに行くことにしている。
「睦歩、これ持ってきなさい」
ママから渡されたのは、お中元で届いたフルーツゼリーだった。箱に入ったまま、しばらく置いてあったことを思い出したんだろう。
「こういうの、いいのに」
「意外と大事なの、こういうのも」
紙袋に入れ直されたゼリーを受け取って、あたしは家を出た。
「あっつ…」
容赦ない日差しが照り付ける道を、自転車で走った。もう夏休みが明けて半月以上経つのに、まだまだ秋は遠いらしい。
これから会いに行くのは、月森成果という名前の年上の女性だ。あたしの幼馴染が通う病院に入院しているらしい。それ以外は、顔も、声も、何も知らない。
幼馴染のなるちゃん(五和鳴海)は、あたしにとって弟みたいな存在だった。男の子なのに向こうの方がずっと小柄だし、引っ込み思案で周りとも馴染めない。でもそれは身体が弱いせいであって、生まれつきなものは仕方ないと思う。
実際、彼にも良いと思えるところはある。なるちゃんは、自分の芯をしっかり持っていた。周りに合わせたりせず、自分が本当にしたいことをする。4年生の時、バカな男子からいじめられたときも、自分を曲げなかった。あたしは心配してママに相談したくらいなのに、なるちゃんは呑気に読書をしていた。ママは、「あんたとは真逆のタイプね」と笑った。
自分には無いものを持っている、そんななるちゃんを、心から尊敬していた。
なのに最近、なるちゃんがおかしい。誰かと中身が入れ替わったとしか思えないくらい、別人のようになってしまった。
ー成果っていう人がいてさ
そのきっかけこそ、月森成果という人物だった。今年の春にその名前を聞いてから、みるみる彼が変わっていった。
まず、妙に明るくなった。とくにその成果さんの話をするときは、とても嬉しそうだった。あったことをそのまま話すから、正直内容が分からないことも多かった。
何より大きな変化は、彼が周りに影響され始めたことだ。当然、最も影響を与えているのは、その成果さんだった。最近は事あるごとに「成果ならこう言うはず」とか、「成果が好きそう」とかを基準に物事を判断している。
これまでは距離を取っていたクラスメイトと仲良くしだしたのにも驚いた。そのなかには、4年生の時いじめに加担していたような人も混じっていた。そんな人たちと仲良くしようとすること自体、以前の彼ならあり得なかったと思う。
そして今はというと、彼は魂が抜けたように毎日を過ごしている。成果さんとの関係が悪くなったことに加え、一度は近しくなったクラスメイトからも相手にされなくなった彼は、以前のようにその事実を受け入れられていないみたいだ。本来の彼であれば、この状況でものらりくらりと乗り切っていたに違いない。
あたしが尊敬していたなるちゃんに、なんとか戻してあげられないだろうか…。そう考えたとき、彼が変わったきっかけである成果さんに会いに行くということを思いついた。
一体どんな人だろうか。あたしの弟分に変な影響を与えた人物を想像する。そもそも高校生で入院しているなんて、何か悪いことに巻き込まれて大怪我でもしたんだろうか。だとしたら一人で来ないほうがよかったかもしれない。
なるちゃん本人には、会いに行くことを伝えていない。事前に言っておこうかとも思ったが、今は成果さんのことを思い出したくないだろうからやめておいた。
20分ほど走って、街の総合病院に到着した。
ここに、成果さんがいる。
何を弱気になっている。話を聞くだけだ。相手は怪我人なんだし、いざとなったら逃げればいい。
ゼリーの入った紙袋を強く握りしめて、エントランスへ足を踏み入れた。
【4】
"月森成果さんの病室はどちらでしょうか”と受付の人に聞くと、すんなり4階のこの部屋を教えてくれた。ドアの横のネームプレートも確認したから、間違いないと確信した。
けれど、ノックをしても返事はなかった。留守なんてこと、あるだろうか。
「失礼します」
しばらく迷ったが、このまま帰る気にはなれずにゆっくりとドアを開けた。
個室の病室。ドアの向かい側に窓があり、その脇にベッドが設置されていた。
そのベッドに、一人の人影があった。先に言っておくと、その人はどこにも包帯なんか巻いていなかった。
彼女は真っ白なシーツに包まれて、静かに眠っていた。
それを見た瞬間、自分の行いが完全に間違いだったと気づいた。入院しているということは、寝ていてノックに気づかない可能性もあるじゃないか。何が留守だ、30秒前の自分を叱りたくなった。いや、もっと前から間違いだらけだった気もする。
開きかけたドアを再び閉めようと試みる。ゆっくりと、音を立てないように…。
「ん…」
ドアが閉まる寸前、寝ていた彼女が声を漏らした。ビックリしたあたしは、思わずドアを閉める手を止めてしまった。
「なるちゃん…?」
寝起きだからか少し舌足らずの声で発せられた名前は、よく知っている人のものだった。
「ち、違います…すみません」
ドアの向こうの声に返事をした。このまま逃げ帰ることも考えたが、さすがに後味が悪すぎる気がした。
再びドアを開け、彼女と対面する。
「勝手に開けてすみませんでした。あたしは明坂睦歩と言います。なるちゃんの幼馴染です」
そう言って頭を下げた。想定とは全く違った展開になってしまい、もう何が何だか分からなくなっていた。
「あなたが睦歩ちゃん?」
「え…」
まさかの問いかけに驚いて顔を上げると、彼女と目が合う。彼女は優しい目で微笑んだ。
「なるちゃんから、睦歩ちゃんのことをよく聞いてたから」
彼女のことを知るどころか、先にこちらのことを知られていたなんて。
アイツ、いったい何を話したんだ?変なことじゃないといいけど…
「もしかして、ノックしてくれた?気づかなくてごめんね」
「いえ本当に、突然すみません」
こちらが押しかけて勝手にパニックになっているにもかかわらず、気遣いまでさせてしまった。なんて”出来た人”なんだ。
「あ…そうだ、これ」
気遣い、で思い出した。おもむろに手に持っていた紙袋を差し出す。ママから渡されたフルーツゼリーだ。握りすぎて袋はぐしゃぐしゃだったけど、味に変わりはないはず。
「つまらないものですが…」
「ありがとう。本当にもらっていいの?」
あたしは首を縦にブンブン振った。これで少しは取り返せたかもしれない。ママに感謝しなければ。
そんなことを考えていると、成果さんが不思議そうな顔で言った。
「私のことはなるちゃんから?」
「あ…はい、少しだけ」
「じゃあもしかして、なるちゃんから頼まれた…とか?」
「え?」
またもや予想外の質問に、間抜けな声が漏れる。
「頼まれたって…何を?」
「なるちゃんの忘れものがあってね」
そう言うと成果さんは、ベッド脇のマガジンラックから一冊の本を取り出した。
「この絵本なんだけど、借りたままになっちゃってて」
その本には見覚えがあった。保育園のころから、彼がずっとお気に入りにしている絵本だった。彼のママが読み聞かせてくれるのを、二人で一緒に聴いたこともあった。
「返したかったんだけど、どうすればいいか分からなくて…」
一瞬、成果さんの笑顔が曇ったように見えた。
「どうして…ケンカになっちゃったんですか?」
当初はするつもりもなかった質問。けれど聞かないわけにはいかなかった。
「…私が悪いの」
「聞かせてください。何があったか…」
成果さんは、数週間前の出来事をゆっくりと話してくれた。期待通りの反応ができず、彼を失望させてしまったこと。その一言一言に、後悔の色が滲んでいた。
あぁ、この人はなるちゃんを大切にしてくれているんだ。ここまでのやりとりで、十分そう感じ取ることができた。
「それって、成果さんは悪くなくないですか?」
「え…」
一通り話を聞いたところでの、率直な感想だった。
「だって、なるちゃんが勝手に盛り上がってただけだし。成果さんはしっかり聞いてあげてた方だと思います。だいたいアイツ、勢いでしゃべるからマジで意味分かんないときあるし。まだお子さまなんですよ」
あたしが話すのを、成果さんはしばらくポカンとした顔で見ていた。そして、急にバッと身体を起こして前のめりになった。顔が近い。
「そう思う…?」
「え?あ、はい」
「…よかったぁ」
そう言いながら大きく息をついたかと思うと、眉間にシワを寄せて険しい顔を作った。優しい顔立ちだから、ぜんぜん恐くなかった。
「そうだよね、私悪くない。だってなるちゃん、本当に何言ってるか分かんなかったんだもん」
「はあ…」
「大体、私だって聞いてほしいことがあるのに、いつも自分の話ばっかりで。ずるいよ、なるちゃんは」
そう言って唇を尖らせる様子は、年上であることを忘れてしまいそうになるくらい幼く見えた。
ずいぶんご立腹な様子の成果さんだったけれど、言い終えると恥ずかしそうに顔を赤くした。
「ごめんなさい、つい愚痴みたいになっちゃった。最近人と喋ってなかったからかな」
「退屈ですよね、入院も…」
「もう慣れたはずなんだけどね」
成果さんは笑ったはずだが、なぜだかその表情は、すごく悲しそうだった。
「…もう、成果さんとなるちゃんは仲直りできないんでしょうか」
成果さんは返事をしなかったので、続けて言う。
「あたし、本当は成果さんを誤解してました」
成果さんに出会って彼が変わったこと、それは自分が望む変化とは違ったこと、元の彼に戻ってほしかったこと、そのために今日ここへ来たこと。それらを順番に説明した。
「でも違った。成果さんはあたしが思っていたような人じゃなかった。なるちゃんは芯を失くしたんじゃなくて、信頼できる人に出逢ったんだ」
息継ぎも忘れて言い切ったので、呼吸が荒くなる。それが落ち着くまで、自分の息づかいだけがその場に残った。
しばらくの沈黙を挟んで、成果さんが言った。
「またなるちゃんと会えるなら、私は…」
それは、膨らんでいる感情を無理やり押しつぶしたみたいな言葉だった。
「でもダメなの…これ以上は、なるちゃんに迷惑をかけちゃう」
どうしてそんなことを言うのか、正直分からなかった。ふとママの言葉を思い出す。おそらくこの人も、自分とは真逆のタイプなんだろう。
「迷惑かけない人なんて、多分いないよ」
思ったことを、ほぼ反射的にそう返していた。
成果さんはしばらく黙ったままだった。
「あなたにも、重荷を背負わせちゃうかもしれない」
「そんなの、ぜんぜん重荷じゃないです!」
少しずつだけど、固く締まった扉が開きかけていくような気がした。
成果さんが「約束ね」と小指を立てた手を差し出したから、あたしも慌てて手を差し伸べる。小指同士が絡まり合い、たしかな約束が結ばれた。
「あたし、その絵本は預かれません。アイツが自分でここに来るまで、持っていてください」
「…うん」
成果さんはその本を、胸の前でギュッと握りしめていた。
その会話が終わると、病室をあとにした。帰り際、成果さんはもう一度「ごめん」と呟いたけれど、あたしは何も心配ないと笑顔で応えた。
エレベーターに向かって廊下を歩き出すと、向こうから白衣を着たお医者さんと看護師さんが歩いてくるのが見えた。
「お嬢ちゃん、成果ちゃんは部屋にいたかい?」
すれ違うとき、そのお医者さんに声を掛けられた。胸元の毒々しい色のネクタイが、やたらと目についた。
病室から出てくるところを見られていたとは思わなかった。驚いたせいで中途半端な返事になってしまったが、お医者さんは特に気にする様子もなく、「そうかい…ありがとう」と言った。子ども相手にしては、やけに静かな声色だった。
再び廊下を進む。背後でノックをする音が聞こえる。おそらく成果さんの部屋だろう。あたしはなぜだか振り返らないようにしていた。
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