第五章(現在)

【1】

 あの日以来、鳴海はライと定期的に交流を続けていた。交流と言っても、どこかに遊びに出かけたり、お互いの家に行ったりというようなことはなく、学校終わりに茜川で会話をすることがほとんどだった。それでも二人は十分に打ち解けることができた。

 会話の内容は、最初のうちこそ他愛もない話題に終止していた。好きなテレビ番組やアーティストの話だけでその日が終わることも珍しくなかった。

「わたし、学校行けてないんだ」とライが話したのは12月のクリスマス前、出会ってから1ヶ月半が過ぎた頃だった。まるで明日の天気の話でもするみたいに、あっさりした言い方だった。

 唐突なカミングアウトだったが、鳴海はそれほど驚かなかった。出会ってからこれまでの様子から、何かはあると察しがついていたからだ。

「バレバレだったよね。制服なんて着てたことないし」

 そう言うと、ライはため息混じりに笑った。

「ライから言い出してくれるまでは待つしかなかった。ごめん」

「ううん。待ってくれてたの、分かってたから」

 ライはそう言ってから、視線を足元に落とした。その沈黙は、次に続く言葉を探しているというより、どこまで話すべきかを推し測っているように見えた。

「…別に、学校が嫌になったとかじゃないんだよ」

 鳴海は何も言わず、続きを待った。

「クラスも、先生も、たぶん普通。ちゃんとしたところ」

「じゃあ、どうして?」

「家の事情、かな。ママ…お母さんがね、すごく心配性で」

 ライはそう言って、少し困ったように笑う。

「昔、ちょっとあって」

「…ちょっと?」

 一瞬だけ、ライの言葉が詰まった。

「誘拐されかけたことがあるんだって」

 誘拐という現実味のない単語に、鳴海は言葉を失った。

 ライは、髪につけた星のヘアピンを左手でいじりながら続ける。

「わたしは小さすぎて記憶とかないんだけどね。それでお母さん、わたしが外に出るのとか、人と関わるのとか、すごく気にするようになって」

「学校も?」

「…うん。無理に行かなくていいって。わたしは全然、無理じゃないのに」

 守られているのか、閉じ込められているのか。

 鳴海には、その境界がはっきりしなかった。

「…まぁ、もう慣れたけど」

 ライは軽く肩をすくめた。

 その仕草だけ、変に大人びていた。

「高校生になったらね、少しずつ学校に行かせてもらえることになってるから」

「あと二年…か」

 鳴海にとっては、果てしなく長く感じられる。

「だからさ」

 ライは鳴海を見上げる。

「普通に接してほしい。わたし、そんな深刻な感じじゃないから」

 そう言われてしまえば、それ以上は踏み込めない。

 鳴海はただ頷いて、話題を変えることしかできなかった。

 その日の帰り道、鳴海は自転車を漕ぎながら、先ほどの会話を何度も思い返していた。

 あの言葉は、本心だったのか。

 それとも、これ以上聞かれたくなかっただけなのか。

 分からなかったから、何も言えなかった。


 -自分は、どこまで関わっていいんだろう。


 その問いが、頭から離れなかった。

 助けたいと思う気持ちは確かにあった。

 けれど同時に、過去の記憶がそれを引き止める。

 鳴海はペダルを踏みながら、強く唇を噛んだ。


 -自分はどうしたいんだろう。


 その先の答えは、まだ出なかった。




【2】

【12月24日】

 高校が冬休みに入ったため、平日にもかかわらずクリスマスイブはゆっくり過ごすことができていた。

 この日の朝、睦歩には二つの選択肢があった。ほぼ同時に別々のお誘いがあったのだ。

 一つは、男子バレー部の先輩からの誘いだった。部活仲間数人で集まって、パーティーをしようという内容である。

 もう一つは、鳴海から届いた短いメッセージだった。


『今日、ライと会うんだけど』

『睦歩も、一緒に来てほしい』


 時刻も場所も簡潔で、理由は書かれていなかった。けれど睦歩は、その文面を見た瞬間に察していた。


ーああ、これは“お願い”だ。


 迷いはほとんどなかった。気がかりな点があるとすれば、先輩の誘いを断ることによる周囲の反応だ。誘ってくれたのは女子バレー部員のみならず、校内でも人気のある人物だった。実際、睦歩も彼のことをプレイヤーとして尊敬していた。その誘いを断ったとなれば、全く関係のないところで問題になる可能性もある。先輩と二人の間の出来事のはずなのに。


『ごめんなさい、今日は家の用事があって…』

『また誘ってください!』


 そのあとに使い慣れたキャラクターのスタンプを送ると、角の立たない返信が出来上がった。これでしばらくは問題にならない。たぶん。 

 スマートフォンを伏せながら、睦歩は小さく息をつく。

 先輩からの誘いは、正直悪い誘いではない。どちらが楽しいかと言えば、先輩の誘いの方だったかもしれない。

 それでも、もうひとつの誘いを反故にする気にはなれなかった。

 まず気になったのは、鳴海のことだった。

 彼は元々、必要以上に自分の内側を見せる人間ではない。困っていても、それを誰かに打ち明けるより先に、自分の中で抱え込んでしまう。ましてや「一緒に来てほしい」なんて言い方をするのは、かなり珍しい。


ー理由を書かなかったのも、たぶん同じだ。


 言葉にできない。

 あるいは、言葉にしたくない。

 どちらにせよ、放っておいていい頼み方ではなかった。


 そして何より気になったのは―“ライ”という存在そのものだった。


 明るくて、よく笑う子。

 この1ヶ月半、鳴海が話してくれる内容を聞く限り、そんな印象を抱いていた。鳴海が“ライ”と呼び捨てにするのも最初こそ距離感に戸惑ったが、話を聞くにつれ、それも彼女だからこそなのだと理解できた。

 悪い子だとは思わない。ほぼ間違いなくいい子なのだろう。

 しかし、最初に感じた胸騒ぎがいまだに引っかかっている。その原因の輪郭を、睦歩は捉えきれずにいた。自分はその答えを知っているはずなのに。


ー直接会って確かめるしかない。


 睦歩はコートのボタンを留めながら、ふっと息をついた。待ち合わせは15時、そろそろ出る時間だ。



【3】

 睦歩が時間通りに待ち合わせ場所に向かうと、すでに鳴海が到着していた。彼はまず、予定を合わせてくれたことについて感謝を述べた。

「こんな日に二人だけで会うって、何か気まずくてさ」

 鳴海は極めて高校生らしい理由を口にした。睦歩も「たしかにね」と笑って応えた。

「三人でワイワイ喋れたらそれでいいんだ。ライにも、睦歩が来ることは言ってあるから」

 それから二人は、自転車でライとの待ち合わせ場所である河川敷へ向かった。


 河川敷に着くと、ライはやや緊張した面持ちで待っていた。こちらに気づくと、一瞬肩をビクッとさせて振り向いた。

 2対1で向かい合い、まずは鳴海が切り出した。

「紹介するよ。前に何回か話したと思うけど、幼馴染の睦歩」

「はじめまして。明坂睦歩です」

 睦歩は落ち着いた笑顔であいさつした。

「芹橋ライです。よろしくお願いしますっ」

 対するライは、緊張しているのか話し方がぎこちなかった。声も普段より上ずっている。

「今日は三人で話せたらと思って、睦歩も呼んだんだ。最初は緊張すると思うけど、すぐ慣れるよ」

 鳴海がそう言うと、ライがかぶせ気味に言う。身体は睦歩の方を向いていた。

「すみません、人と話すの慣れてなくて…でもすごく嬉しいです」

「こちらこそ、急にお邪魔してごめんね?あたしも会えて嬉しい」

 睦歩がそう返すと、ライが少しだけ笑顔になった。

「ライちゃんって呼んでもいいかな?」

「はいっ。わたしは…明坂さんでいいですか?」

「下の名前でいいよ」

 睦歩がリードするかたちで、かなり和やかな雰囲気になった。

「自己紹介も済んだし、座ろうか」

「ちょっと待って。こんな寒い中外で話すの?」

 土手をくだり始めた鳴海を見て、慌てたように睦歩が言った。

「ああ、いつもそうだし」

 当然のことのように答える。事実、ライと話すのは決まってこの場所だった。

「それはよくないよ。春とかならともかく」

「そう言われてもな…」

「ファミレスとか喫茶店とか、いくらでもあるでしょ」

 睦歩が呆れ口調で言う。彼女が気にしていたのは、ライのことだった。女性はとくに、温度によって体調に変化があらわれやすい。真冬の時期に長時間外で過ごさせるのは酷だし、近くにお手洗いもない環境も心配だった。

「わたしがココがいいって言ったんです」

 しかしその直後、当のライ本人が二人に割って入るようにそう言った。

「その…わたし、人がいっぱいいるとことか得意じゃなくて…ここなら落ち着いて話せるから」

 だから鳴海くんは悪くないです、と彼女は続けた。ライを見ると、眉毛が八の字になり困った顔をしている。

「それならいいけど…あまり無理はしないようにね」

 睦歩はそれ以上踏み込まなかった。

 結局三人で土手に座って話すことにした。ライを挟んで、両脇に鳴海と睦歩という順番である。

 話し出すとライは先ほどの困り顔から一転し、いつも通り無邪気な笑顔に戻っていった。睦歩が話せば左を向き、鳴海が話せば右を向く。二人の話を、目を輝かせて聞いていた。

 とくに睦歩とは、好きなアイドルグループが同じだと分かると途端に距離が縮まったようだった。それぞれの推しメンバーについて熱く語る二人を、鳴海はホッとした顔で見守っている。

「そのヘアピン、かわいいね」

 ふと、睦歩がライの髪を指さして言った。

「あぁ…これは」

 それはライがいつものように付けている、星型のヘアピンだった。

「いつも付けてるよな、それ」

 鳴海がそう言うと、睦歩はライ越しに彼を見やる。

「気づいてるなら褒めなさいよ。アンタそういうとこホント鈍感」

「な…」

 思わぬダメ出しに、鳴海はたじたじといった様子だった。

 そのやりとりを聞いたライは、気まずそうに苦笑しつつ言う。

「わたしが小さい頃から付けてるやつなんです。だからもう結構ボロボロで…」

「そうなんだ、お気に入りなのね」

「はい。なんか落ち着くっていうか」

「分かる!あたしもあったなー」

 ようやく会話が一段落したときには、もう30分以上が過ぎていた。睦歩がスマホで時刻を確認しながら言った。

「さすがに少し冷えちゃった。あたしお茶買ってこよっかな」

「なら俺が行くよ」

 買い出しは鳴海が行くことになった。今の彼女たちなら、二人きりにしても問題なさそうだと思った。

 鳴海が出発すると、改めて二人での会話が始まった。さっきまでも鳴海そっちのけで話していたが、いざ二人だけになると違った緊張感があった。

「睦歩さん、今日はわざわざすみません」

 少しの沈黙の後、ライがそのように切り出した。先ほどまでとは明らかに異なる雰囲気だった。

「わたし、鳴海くんに変な気をつかわせちゃったみたいで」

「変な…?」

「たぶん、この間会った時に話したことのせいで、睦歩さんを呼んだんだと思うんです」


ーあぁ、”お願い”ってこれのことだ。


「その話、あたしにも聞かせてって言ったら…話してくれる?」

「…はい、睦歩さんになら」

 ライは自身の事情を睦歩にも打ち明けた。この前話したときよりも緊張してうまく話せなかったのは、聞き役の状況の違いが大きい。鳴海がある程度事態を察していたのに対し、睦歩は完全な初耳だったからである。

 睦歩はかなりショックを受けたようだったが、以前のように口数が多くなるようなことはなかった。

「話してくれてありがとう。あたしでよければ、またいつでも話聞くから」

 つとめて冷静に振る舞ったが、うまくいったかは自信がなかった。

「すみません、初対面でこんな話」

 ライは苦笑混じりに言った。

「鳴海くんと初めて会った時は、逆にわたしが余計なこと聞いちゃって…怒らせちゃいました」

「余計なことって…?」

「『なるみ』って自分の名前を呟いてたから、何でかなって思って聞いたんです。そしたら『自分のじゃない』って…そこには触れてほしくなかったみたいで」

 その言葉を聞いた時、睦歩は胸がギュンと縮こまる痛みを感じた。

「それは鳴海…怒っただろうね」

「すみません…」

「ううん、ライちゃんが悪いわけじゃないよ。アイツにも色々あったから」

「色々…」

 それは決して幸せな思い出ばかりではないことが、やけにあっさりした話し方が物語っていた。

「自分から話そうとするまで、気長に待ってあげて」

「分かりました。いつか話してくれるといいな」

 そう言うとライは、微笑みながら続ける。

「鳴海さんには、本当に感謝してるんです。この1ヶ月半、彼に出会ってから、わたし楽しくて」

 ライは胸元まで抱え込んだ脚を、さらに両手でぎゅっと抱いた。

「これがずっと続けばいいなって…そう思うんです」

「…鳴海が聞いたら、きっと喜ぶよ」

「ぜったい言っちゃダメですよ?」

「わかってる」

 そう言って二人で笑い合っていると、ほどなくして鳴海が戻ってきた。自転車のカゴには、3本のペットボトルと携帯カイロの袋が入っていた。




【4】

「そろそろ帰らなきゃ」ライがそう言ったのは、鳴海が買ってきてくれたカイロがやっと温まってきた頃だった。

「送らなくて大丈夫?」

「はい、まだ明るいし一人で帰れます」

 睦歩は鳴海と視線を合わせたが、彼は眉間に皺を寄せるだけだった。それだけで、かつて彼も同じやりとりをしたのだと分かった。

「そう。じゃあまた」

「本当に今日はありがとうございました」

「またな」

 鳴海も大きく手を振った。ライが背中を向けてから今日がクリスマスイブだということを思い出し、慌てて「メリークリスマス」と呼びかける。ライも振り返り、大きめな声で繰り返した。

 ライの背中が小さくなってからも、二人はしばらくその後ろ姿を見送っていた。

 いつまでそうしていようかと思い鳴海が横を見ると、睦歩もまたこちらに視線を向けた。

「今日はマジでありがとう。ライも喜んでくれてよかった」

「気にしないで。あたしも楽しかったし」

 鳴海は安堵してお礼を言った。

「…まぁでも、ライちゃんを見て驚いたよ」

 睦歩が鳴海をまっすぐ見つめて言う。口元は笑顔だったが、その目は笑っていなかった。

 その目を見た瞬間、鳴海は痛みを覚悟した。


「そっくりなんだもん、成果さんに」


 こめかみをズガンと撃ち抜かれたような感覚だった。しかし、それほど驚きはしなかった。

 睦歩を呼べば、こうなることは分かっていた。

 ずっと気づかないようにしていた。気づいたらいけないことだと思った。

「たしかに髪型とかは似てるけど、全然…」

「むしろ性格の方。成果さんもよく、ああやって無理に笑ってた」

 鳴海は納得しなかったが、強く否定することもなかった。

「あと、聞いたよ。学校のこと」

「え…」

 鳴海は思わず声を漏らす。

「それであたしを呼んだんでしょ」

「ごめん…三人なら、その話題にならないと思ったんだけど」

 謝らなくていいよ、と睦歩は言った。

 それからしばらく、無言の時間が流れた。睦歩の方は、鳴海の言葉を待っているようだった。

「正直、迷ってた。どこまで踏み込んでいいかって」

 ゆっくりと、鳴海が話し出す。

「でも今日のライを見て思った。あいつが変わりたいって思ってるなら、放っておけない。力になりたいんだ」

 目はまっすぐ睦歩を向いていた。

「もしそれで何か起きたら…鳴海はきっと、自分のせいだって思うでしょ」

 睦歩も視線を外さずに応える。

「…分からない」

 一瞬鳴海は俯いたが、すぐに顔を上げて続けた。

「それでも、何もしなかったって思う方が、たぶん俺は堪えられない」

「ライちゃん言ってたよ。鳴海に会えてよかったって。毎日楽しくなったって。もう十分、あの子の支えになってるよ」

 自分がコンビニに行っている間にそんなことまで話していたのかと、鳴海は驚いた。それでも、意志が変わることはなかった。

 ポケットの中のカイロを触ると、それがやけに熱く感じられた。

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