第一章(現在)
【10月31日】
空の色が茜色に染まり、放課後を知らせるチャイムが鳴り響く。生徒たちが階段を駆け下りる雑多な足音。中庭を落ち葉とともに吹き抜ける風。学校指定ジャージでグラウンドをひたすらに走る陸上部員の群れ。金管楽器のチューニング。笑い声。
そんなにぎやかな音から抜け出し、自転車を漕いで校門を後にする男子高校生の姿があった。淡いグレーのブレザーを着た青年は高校生にしてはかなり華奢で、肩から掛けているエナメルバッグが通常よりずっと大きく見えた。
目が隠れそうになるほど伸びた前髪を気にすることなく、彼は片手運転でゆっくりと自転車を漕ぎ、アスファルトにひび入った狭苦しい路地裏を進んでいく。
彼にとって、月末の31日には特別な意味があった。理由を考えることなく、身体が自然とこの道を選んだ。彼がペダルを踏み込むたび、自転車がキコキコと力無い音を響かせる。
15分ほど漕ぎ進み広い県道に出ると、とある店先に自転車を停めた。自転車を降りるとまず、そばにある自販機でホットのカフェオレを買った。それを数回手の中で転がしてからカゴとバッグのすき間にねじ込み、店の入り口へと向かう。
ほぼ原色の派手な色で塗られた看板を掲げるそのお店は、併設されたコンビニとともに街並みからやや浮いていた。
「いらっしゃいませ。サーティワンへようこそ」
入り口の自動ドアが開くとほぼ同時に、女性店員があいさつした。その店は、若者からファミリー層まで幅広い人気を誇るアイスクリームの全国チェーン店だった。
店頭に置かれた大きな案内パネルに、「本日スペシャルデー 31%割引」の文字が踊っている。この店の大人気イベントとして、毎月末は大幅な割引セールが開催される。今日がまさにその日だった。そのため平日の夕方という時間帯にもかかわらず、レジの前には列ができている。
これが狙いかと思えたが、彼は案内パネルを見ようともせず、淡々と列の最後尾に並んだ。
「お待たせいたしました、ご注文をどうぞ」
「ポッピングシャワーのシングル」
順番が来るのをしばらく待ってから、頼み慣れたというより、決まったような口調で注文をした。注文が済むまで、瞬き一つしなかった。
「コーンですか、カップですか」
「カップで」
程なくして、注文したアイスクリームは手渡された。「お楽しみください」と笑顔で接客する店員と目を合わせてもなお、彼の表情には変化がなかった。ピンク色のカップを手にして、急いで店を出ていく。
またしばらく自転車を漕ぎ、大きな河川の堤防沿いに出た。この街の中心を真っ直ぐに流れる茜川(あかねがわ)だ。一級河川に指定されており、川幅は向こう岸が見えないほど広い。
河川敷に続く土手の芝生はところどころはげており、芝の代わりに雑草が生えてきているところもあった。
堤防沿いを少し進んだところで自転車を停めると、彼は肩に掛けていたバッグを自転車の荷台に下ろし、アイスクリームのカップとカフェオレの缶だけを持って土手の斜面に座る。身長の倍ほど伸びていた影が、ぎゅうっと縮まった。
容赦無く吹きつける風と手に持っているアイスカップの冷たさに凍えながら、アイスを膝に乗せ、両手でカフェオレのプルタブを上げた。カシュっという軽い音とともに飲み口が開く。やや温くなったカフェオレをカップの中に注いだ。カップの中は、アイスとカフェオレが混在した状態となる。スプーンで溶けた液体部分をかき混ぜてから、それを口に運んだ。アイスクリームの甘味、カフェオレのほろ苦さ、そしてポッピングシャワー独特の口内で拡がるパチパチ。
「なるみ…」
ピンク色のスプーンを咥えたまま、つぶやいた。目を細めて視線を下げる。夕陽で眩しかった視界から一瞬で明るさが消える。
「誰のなまえー?彼女?」
「え…っ!?」
とつぜん背後からかけられた声に、肩が飛び上がった。
振り返ると、一人の女子と目が合った。初めて見る顔だった。
「“なるみ”、って。カワイーい」
からかうような口調でそう言った見ず知らずの女子は、他人の自転車に勝手にまたがってペダルを踏んでいた。宙に浮いて空回りする後輪に繋がれたチェーンが、カラカラと音を立てている。
全くの不意打ちだ。驚きのあまり、小さなスプーンは口からカップの中へ落下した。緊張のせいか、体温が上がっていくのが分かった。口の中のアイスが、いつにも増して急に溶けたからだ。
「そんなに驚かなくてもいいのに〜」
黒色のパーカーを着た彼女は、自転車からひょいっと飛び降りると、彼のそばに歩み寄っていく。
「少しお話ししよ!」
「は…?」
「いーじゃんいーじゃん!少しだけ、ね?」
言い終わらないうちに隣にしゃがみこんだ彼女の顔が、グッと近くなった。背中まで真っすぐ伸びた栗色の髪と、星の形をしたヘアピンが、夕陽を浴びて眩しく光っていた。
「あ、サーティワンだ!え…なに、カフェオレかけてるの?」
彼女は彼の持つカップの中を覗き込み、その異色のコラボレーションに驚く。
「美味しい?」
「いや、まぁ…」
「そうなんだ!わたしも今度やってみよっかな。でも、もう少し暖かくなってからにするね」
そう言うと彼女は、曲げた左手の指先を口に当て、クスっと笑った。吐息は白くなり、宙に消える。
「ねえ、いま学校終わりだよね?」
「そ、そうだけど…」
「学校楽しかった?今日は何の授業したの?友達は…」
「ちょ、ちょっと待って!」
矢継ぎ早な質問を遮ったのは、彼のこれまでで一番大きな声だった。
「いきなり過ぎて何がなんだか…」
「イキナリ…?」
彼の当たり前の主張に、彼女は首を傾げる。
「いや、初対面ですよね?お互い誰かも分からないし…」
「あ!そういえば、まだ名前聞いてないや。わたしはライ、芹橋ライ」(せりばし らい)
そう名乗った彼女は、彼に向かって微笑み、「あなたは?」と問う。
「いや、そういうことじゃなくて…!」
終始戸惑う男子学生だったが、ふと言い返すのをやめて沈黙した後、言葉にならなかった残りの息を吐き出した。受け入れたというより、説明を諦めたような感じだった。
「五和鳴海です」(いつわなるみ)
「ナルミくん!何か不思議な名前」
そっちのがよっぽど珍しい、と鳴海は心の中でつぶやいた。「わたしの方が変か」と、彼女が言ったのはその後。
「ん?じゃあさっきの“なるみ”って自分の名前だったってこと?」
「…っ」
ライがそう言うと、鳴海の表情が一瞬強張ったように見えた。
「どうして名前を呟いてたの?」
「自分のじゃない」
「え…?」
「…芹橋さん、ごめん」
鳴海はライの言葉を遮るように立ち上がりながら言った。突然のことに、今度はライの方が戸惑いの表情を浮かべている。
「俺今日はそういう気分じゃないんだ、ごめん」
「え…あ、ちょっと待って!」
鳴海はライに背を向けてそう言うと、自分の自転車へ向かって歩き出した。ライも遅れて立ち上がり、鳴海の後を追う。
「わたし怒らせちゃった?ごめん」
「違うんだ、そうじゃなくて…」
「オトモダチになりたくて…でも喋るの上手にできなくてごめん!」
「君が悪いわけじゃないんだ」
「本当にごめんね…」
「悪いのは、俺の方だから」
それが、この日の最後の言葉だった。
彼はそのまま自転車にまたがり、自転車を漕ぎ出した。
しばらく進んだところで、少しだけ後ろを振り返った。彼女はまだ、あの場に立ったままだった。
その姿を見て、胸の奥が軋むような感覚を覚える。それは様々な感情が混ざり合う際の歪みの蹟(あと)だと、彼は気づいていただろうか。
カップの中のアイスは、とうに溶けてしまっていた。
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