バベルの焦土 ―カミンスキー旅団、通訳兵の絶望―

夕凪

第1話 バベルの焦土 ―カミンスキー旅団、通訳兵の絶望―

第1章:泥濘と呪われたギフト

【1:泥の中の再誕】

1943年10月、ベラルーシ。

冷たい雨が降り続く中、**「私」**は自分の名前さえ思い出せないほどの寒さと空腹の中で意識を取り戻した。

視界に飛び込んできたのは、ひび割れた軍靴と、膝まで埋まる深い泥。そして、右腕に縫い付けられた、忌まわしい白地に赤十字の腕章――「RONA」。

現代の歴史知識が、冷酷な事実を突きつける。ここはカミンスキー旅団。まもなくワルシャワを血で染め、最終的に歴史から消去される「ならず者部隊」の真っ只中だ。

【2:聞こえてしまう「本音」】

部隊はロコト自治区を追われ、ポーランドへと西進していた。兵士の家族、略奪した家畜、ピアノ、安物の銀食器を積んだ荷馬車が数キロにわたって連なる、異様な「武装難民」の行列。

道端に停まったドイツ軍の装甲車から、聞き覚えのある言語が聞こえてくる。

「……見ろよ、あの猿どもの大移動を」

ドイツ語だった。趣味で覚えたはずのその言葉が、今は鋭いナイフのように心臓を抉る。

「カミンスキーの連中は、ワルシャワの『大掃除』にぶち込めばいい。ポーランド人と共食いさせて、残ったゴミはSSが始末する。それがベルリンの意向だ」

私は、自分たちが最初から「毒には毒を」の論理で用意された、使い捨ての消耗品であることを、部隊の誰よりも先に知ってしまった。

【3:最初の仲裁、最悪の契約】

その直後、列の前方で怒鳴り声が上がる。

一人のポーランド人農夫が、RONAの曹長に銃尻で殴り飛ばされていた。

「隠し場所を言え! ジャガイモはどこだ!」

ロシア語で叫ぶ曹長。老人は血を吐きながらポーランド語で答える。

「……ない。あれは、孫が冬を越すための……」

老人の悲痛な叫びを、私は無意識に「翻訳」してしまった。

「待ってください! 殺しても何も出ません。私が……私が聞き出します!」

思わず割り込んだ私に、曹長が銃口を向ける。私は震える声で、老人にポーランド語で語りかけた。

「……おじいさん、教えてくれ。全部出せば、あんたの命だけは助けるよう掛け合う。この男は本当に撃つぞ。頼む、死なないでくれ」

老人は、目の前の敵兵が自分の国の言葉を話したことに驚愕し、絶望の中で床下の貯蔵庫を指し示した。

【4:バベルの塔の住人】

村からジャガイモを強奪し終えた後、私は馬車に乗った男に呼び止められた。

旅団長、ブロニスラフ・カミンスキー。

彼は冷酷な目で私を見下ろし、口角を上げた。

「お前、ポーランド語だけじゃないな。ドイツ語も理解していた。……それだけじゃない。さっき、合流したトルキスタン部隊の連中とも、何か言葉を交わしていただろう?」

私が趣味でかじった中央アジアのカタコトの挨拶を、彼は見逃さなかった。

「今日からお前は俺のそばにいろ。ドイツ人、ポーランド人、そしてあの山から来た猿ども……。奴らの『本音』を俺の耳に届ける道具になれ」

こうして私は、一兵卒という隠れ蓑を奪われた。

地獄の最前線で、あらゆる絶望を「翻訳」しなければならない、死の通訳兵としての道が始まったのだ。


第2章:焦土に咲くバベルの花

【1:多民族のるつぼ(カオス)】

ロコトを離れ、ポーランド国境付近の宿営地。そこは、ドイツ軍の軍服を着ながらも、ドイツ語ではない言葉が飛び交う奇妙な空間だった。

カミンスキー旅団(ロシア人主体)の隣には、アゼルバイジャン、トルキスタン、コーカサス……遠くアジアの国境から連れてこられた**「東方義勇軍(オスト・トルッペン)」**の大隊が陣取っていた。

彼らはナチスからすれば「劣等民族」だが、対ソ連戦の兵員不足を補うために、「戦後の独立」という空手形を掴まされて連れてこられた者たちだ。

【2:焚き火を囲む異邦人】

深夜、見回りを命じられた私は、自分たちのキャンプから少し離れた場所で、見たことのない顔立ちの兵士たちが焚き火を囲んでいるのを見つける。

彼らが話しているのは、ロシア語に混じった中央アジアの言葉。前世で学んだ言語学の知識が、断片的な単語を拾い上げる。

「……故郷(ワタン)」「母(アナ)」

私は思わず、ポケットに入っていた配給の煙草を差し出し、知っている限りの単語で声をかけた。

「……ヤフシ(いい夜だな)」

彼らは驚いた顔で顔を上げた。その中の一人、まだ十代に見える彫りの深い少年兵――アザマトが、不器用なロシア語で答えた。

「あんた……俺たちの言葉を、知っているのか?」

【3:空っぽの希望】

アザマトたちは、私が少しだけ言葉を通じさせたことに心を開き、自分たちの身の上を語り始めた。

「ドイツ軍の将校が言ったんだ。赤軍を倒せば、草原に俺たちの国をくれるって。だから俺たちは、ここで戦ってる」

彼は誇らしげに、ボロボロの腕章を指さした。

私は、言葉に詰まった。

ドイツ軍の司令部が彼らを「ろくに武装もさせず、最前線で地雷原を歩かせるための肉」と呼んでいるのを、昼間に聞いたばかりだったからだ。

「……アザマト、あんたたちは、ポーランドで何をするか聞いてるか?」

「分からない。でも、悪い奴らを倒すんだろう? 早く終わらせて、家に帰りたい」

純粋な瞳。私はドイツ語で聞いた「ワルシャワでの一掃作戦」の残酷な詳細を、どうしても彼に翻訳して伝えることができなかった。

【4:言葉の檻】

翌朝、私の元にカミンスキーからの呼び出しがかかる。

「おい、通訳。東方部隊の連中が、食料の配分で文句を言っている。あいつらに『黙って戦え、さもなくば見せしめに吊るす』と、奴らの言葉で叩き込んでこい」

昨日、焚き火で笑い合ったアザマトたちが、不満げな顔で整列しているのが見える。

私は彼らの前に立ち、カミンスキーの冷酷な命令を、彼らに伝わる言葉へ「変換」しなければならない。

「……静かにしてくれ。逆らえば、今ここでみんな殺される。……頼む、今は黙って、生きていてくれ」

私の言葉は、彼らを守るための警告なのか。それとも、彼らを死地へ大人しく追いやるための甘い毒なのか。

アザマトは私を見て、信頼を込めた顔で頷いた。その信頼が、鋭いナイフとなって私の胸を切り刻んだ。

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