第5話 「──どうか、ずっと、僕の側にいてほしい」

 銀の玉座に座ったオロに女が嘆願する。


「夫が……夫が死にました! 陛下にいただいた金で薬を買って医者に見せましたが、病は治らず、そのまま死んでしまったのです。陛下、どうか夫を生き返らせてはくれませんか」


 女の必死の形相はオロの胸を締め付ける。けれど、オロに返せる答えは決まっていた。


「……失われた命を取り戻すことは僕にはできません。本当に、ごめんなさい」


 深く頭を下げながら、オロは小石から青金石ラピスラズリを作り出して差し出した。青金石はお守りになると聞いたことがあったから。


「宝石などいりません! 私は夫が帰ってきてくれればそれでいいのです」


「僕は、僕には、人を生き返らせることはできないんです。僕にはあなたに石をあげることしか──」


 女はオロを睨みつけた。


「石など……石など何の役にも立たないではありませんかっ! 陛下が〈万能の妙薬〉を作ってくださればよかっただけでしたのに!」


「──っ」


 どんな傷でもたちどころに癒すという〈万能の妙薬〉。錬金術師たちの間ではエリクサーと呼ばれている。けれど、オロはそんな薬は作れないことを知っていた。物質の変成を解き明かす分野の知識で、万病を癒す薬など作れるはずがない。生命いのちの創造や不老不死の実現の方がまだ現実的だ。


「陛下は! 陛下は大ウソつきです! 陛下の奇跡などまやかしでしかなかった! 〈天のみつかい〉様だって見かけだけで特別な力など何もないではありませんか!」


 その通りだった。ほんとうに、彼女の言う通りだ。オロは睫毛まつげを震わせた。


「そう──」


 鮮烈な赤がオロの目を焼く。肯定の言葉は最後まで発せられなかった。次にオロの視界に入ったのは、首がなくなった女の胴体がゆっくりと倒れていくところだった。首はごろりと転がって、憎々し気な顔でオロを見つめている。切り口からは水音が聞こえるくらいの勢いで血が流れ出し、カーペットをどす黒く濡らしていった。


 ひゅっと喉が音を立て、視界が明滅した。胸が焼けるようだった。


 女を斬り捨てた騎士は無造作に剣についた血糊を振り落とし、何事もなかったかのように壁際に戻っていく。オロは思わず立ち上がって叫んでいた。


「どうして殺したんですか! どうして! 彼女は何も悪いことはしていないのに!」


「陛下、心をお鎮めください」


 玉座の間の扉が開き、はしばみ色の瞳をした男が悠然と歩いてくる。オロに玉座を譲った彼は、今は宰相としてオロにできない政務を執っていた。


「……彼女を殺すよう指示したのはあなたなんですか?」


「ええ。秩序維持のためには致し方ないことでしたから」


「一人の命よりも、僕とクライノートのまやかしの方が大事だっていうんですか!」


「ええ、当たり前でしょう? 錬金の王よ」


 宰相は悪びれずに肩を竦めてみせた。反論をしたいのに、言葉に詰まってしまう。オロはあまりにまつりごとを知らなすぎた。オロには、何がただしかったのかすら分からない。


「今日の謁見は終わりだ。敷物を急ぎ新しいものに替えよ。陛下のお目汚しをするな」


「は」


 騎士たちが慣れた動きで女の死体を片付けていく。オロは呆然と玉座の前に立ち尽くした。右手にはまださっき作った青金石が握られている。強く握りしめていたせいで熱が移って生温かった。


 かつん、と音を立てて群青の宝石が大理石の床を転がり落ちる。オロは唇を引き結んで玉座を後にした。



 ✧



「オロ、大丈夫?」


 クライノートがオロの膝の上にちょこんと乗った。白い髪と翼がオロの頬をくすぐっていく。アルケミラと名前をつけた地下室でぼうっとしていたオロは、ゆっくりとまばたきをした。


「……だいじょうぶ、たぶん。うん」


 鉱石燈が照らしたオロの顔はやつれている。


「それ、大丈夫じゃないやつだよ。オロ、ちゃんと寝てないでしょ?」


「え、どうして分かったの?」


「顔!」


 怒ったようにクライノートが言って、オロの頬を両手で引っ張った。


「いたたたた……」


「ねえ、オロ」


「え?」


 オロは目を見開いた。クライノートの腕がオロの頭を抱きしめている。温もりがじんわりと触れた場所から伝わってきて、泣き出してしまいそうになった。


「オロ、大丈夫?」


 オロを抱きしめたままクライノートはまた同じ問いかけをした。


「……大丈夫、じゃ、ない」


 今度は素直にそう言えた。目を閉じて、今日の謁見の時間を思い出す。血染めのカーペットと、首と胴体の離れた女の死体。ただ真実を口にしただけなのに、彼女は殺されてしまった。


「分かってるんだ、僕はだめな王さまだってこと。僕はただの石ころで遊ぶことしかできない無能なんだ。宝石でも金や銀でも、誰の願いも叶えられないって本当は分かってた。僕にできることなんて全然ない。王さまなのに、まつりごとのことなんて何一つ分からない。……僕のつくった宝石や金属が賄賂にされたり、武器に変えられたりしていることも分かっているのに、僕は見ていることしかできない。宰相たちが僕とクライノートを利用して、人を騙してこの国を大きくしているのだって、僕は知ってる。なのに、僕たちは本当の奇跡なんか起こせないんだって叫ぶことすら許されない。僕は、……お飾りの王さまだ」


 血を吐くように言う。


「オロ……」


 オロの深い藍色をした髪をクライノートの指先が優しく梳いていく。


「僕は、王になんてならなければよかったんだ。僕の選択は、すべてまちがっていた。ぼくは──」


 ──ただ、クライノートと一緒に石と星だけを見ていたかっただけなのに。


 ぼろぼろとひとりでに涙がこぼれた。


「もう頑張らなくていいよ、オロ。ここから逃げよう?」


 金剛石の瞳に涙を溜めて彼女は言う。


「そう、できたら、よかった。……でも、この場所を選んだのは僕自身だ。どれだけだめな王さまでも、僕はあの椅子に座り続けないといけないんだ。逃げたら、僕は、僕自身を許せなくなるから」


 クライノートが目を伏せた。白いきれいな睫毛まつげの下から雫が二滴落ちていく。二つともオロの頬で砕けてオロの涙と混ざっていった。


「クライノートが一緒にいてあげる。クライノートがオロを守ってあげる。だから、オロ。泣かないで」


 ほっそりとした人差し指がオロの目尻から涙を拭う。クライノートはそれからオロの濡れてしょっぱい唇にそっと自分の唇を重ねた。


「く、クライノート⁉」


 オロはすっとんきょうな声を上げる。唇にはまだクライノートの唇の柔らかい感触が残っていた。桃色に頬を染めたクライノートが目を逸らす。


「……人間の愛情表現、間違ってた?」


 どきどきとオロの心臓は早鐘を打っていた。心臓が今にも破裂してしまいそうなくらい早く。


「……間違ってないから困るんだよ」


 あいしてる──なんて言葉がいつオロの口から飛び出してもおかしくない。でも、言わない。言ったら最後、オロはクライノートを手放せなくなる。そう遠くないいつか、約束通りに翼の治ったクライノートを天に帰してあげないといけないのだから。


 オロはクライノートの頭を撫でて立ち上がった。


「クライノート、僕さ、王さまをつくるよ。僕はだめだったけど、僕の代わりにただしい王さまになってくれる人をつくるんだ。そしたら、きっと、みんな幸せになるよね」


 ただしいことを、ただしいように行う王を銀の玉座に戴こう。オロと同じ〝本物〟の錬金術師の王さまを。みんなを幸せにできる素晴らしい王さまを。


 ホムンクルスのように脆い生命いのちではいけなかった。本物の人でなければいけない。けれどそれは、未だかつて誰も挑戦したことのないことだった。


 オロはクライノートとともに研究を始めた。


 最初はホムンクルスをつくった。仮初の身体に擬似魂魄を書きこんで、動かす。命令通りに動くそれはまるで機械人形だった。身体だって見た目だけの張りぼてだ。だから次に本物の人の身体をつくろうとした。人を形作るものを解き明かして、少しずつ人に近づく。禁忌に手を伸ばしかけていると気づいていたけれど、オロにはもう止まれなかった。


 一年が過ぎて、二年が過ぎた。初めは何もなかった地下室には世界中から集められた錬金術の本が並び、図書室の様相を呈してきた。何度も擦られたテーブルは表面が飴色に変わり始めている。そして、人の形をつくることだけは、どうにか成功した。


 薄暗い部屋の奥、黒曜石でできた棺の中には幼い少年が眠っている。一番星が輝く頃の夜空色をした髪を持つきれいな少年だ。そのまぶたの下には狼の毛並みのような灰銀の瞳が隠されている。


「小さいオロだね」


 クライノートは棺の横にしゃがみこんで、端正な少年の顔を眺めた。


「名前はあるの?」


 問われてオロは首を横に振った。


「まだないよ。クライノートがつけてみる?」


「いいの⁉」


 ぱっと宝石の目が煌めいた。彼女は眉間にシワを寄せ、しばらくもごもごと口の中で呟いていたけれど、気に入った音の並びを見つけたらしい。


「──リゼル」


 オロは思わず微笑んだ。


「いい名前だね、すっごくいい」


 でしょう、とクライノートは得意げに胸を張る。


「オロの下の名前はレヴェニアだから、リゼルはリゼル・レヴェニアになるのかな? でも、小さいオロだから、オロも……」


「それなら、こうしようか。僕の名前を真ん中に入れて、リゼル・オロ・レヴェニア。どこかで聞いたことがあるんだけど、高貴な人には名前と下の名前の間に真ん中の名前を入れるんだって」


「ぴったり! だってリゼルは王さまになるんだもんね」


 クライノートは翼を揺らして、眠っているリゼルに微笑みかけた。


「あなたの名前はね、リゼル・オロ・レヴェニアなんだよ」


 つん、とリゼルの頬をつつく。けれど、リゼルは動かない。冷たい頬に固く閉ざされたまぶた、呼吸だってまだしていない。


「オロ、どうしてリゼルは目を覚まさないの?」


 棺の蓋に金でリゼルの名前を書き終えたオロはクライノートの肩に手を添える。


「……魂がないからなんだ。魂がないから、リゼルは動かない」


「どうしたら魂をあげられるの?」


 目を伏せてオロは息を吐き出した。


「まだ、分からないんだ」


 クライノートの手を引いて、彼女を燭台の前の椅子に座らせる。ついでに毛布を薄い肩にかけてやった。冬の地下室アルケミラは冷えるから。


「人は死ぬと、二十一グラムだけ身体が軽くなるんだ。もしかしたら、それが魂の重さなんじゃないかって僕は考えてる。でも重さが分かっただけじゃ魂はつくれない。──二十一グラムを解き明かすのがたぶん僕の最後の研究になると思う」


「どうして最後なの? オロはずっと石と星を追いかけていたのに、どうして」


 オロは眉を下げて弱々しく微笑んだ。


「……もう、僕は疲れちゃったんだ」


 ──永遠なんて望めないくらいに。


「もう、いいんだ、もう、ぜんぶ」


 宝石も金も、どれだけたくさん作っても誰も笑わない。この街は明るすぎて星は見えない。玉座に磔にされたオロはどこにも行かれない。宝物たちが入っていた鞄は王には相応しくないと言われて捨てられてしまった。それとも、オロが旅に出てしまわないようにと捨てられたのだろうか。


「……だめな僕で、ごめん」


 クライノートの肩に顔をうずめた。この温もりだけがオロに残された最後の宝物。星がきれいだったあの夜に、戻りたかった。


「オロはだめなんかじゃない。オロはすごいんだよ。がんばってるの、がんばってるのに、みんながオロから全部取り上げていくの。オロ、もう何も持ってないのに」


 ありがとう、と囁いて、宝石の瞳からこぼれ落ちそうになる涙をオロは優しく拭った。


「……クライノート、じっとしてて」


 そっとクライノートの左手を両手で包み込んだ。


「変転せよ」


 呟けば手の中で星みたいな火花が散る。被せていた方の手を外すと、クライノートの左の薬指に指輪があった。銀の細い輪には涙一滴ほどの大きさの小さな金剛石がはめこまれている。クライノートの目にそっくりの、透き通った最高純度の結晶が。


「あいしてる。きみは世界で一番きれいな僕の宝物だ。だから、どうか──」


 灰銀の目に涙を溜めてオロは懇願した。もうこの気持ちに嘘はつけなかった。彼女を手放せなくなると分かっていても。


「──どうか、ずっと、僕の側にいてほしい」


 クライノートが目を見開いた。花のように可憐に笑ってオロの大きな手に頬を摺り寄せる。


「うん。クライノートも、ずぅっとオロの側にいたい。だって、クライノートもね、クライノートもオロをあいしてるから!」


 オロは子どもみたいな笑顔を浮かべた。もうひとつ同じ指輪を作ってクライノートにはめてもらう。それから最後に誓いの口づけを。


 お揃いの銀の指輪は誓いの証。金剛石は永遠の証。けれど、どこまでいっても子どものままごとみたいな甘やかな約束だった。


 ──それから数日後、クライノートの翼は治ってしまった。

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