第2話 「きみは世界で一番きれいだよ」

 森の中が白い光で満たされる時間になって、オロは焚き火の火を消した。足と翼の折れたクライノートを背負って歩き出す。クライノートの身体はかぼちゃほどの重さで、いつも背負っている鞄よりもずっと軽かった。女の子の身体は羽のように軽いと聞くけれど、本当なのかもしれない。


「オロ、どこ、行く?」


「僕の荷物を探しに行くんだ。昨日、どこかに置いてきちゃったからね」


 石と星のことしか覚えられないオロだけど、幸い昨晩は蛋白石オパールの側に荷物をほっぽり出した。きれいな岩肌を思い起こしてどうにか場所を探し出す。ただ、日中の蛋白石の岩肌は沈黙していて、ほんのわずかに虹色を帯びるばかりだった。


「あった、僕の荷物だ」


 ボロボロの手帳を見つけてオロの顔が明るくなった。夜中に散らかした荷物はさらにあっちこっちにばらけている。夜の間に獣に荒らされてしまったのだ。証拠に干し肉は消えているし、鞄の奥で潰れていたはずのパンもなくなっている。


「全部残っててよかった、鉱石燈もちゃんとある。……でも、いくつか空の瓶が割れてるな」


 肝心のオロは食糧がごっそり消えているのにも気づかず、大事な石と採集のための道具と実験器具がなくなっていないことに安堵していた。


「荷物、無事?」


 オロの背中でクライノートが言うので、オロは大きく頷いた。手元の小瓶では昨日の火蛋白石ファイアオパールの欠片が輝いている。


「うん、大体無事。大事なものは全部残ってるよ。クライノート、しばらくここで待っていてくれるかな? 荷物を拾わせてほしいな」


「承諾、クライノート、待機、する」


 オロが荷物をせっせと搔き集めている間、クライノートは金剛石の瞳でオロをじっと見つめていた。岩に背中を預ける形で座らせてしまったから、折れた翼が痛まないか心配だったけれど、クライノートはそんな素振りもみせなかった。足も翼も折れているのに、〝痛い〟の一言もない。星の海からやってきた彼女には、痛みを感じる機能がないのかもしれなかった。


 荷物を拾い終わった後、オロは荷物を背中に、クライノートを横抱きにした。彼女はオロの顔が見えるのが嬉しいらしく、おぶわれるよりも抱き上げられる方が好きだと言う。オロの首に両手を回して、オロの胸に頬をすり寄せる。


「クライノートはお姫さまみたいだね」


「お姫さま?」


「そう、お姫さまっていうのは、お城に住んでいて、すごく大事にされているんだ。きれいなドレスを着て、きれいな飾りをつけて、舞踏会で踊ったりする」


「クライノート、きれい?」


 無邪気に白い少女は尋ねた。


「うん。きみは世界で一番きれいだよ」


 微笑んで、オロは心の底からそう口にした。




 陽が傾く頃、ふたりは山を越えた先の洞窟に辿り着いた。オロと荷物がなんとか通れる大きさの入口を潜り抜けると、視界が開けて広々とした空間が現れる。明かりと呼べるものは天井の隙間から差し込む斜陽の光だけ。薄暗くてとてもじゃないが、生活ができるような明るさではない。


「灯れ」


 凛然としたオロの一声で、洞窟内の壁面にくくりつけられた蛍石が輝き出した。クライノートの瞳も蛍石の光で煌めき出す。明るくなった洞窟には本がうず高く積み上げられていて、無数の石も転がっている(オロ的にはきちんと並べてある)ので、足の踏み場がない。中央のテーブルにはビーカーやフラスコが所狭しと並び、テーブルから生えた水晶が一部を飲みこんでしまっていた。


「オロ、家?」


「そうだよ、ここが僕の家なんだ。すごいでしょ?」


「家、汚い……」


「え」


 自信満々だったのにクライノートに酷評され、オロは落ち込んだ。こんなに(石は)綺麗にしているのに。


 大きな岩の中にぎっしり詰まった紫水晶の群晶と剣の山のような水晶の塊は、入口の隣に並べてある。その隣の地面は鉄の仲間が転がっていて、黄金に輝く黄鉄鉱、黒い磁鉄鉱に赤褐色の赤鉄鉱、鏡みたいなものまで揃っている。棚には翡翠、柘榴石ガーネット橄欖石かんらんせき……話し始めたら終わらないオロの自慢のコレクションたちなのである。……陳列の仕方は評判がよくなかったみたいだけれど。


「へ……っくしょん」


 失意のオロをさらにくしゃみが襲い、視界がぐるんぐるんと回り出した。身体は熱した金属みたいに熱いのに、身体の奥から寒気がする。ばたん。オロは倒れた。冬はじまりの夜をずぶ濡れで過ごしたせいである。


「……ロ、オロ?」


 熱い水がオロの乾いた唇に落ちた。口の隙間から舌に触れた水はどうにも塩辛い。


「ん?」


 腫れぼったいまぶたを押し上げたら、視界いっぱいに少女の泣き顔があった。


「うわああああ、えええええ⁉」


 びっくりして叫んだら、少女の涙がぴたりと止まった。宝石の瞳が丸く見開かれている。


「オロ、起きた」


「く、クライノートかぁ。って、あれ? 僕倒れてたの?」


 こくんとクライノートが頷いた。濡れた睫毛まつげから涙の雫が一粒転がった。


「クライノート、心配。オロ、死んだ」


「僕が死んだかと思って、心配してくれたってこと?」


「肯定」


 心なしかクライノートは憤慨しているように見えた。


「そっか、それはごめん。心配、してくれてありがとう、クライノート」


 ぼんやりした頭でオロは洞窟の隅に寝床を作った。二人が横になるには狭いけれど、ふにゃふにゃの手足で作業するのは難しい。とりあえず、先んじて寝床に座ってもらったクライノートには毛布を握らせておいた。


 洞窟奥の湧き水をガラスのコップに掬って、クライノートに差し出す。そこで自分の分がないことに気がついてふらふらともう一度往復する。コップの代わりに使っていないビーカーで。


 物質としてのガラスや金属の錬成は簡単でも、オロではコップの形にできないのだ。前に一度試したら、ぐにゃぐにゃのオブジェができた。以後、ガラスと金属は市で売って、その金で加工済みの製品を買うことにしている。


「クライノート、僕はどうやら風邪をひいたらしい……」


 水を飲んで少しだけしゃっきりした頭で認識した。どう考えても今のオロは病人だ。


「体、不調?」


「あー、うん、そういうことー。しばらく寝てると治るー」


 再び朦朧としてきたせいでオロの言葉が溶けていく。


「クライノート、も?」


 自身の足と翼を差すクライノート。


「うん、そのはずー」


 ブリキのおもちゃのように首をかくんと上下させた。


「クライノート、寝る」


「おやすみぃ」


 ばたん。今度は二人揃って倒れた。



 オロが次に目を覚ましたのは数日後のことだった。熱でぼうっとしていた頭もすっかり元に戻り、視界もはっきりとしている。毛布の中から這い出て伸びをしたら、固まっていた身体のあちこちがバキボキと音を立てた。


「オロ!」


 洞窟の奥から白い少女が駆け出してきてオロに飛びつく。新雪の髪が弧を描くように広がった。 首からぶら下がっているクライノートが裸足であることに気がついて、下ろそうとした手を止める。代わりにそっと抱き上げた。


「おはよう、クライノート」


「おはよう?」


「朝の挨拶だよ」


「朝、違う。現在、昼」


「なら、こんにちは、か……。こんにちは、クライノート」


「こんにちは、オロ!」


 嬉しそうに言うものだから、オロは笑ってしまった。


「足は大丈夫なの?」


「寝る、足、治った」


 オロの腕の中でクライノートは足をばたつかせる。足の指ももぞもぞ動かしてみせてくれた。足の骨は数日寝たくらいでは治らないはずなのだが。


「よかった、歩けないのは大変だからね。……翼の方はどう?」


 翼が治ったら、クライノートは天に帰ってしまう。約束だから、オロにはクライノートを止められない。


「まだ、損傷。翼、時間、かかる」


「そ、っか」


 無意識に詰めていた息を吐き出した。まだこの奇跡を手放さなくていいらしい。……でも、いつかはきっと。


「ご飯にしようか」


 話を逸らすようにオロはクライノートを下ろして食糧を探しに行った。


 食糧備蓄用の木箱をに手をつっこんでかき混ぜる。が、見つかったのは鹿肉の燻製……の欠片だけだった。慌てて表の小さな菜園を見ると、じゃがいもが植わっていた場所には掘り返された跡がある。要するに、食糧難だ。


「……ごめん、クライノート。ご飯、ないや」


「食糧、ない。オロ、死ぬ?」


「……いずれは、うん、飢え死にする」


 長い髪がオロの顔にかかって一層の悲壮感を演出する。しょぼくれかけたけれど、今のオロは一人ではない。クライノートも飢えたら死んでしまうかもしれないし、クライノートの隣にいるつもりでいるのでオロだって屍になっている場合ではないのだ。


「街、行かないとかぁ」


 自慢ではないが、オロは狩りができない。弓矢を引く筋力もなければ、短剣を生きている動物に突き刺す勇気もない。血、こわい。動物、こわい。無機物、ばんざい。


 せいぜい家庭菜園が関の山。情けない非力な人間すぎるので、山に引きこもって過ごすのも実は向いていないのである。


 多くの錬金術師はパトロンについてもらって研究を進めるらしく、オロも何度か打診を受けたことがある。しかし、オロは引っ込み思案だった上にまともに話ができなかったので上手くいかなかった。何より人と関わるのは苦手だ。なので、オロは色々な場所に仮初の住まいを置いて、さすらいながら生きている。そのくせ狩りができないので、食糧は街で買わねばならないのだ。


「街!」


 人と会わなければならないと憂鬱になっているオロとは裏腹に、クライノートはぴょんぴょん飛び跳ねている。代わり映えのない洞窟生活は数日で飽きたらしい。跳ねるたびに翼が揺れて微かな燐光が散った。鳥の翼とも違って、天の翼は特別な力で編まれているのようだった。


「……そろそろここを出るかぁ」


 蛍石の洞窟を出て、新しい旅を始めるときが来た。いつだって、始まりは突然だ。

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