天乞う王の原罪

斑鳩睡蓮

第1話 「……クライノート、それがきみの名前だ」

 銀に水銀、銅に金、鉄にすず、そして鉛。金属片を収めた小瓶が鞄の中でちりちりと鳴っている。それを背負う男の背を潰してしまいそうなくらいに大きな鞄。長い旅を経て革は擦り切れ、今にも壊れてしまいそうだった。


 重い荷物を背負ってオロは岩肌の剥き出しになった山道を歩いていく。とっくに陽が落ちて夜になっていた。手には鉱石燈。蛍石がガラスの中で薄ぼんやりと光っている。油を燃料にした角灯が一般的ではあるけれど、錬金術師は鉱石を燃料にする鉱石燈を好んで使う。その方が格好がいいし、長持ちだから。


 蛍石の緑色の淡い光に照らされて、傍らの岩が煌めく。七色の炎が燃えているような輝きを宿した岩だった。鉱石燈を揺らせば、ゆらゆらと柔らかな光が揺れる。虹を映した水面を見ているようだった。思わず灰銀の目を見開いたオロの唇に笑みが浮かんだ。


 オロは鉱石燈をそうっと地面に置いた。鞄を背中から下ろして、中からハンマーを取り出そうとベルトを外した途端、中から色々転がり出した。短剣、石の標本箱、小さなフライパン、紙に包まれた干し肉、試験管。〈賢者の石〉の試作品はコロコロと山の斜面を転がっていってどこかへ行ってしまった。


「ありゃりゃりゃ……」


 困ったなぁとオロは情けない顔で肩を落とした。物をよく失くすクセはどうにも直らない。単純に物が多すぎるのと、一度に容量以上を持ち運ぼうとするからいけないのだけれど、指摘してくれるような人はいなかった。そんな人がいたなら、オロの長すぎる髪も切った方がいいと言ったはずだろう。残念ながら、黒に見えるほどに深い紺の髪は伸び放題で、紐で無造作にくくられている。狼の毛並みを思わせるうつくしい灰銀の瞳も半ば隠されていた。


 しばらく鞄を漁って、ようやっとハンマーを見つけ出す。広げた荷物を踏まないように気をつけながら、オロは岩に近づいた。ハンマーで岩を叩くと、こぉーんとくぐもった音がして岩肌がさざめくように光を放った。赤から橙、橙から緑、緑から青、青から紫。色が岩を泳いでいく。極彩色の魚が岩の中に住んでいるみたいだ。手の中にある岩の欠片を鉱石燈の明かりにかざせば、焚き火の炎を閉じ込めたような輝きを見せてくれた。


「……火蛋白石ファイアオパールかぁ。うれしいなぁ」


 二十半ばになるというのに、子どもみたいな顔で小さな石ころに笑いかける。灰銀の目に石を映して幸福な溜息をついてばかりいる。それは天涯孤独の旅人だから許される生き方だった。


 はぁっと息をつくと白い雲になって飛んでいく。冬がもうすぐやってくるのだ。思い出したように寒さがオロの足から這い上ってきた。


「さむ……。採掘は明日にして寝よっと」


 慌てて散らばった荷物の中から毛布を探し出してくるまった。岩が剥き出しの地面は固く、触れた尻が痛む。おまけに氷のように冷たかった。身震いしてから、オロは蛋白石オパールの岩の隣に寝転がる。背中が悲鳴を上げたけれど、我慢だ我慢。まだ何か忘れている気がして辺りを見ると、鉱石燈がまだ輝いていた。


「消えろ」


 呟き一つでふつりと蛍石から光が消える。すると、まったき暗闇に世界が覆われた。蛋白石の岩も静まり返って、自分自身の輪郭すらも掴めない。辛抱してしばらく目を開けていると、少しずつ天蓋で星が輝き出した。


 最初は誰もがよく知るおおいぬの星座や大男の星座が見えた。けれど、闇に目が慣れるにつれて見える星は増えていって、星座など何も分からなくなってしまった。明るい星から暗い星まで全部が騒ぎ出して、やかましいくらいだ。


 星は鉱物によく似ている。輝くもの、未だ知れぬもの、そして美しいもの。なによりも、時が経っても変わらないところがよく似ている。


 ──永遠。


 だから、オロは星と石が好きなのだ。何があってもそれだけは決して変わらないと信じられるから。


 星のさざめきに耳を傾けて呼吸をする。冷気が肺腑に染みわたり、身体が奥底から冷えていく。だんだんと身体が岩と一体になっていくような気がした。永い刻を過ごした大地の一部になって、星霜を共に刻んだような、そんな感覚。


 まぶたが落ちかけたそのとき、ちか、と空で何かが光った。


 オロは慌ててまぶたを持ち上げ、夜空に目を凝らす。見間違いではなかった。輝きが天から落ちてくる。虹の尾を引いて星が重力に引かれていく。


 あんまりにも美しかったからオロは呼吸も忘れて見入ってしまった。目が乾いてまばたきを堪え切れなくなって目を閉じる。一粒涙がこぼれて頬を転がり落ちていった。もう一度目を開けても星はまだそこにいる。だんだんと近づいてきているようですらあった。


 毛布を捨てて、地面に落ちたフライパンにつまづきつつ、オロは走り出した。星を追って夜の森に飛び出す。鉱石燈も忘れて上ばかり見て走ったせいで、木には何度もぶつかったし、鋭い葉で身体のあちこちに切り傷ができた。石で膝を切って足が血に濡れているのに、興奮に痛みが押し流されていく。だって、もうすぐ星に触れる。どれだけ手を伸ばしても届かなかった輝きに手が届く。


 湖のほとりに星が落ちた。


 輝きの残滓を探してオロは突き進み、気づけば片足は水の中だった。幸いにも深くなかったので溺れることにはならなかったけれど、冷たい水に傷ごと浸かった激痛が身体中を駆け巡った。


「あ……」


 薄っすらと輝く純白が見えた。痛みを忘れ、水の冷たさも忘れた。惹かれるままに水を掻き分け、天から落ちた何かへと向かう。何度も水底に沈みかけながらも、星への憧憬が魔法のようにオロの足を運んでいく。


 伸びっぱなしの髪が水で顔に張り付いていた。前が見えないので適当に髪をどかして、淡く光っている星に近づいた。


「お、女の子……?」


 星は純白の少女のかたちをしていた。


 真っ白な肌に真っ白な髪、真っ白な服。色のない彼女の身体の下には翼があった。淡く輝いている翼はひしゃげてしまって、ありえない方向に捻じくれている。


「あ、あのぉ、えっと、その……」


 声をかけようと身を乗り出したら水が垂れた。少女を濡らしてしまうのは忍びなくて、オロは数歩下がって服と髪を絞った。ざあっと音を立てて水を流している間に、少しずつ少女の翼からの光が弱くなっていく。そしてとうとう光が消えてしまった。


 墨を落としたような闇が戻ってくる。けれど湖の水面には満天の星が映りこみ、天も地も星で満たされていた。星がひとつ落ちてきたというのに、見上げた空はいつもと変わりない顔をしている。それとも、視界を埋め尽くすほどに星があるから一つ消えても分からないだけなのだろうか。


 少女が目を覚まさないので、オロは途方に暮れて座りこんだ。暗闇をでたらめに走ってきてしまったので帰り方も分からない。鉱石燈も置いてきた。今更になって身体中の傷が疼くし、濡れたせいでひどく寒い。


「へっくしょん」


 大マヌケなくしゃみをして身体を震わせた。


 がくがく震えることしばらくして、オロはやっと火を起こすことを思いついた。水を避けて枯草のようなものを手探りで引っ掴んで山にする。


「燃えろ」


 ぽっと熱が生まれた。手のひらからこぼれた炎が枯草の山に触れて燃え上がる。あの火蛋白石ファイアオパールみたいに。明かりを頼りに木の枝を拾ってくべれば、炎は一段と大きくなって明るさを増した。代わりに星がいくつか見えなくなった。


「ん……、う……」


 少女が身動ぎをした。息を詰めたオロの側で少女は身体を震わせながら目を開ける。炎の光を反射して複雑に煌めいた瞳は、言葉にならないくらいにきれいだった。角度によって別の色が顔を出し、炎が揺れるたびに反射の仕方も変化する。まるで宝石だ。何色なのかは暗くて分からないけれど、明るくなったら分かるだろうか。好奇心が膨らんでオロは顔を少女に近づけた。


「……! 警告。離れ、て」


「ご、ごごごめん!」


 オロは弾かれたように少女から離れた。少女は立ち上がろうとするが、身体に力が入らないらしく何度も失敗している。


「怪我をしているから、上手く立てないんだと思う」


 遠巻きに声を掛けると、少女は首を傾げた。


「怪我? 体、壊れ、た? 飛べ、ない?」


「う、うん。翼も折れてるから飛べないと思うけど……」


 分からないなりに返事をしてみる。


「飛べ、ない」


 悲しそうに少女は繰り返し、立ち上がる努力をやめてしまった。ひしゃげた翼の上に倒れたままで呟いた。


「……帰れ、ない」


「あの、よかったらだけど、その、本当にきみがよかったら、僕が手伝おうか? きみがまた飛べるようになるまで、僕が助けるよ。……あ、いや、その、嫌だったら全然、いいんだけど」


 誰かに話しかけることも話しかけられることも苦手なくせに、オロはそう口にしていた。この美しい星とこのまま別れたくないと思った。


「手伝う、本当?」


 鈴蘭のような声で少女が問う。オロは頭をがくがくと上下に振った。


「うん、手伝う。きみの翼が治るまで、僕がきみの側にいることを許してほしいんだ」


「約束?」


「うん、約束」


 そう言うと、天から落ちてきた少女は微笑んだ。


「……きみは星なの?」


 爆ぜた火の粉が空に舞い上がっていく様子を眺めながらオロは尋ねた。少女が首を横に振ったので、ほんの少しだけがっかりする。


「星、違う。星、守る、管理、する」


「星の外側で星の管理をしているってこと?」


「肯定」


 つまりこの空の外側には少女のような星の管理者がいるということだろうか。だとしたら、オロのいる大地もまた星の一つで、天蓋の星々は一つ一つが小さな世界なのだろうか。もしもそうなら、世界はずっと広くて無限だ。変わらない星は変わらない世界で、ならばきっと、この世界も変わらないまま存在し続ける。永遠に。


「……すごいなぁ」


 オロは笑い声を上げた。びく、と星守の少女の肩が跳ねる。驚かせてしまったようだった。


「突然笑ったりしてごめん。世界の外側があるって知って、僕なんかすごく小さいんだなって思ったら、つい」


「小さい、人間より」


 少し不満そうに少女が言う。オロよりも小さいことを気にしているらしい。


「僕は、オロっていうんだ。きみの名前は?」


 少女はぱちりとまばたきをした。通じていないのだと気がついて、オロは自分の胸に手を当てて名前を繰り返した。


「オロ」


「おろ?」


「うん、僕の名前はオロ」


 少女の不思議な瞳が輝いた。


「オロ、個体名!」


「そうそう! きみの名前は?」


「個体名、ない。必要、ない」


 その目には一切の疑問の色もなかった。生まれてこのかた、名前が必要になったことなんてないんだろう。


「でも、名前がないのは不便だからさ、……僕がきみに名前をつけてもいいかな?」


 恐る恐る言ってみる。図々しい提案だとは分かっていた。


「個体名、オロ、くれる?」


「う、うん。僕がきみに、名前をあげる」


「個体名、持つ、オロ、同じ……」


 しばらく少女は考えこんでいた。最後にオロの灰銀の目を見て笑う。花が綻んだような笑顔にオロの心臓は飛び跳ねた。


「オロと同じ、ほしい」


 そう言って少女はオロに向かって手を伸ばす。身体を横たえたままでいる彼女の方に顔をそっと近づけると、白い滑らかな手が冷たいオロの頬に触れた。その場所から滲みだした温もりが冷え切った身体を溶かしていく。不思議な宝石の双眸と視線が交わり、オロの瞳にさざ波が立つ。


「……クライノート。それがきみの名前だ。〝宝石〟っていう意味なんだ。この世界で僕が一番好きな物と同じ名前。どうかな?」


「クライ、ノート。所有、名前」


 噛み締めるような呟きが薄桃色の唇からこぼれて弾けた。震えがオロの頬に添えられた手から伝わってくる。それで少女が泣いていることをオロは知った。


「泣くほど、嫌だった⁉ え、ええっと、こういうときは謝るんだよね、うん、その、ごめ──」


 白い少女の両手が首にかかって、オロは地面に頭をしたたかに打ちつける。殺されると思って固く目をつむったけれど、全くこれっぽっちもそうじゃなかった。彼女はオロを抱きしめていたのだ。絹糸のような感触の髪がオロに降りかかる。十六くらいの姿をした少女はオロの首に両手を回し、まだしっとりと濡れている服の胸元に顔をうずめた。


「……クライノート、好き」


 天から落ちてきた少女──クライノートは涙に濡れた顔を綻ばせる。


「よかった、気に入ってくれたみたいで本当によかった」


 オロの顔はべろべろに緩んでいた。生まれて初めて誰かを喜ばせてあげられた。ずっと独りで石と星ばかりを見つめていた人生に、やっと意味が生まれたような気がした。目頭が熱くなったかと思えば、大粒の涙がオロの頬を伝っていく。


「オロ?」


 クライノートは指先でオロの涙を掬い上げた。


「泣き止むまで、少しだけ待ってて」


 最後に泣いたのはいつだったろう。分からないくらい昔のことだけれど、嬉しくて泣いたのは間違いなくこの夜が初めてだった。


「クライノート」


 呼べばうつくしい少女が微笑む。オロの大好きなものの名前でオロの奇跡が笑う。彼女のためなら何だって差し出せるとさえ思えた。この心臓だって惜しくない。


 やがて空が白み始めた。騒がしかった星々も一つずつ眠りについていく。漆黒が緩んで藍と紫に分かれて溶けだした。東から緑がじわりと広がって、薄紅がぽつりと空の端に落ちる。それから黄金と桃色が天地の狭間を染め上げたのは一瞬。遠く白い山を同じ色で染め抜いた。


 オロはクライノートと並んで地面に転がって夜明けを待つ。


 東の空に生まれたての光を見たとき、クライノートが目を大きく見開いた。色のない透明な瞳の中で暁が踊る。まばたきのたびに光が複雑に屈折して幾重にも変化する。なにいろの宝石だろうか、と考えていたのが馬鹿馬鹿しいくらい、純粋な無色だった。内側に入った光をすべて砕いてみせるほどの輝きがオロを捉えて離さない。


 ──金剛石。


 クライノートの瞳はこの世界で一番の価値がある宝石に等しかった。

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