壊れたオルゴール side Imaginary Origin
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モーリス・ラヴェル
《亡き王女のためのパヴァーヌ》(1899年作曲/作品番号 M.19)
Maurice Ravel
Pavane pour une infante défunte(1899 / M.19)
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"Pavane" とは、今ではもう踊られることをやめた舞踊の一形態だという。
けれど私がこの曲を聴くとき、思い出すのは、ある少女の部屋に満ちていたラベンダーの香りと、壊れかけたスイス・リュージュ製のオルゴールの、途切れ途切れの音。
〈そう思い込んでいるだけかもしれない〉
少し良い家庭のお嬢様だった幼馴染が、宝物のように抱えていた、大きくて古いオルゴール。ゼンマイが弱っていて、テンポはひどく不安定だった。分散和音に差し掛かるたび、音は途切れ、止まる。そのたび、彼女は小さな白い指で、丁寧にゼンマイを巻き直した。 その仕草はどこか愛おしそうで——そして、少しだけ切なげだった。
「お婆様が大事にしていたものをもらったんだけど、ちょっと壊れているの」
彼女は、少し寂しそうな顔でそう言った。もう会えないお祖母様との思い出が、このオルゴールには詰まっているのだと、子供心にも感じ取れた。
「じゃあ、私がピアノで弾けるように頑張るね」
「本当?嬉しい。弾けるようになったら、絶対聴かせてね」
そう約束した小学生の頃、私は早速、父に頼んで楽譜を買ってもらった。
けれど……優雅な曲なのに、弾く側にはまったく優雅ではないよ!
右手は滑らかな旋律を奏でながら、人の気配を残すようなスタカート。左手は右手と交差し、跳躍し、どう考えても指が足りない。絡み合う指、届かない和音。優雅な旋律の裏側で、あの時、私は必死だった。止まってしまう時間を繋ぎ止めるように、掠れていく記憶を音として固定するように。
〈波形に落ちた瞬間、音は“私の外”に出たのか、“私の内”に戻ったのか〉
けれど、私の小さな指は、零れ落ちる音符を拾いきれなかった。何度も何度も練習したけれど、思うように指は動かなかった。私は小さなグランドピアノの前で、ただ項垂れていた。ピアノの才能もなく、まだ幼かった私に弾ける曲ではなかった。
結局、彼女にあの曲を聴かせることは叶わなかった。 あるいは、彼女がそれを受け取れる場所に、もういなかったのかもしれない。
〈あの日からずっと、私のほうがどこにもいないのかもしれない〉
果たせなかった約束は、棘のように意識の澱に刺さったままだったのだろう――どこにいる意識?
彼女の声が、こちらに届かなくなってから十度目の冬が来た。私は自ら演奏することを半ば諦め、DTMプログラミングを始めた。楽器の構造を学び、音がどのように生まれ、空間を伝わるのかを知った。気づけば、音響信号の解析が、私の研究分野の一つになっていた。
年末。研究室が閉まっている。街も、世界も、どこか閉まっているような時間。
〈開いているのはこの部屋だけなのだろうか〉
風呂から上がり、ふとパヴァーヌを思い出して、書棚の奥からあの楽譜を取り出す。紙は古び、端は破れかけ、色もすっかり変わっていた。楽譜の余白には、小学生の私が書き込んだ指番号と、「がんばる!」という拙い文字。
Cubaseを立ち上げ、ピアノ音源Noireを選ぶ。ペダルの重ささえ、今は音として扱える。
私は楽譜を、かつて弾けなかった子供の目ではなく、存在の揺らぎを測定する観測者の目で分析していく。 鏡に映らない自分の指先が、キーボードの上で影のように踊らせながら、音を数値化し、あの日届かなかった「響き」の座標を特定する。
けれど、最後に音を作るのは、あの日の私だった。
- 掠れたようなスタカート。
- ためらうような旋律。
- それらを支える、柔らかな低音。
やがてそれらは、あのテンポも音程も不安定だったオルゴールの音へと収束していく。
分散和音が、ゼンマイを巻く音に聴こえた。
演奏が止まるたび、彼女が小さな白い指で巻いていた——あの日の光景が蘇る。
モニターに表示される波形を見つめながら、一音ずつ微調整を重ねる。 これは完璧な演奏ではない。あの不完全で、途切れがちで、けれど確かにそこに「命」が振動していたという証拠。
この音の波形は、境界線を越えてどこまで届くのだろう。 十年ぶりに、彼女のいた――あるいは今もいるはずの場所へ、この響きを放ってみよう。新しい年の始まりに。
あの日、果たせなかった約束を、今なら……違う形で。
〈ねえ、あなた………………〉
あなたは、再生ボタンを押してくれるだろうか。
失われた音の記憶が、あなたのスマホから、ふたたび流れだすだろうか?
その記憶が三度巡る時、私はようやく——
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