第2話「余計なお世話」



 画面の向こうにいる相手の顔を思い浮かべようとして、上手く結像しなかった。


 猫背で、サイズの合わないシャツを着た、少し年上の予備校生。

 クラス名簿で名前を見たことはあるし、年齢が三つ上だということも知っている。浪人生の世界では、一年の差はそこまで大きくないが、三浪となるとさすがに「年長者」としての空気が漂う。


(無視するのも、なんか悪いし……。明日、教室で顔を合わせるわけだし)


 私は迷った末、最も角が立たないであろう言葉を選んだ。


『ありがとうございます。今年で最後にできるよう、頑張ります』


 送信ボタンを押す。

 これで会話は終わるはずだ。励ましのメッセージへの、社交辞令の返信。これ以上広がりようがない。


 そう思って、スマホを閉じようとした瞬間だった。


 ――既読。


 一秒もかからずに文字の下に「既読」の二文字がつき、間髪入れずに吹き出しが現れた。


『その意気です。真白さんは素質があるのだから、環境さえ整えれば必ず伸びます』

『環境、ですか?』


 打つつもりもなかった問い返しを、指が勝手に打っていた。妙な引っかかりを感じたからだ。


『ええ。例えば、夕方の休憩時間のことです』

『あの茶髪の彼女。早川さんでしたっけ? 彼女とつるむのは、あまり感心しませんね』


 心臓が嫌な音を立てた。

 ミオのことだ。

 廊下で缶コーヒーを渡してくれた、あの一瞬の出来事。それを彼は見ていたのだ。


『彼女は典型的な、自分だけで堕ちるのが寂しいタイプです。真白さんのような純粋な人が、彼女の「遊び」に付き合う必要はありません』


 純粋。遊び。

 一方的な決めつけに、少しだけムッとした。ミオは確かに軽そうに見えるけれど、彼女なりに不安と戦っていることを私は知っている。


『ご心配ありがとうございます。でも、彼女は大事な友人なので』


 精一杯の反論だった。

 余計なお世話だ、と言いたいのを飲み込んで、やんわりと拒絶を示す。


 しかし、神谷リョウからの返信は、私の意図を軽々と飛び越えてきた。


『優しいんですね、真白さんは。でも、その優しさが隙になるんです』

『受験は戦争です。足かせになる人間関係は、整理する勇気も必要ですよ』

『僕は真白さんのためを思って言っているんです』


 ――あなたのためを思って。


 その言葉の重苦しさに、息が詰まりそうになる。

 反論しようと指を動かしかけて、私は止めた。これ以上返信したら、もっと長い説教が返ってきそうな気がしたからだ。


 私は「勉強に戻りますので、失礼します」とだけ打ち込み、一方的に会話を切り上げた。

 通知をオフにして、スマホを裏返しに置く。


 黒い背表紙の隙間から、何かがじっとこちらを覗いているような気がして、私はカーテンをきつく閉め直した。


<br />


 翌日。予備校の空気はいつもと変わらなかった。


 教室に入ると、いつもの席、左列の後ろから三番目に神谷リョウがいた。

 彼は私が入ってきたことに気づくと、まるで同志に向けるような、穏やかで粘着質な微笑みを浮かべて会釈をした。


「……」


 私は逃げるように視線を逸らし、自分の席についた。


 昨夜のLINEは、悪い夢だったのかもしれない。そう思い込もうとした。

 しかし、その日の夜も、通知音は鳴った。


『お疲れ様でした。今日の講義、真白さんは集中できていましたね』

『ただ、一つ気になったことがあります』

『シャープペンの持ち方です。少し力が入りすぎています。あれでは長時間の試験で疲れてしまう』

『それと、座っている時の姿勢。少し前傾になりすぎて、背中が無防備です』

『あと、言葉遣いについてですが――』


 画面をスクロールしても、文章が続いていた。


 私の態度、姿勢、そして今日の服装に対する指摘。

 昨日のミオへの苦言が「友人関係への指導」だとしたら、今日は「私自身への矯正」だった。


『真白さんは素材がいいのだから、もう少し自覚を持った方がいい』

『僕がついていてあげないと、危なっかしくて見ていられません』


 違和感が、明確な不快感へと変わっていく。


 親でも教師でもない。ただのクラスメイトの浪人生。

 どうしてこの人は、教壇の上から語りかけるような口調で、私をジャッジしているのだろう。


 私は初めて、恐怖に近い感情を抱いた。


 この人は、私を見ている。

 ただ見ているだけじゃない。

 顕微鏡で観察するように、私の細部を舐め回し、勝手に採点しているのだ。

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