第6話 湯と服と、百万ルク
ロイは、街の裏路地を迷いなく進んだ。
人通りの多い大通りを外れ、石畳が少し荒れた道へ入る。
「この街、ハルヴァンにはな」
振り返らずに言う。
「天が授けてくれた最大の恩恵がある」
「……何だ」
俺が聞くと、ロイは振り向いて笑った。
「温泉だ」
セラがきょとんとする。
「……温泉?」
「ああ」
ロイは大きく腕を広げる。
「温かい水が、永遠に湧き出てくる場所だ」
セラは一瞬、言葉を失った。
「……お湯が」
「そうだ。湯だ」
ロイは得意げだ。
「しかも安い。想像してみろ。
寒空の下、キンキンに冷えた水を浴びなくていいんだぞ?」
セラの目が、ゆっくり見開かれる。
「あの……心臓が飛び出そうになるのが、ない?」
「ない!」
即答だった。
「凍えながら歯を食いしばる必要もない!」
セラは、信じられないものを見る目で俺を見た。
俺は肩をすくめる。
「……それは、悪くないな」
「だろ?」
ロイは満足そうに頷いた。
「ただしだ」
ロイは俺とセラを上から下まで見て、鼻で笑った。
「そのボロ雑巾みたいな格好をどうにかしねぇとな」
セラは自分の服を見下ろす。
山を越えてから、何度も血と泥を吸った服だ。
「服屋、行くぞ」
「待て」
俺は立ち止まった。
「まだ金がない」
ロイは気にする様子もなく手を振る。
「気にすんな。立て替えてやる」
「貸しは嫌いだ」
即答した。
ロイが一瞬、目を丸くする。
「……真面目だな、お前」
セラが小さく声を出す。
「ガルド……」
「勘違いすんな」
ロイは指を立てた。
「ユニーク討伐の報酬から、きっちりもらう」
「設備投資と情報料だ。
全部まとめて、後で差し引く」
「……いくらだ」
「百万ルク」
俺は即座に言った。
「高い」
「妥当だろ」
「ゴブリンから救ってやった。十万ルクだ」
ロイが吹き出した。
「おいおい、分かってんじゃねぇか!」
肩を揺らして笑う。
「こりゃ簡単にカモれねぇな」
「カモ?」
「いや、なんでもねぇ」
ロイは咳払いをした。
「分かった。安いので揃える。
その代わり、文句は言うなよ?」
「……ああ」
セラはほっとしたように息を吐いた。
服屋は、思ったより静かだった。
布の匂い。染料の匂い。
山にはなかった匂いだ。
セラは戸惑いながらも、店主に勧められるまま服を選んでいる。
布に触れる指が、どこか慎重だ。
「……軽い」
小さく、そう呟いた。
俺は最低限の動きやすい服だけを選んだ。
余計な装飾はいらない。
ロイは満足そうに頷く。
「よし。次だ」
路地を抜けると、白い湯気が見えた。
石造りの建物。
扉の向こうから、温かい空気が漏れている。
「さて」
ロイが、意味ありげに言う。
「ここからが三択だ」
嫌な予感がした。
「男湯、女湯、混浴」
俺は即座に言った。
「別々だ。死ね」
セラが、何も言わずにロイを睨んだ。
ロイは両手を上げる。
「冗談だって!
マジにすんなよ……」
湯気に包まれた空間は、静かだった。
水の音だけが響く。
湯に足を入れた瞬間、身体が一瞬だけ拒否した。
だがすぐに、力が抜ける。
「……」
言葉が出ない。
熱い。
だが痛くない。
生きている感じが、身体に戻ってくる。
隣の仕切りの向こうから、かすかに水音がした。
セラだろう。
しばらくして、小さな声が聞こえた。
「……ガルド」
「なんだ」
「……すごいね」
「ああ」
それだけで十分だった。
山では、こんな時間はなかった。
生き延びるか、死ぬか。
それだけだった。
だが今は、違う。
この街は、俺たちをすぐには通してくれない。
だが――
拒み続けてもいないらしい。
湯気の向こうで、街の音が遠くなっていく。
まずは、身体を洗う。
次は、金を稼ぐ。
その先で、世界を知る。
順番は、それでいい。
俺は、目を閉じた。
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