いつもの空き教室で、今日も
翌日の空き教室。
廊下の窓の外には、散りかけの桜が風に舞っている。
暖かい日差しと、少しひんやりした風が混じっていて、春の終わりを感じさせた。
俺はいつもより重い足取りでドアを開けた。
正直、今日は休みたかった。昨日のベンチでの出来事を思い出すだけで、顔から火が出そうになるからだ。
だが、部屋にはすでに七瀬さんが座っていた。
「おはようございます、青木くん」
「……おう」
俺がぎこちなく隣に座ると、彼女は机の上に小さな包みを置いた。
「なに?それは」
「昨日言った通り、『勝手なお礼』です。実家から届いた焼き菓子なんですけど、すごく美味しいんですよ」
「……お礼はいらないって言っただろ」
「これは『恩人さん』へのお礼じゃありません。『私の話を聞いてくれる青木くん』への差し入れです」
七瀬さんは、いたずらっぽく笑った。
彼女の中では、もう「あの日」の正体は確定している。でも、彼女は俺が嫌がるような大げさな振る舞いを一切しなかった。
「……そっか。それなら、もらうわ」
包みを開けて、クッキーを一つ口に放り込む。
確かに、驚くほど甘くて優しい味がした。
「……なあ」
「はい?」
「助けたのが俺だって分かって、ガッカリしなかったか? もっとこう、ドラマのヒーローみたいな奴を期待してたんじゃないのかよ」
ずっと気になっていたことを、ポツリと漏らす。
彼女があの日からずっと抱えてきた「理想」を、俺みたいな普通の男が壊してしまったのではないかという不安。
七瀬さんは、窓の外の校庭を眺めながら、穏やかに首を振った。
「むしろ、安心しました。……あの日、私を支えてくれた人が、ちゃんと体温のある、こんなに面白い人だったんだって知ることができて」
彼女は俺の方を向き、まっすぐに視線を合わせる。
「青木くんが恥ずかしがり屋なのも、立派な人間じゃないって言い張るのも、全部知っています。だから、私は青木くんを神様のように扱ったりしません」
「……そうか。ならいい」
「でも、私が困っていた時に助けてくれたのは、事実です」
七瀬さんは、昨日のベンチで俺が支えた方の左手を、一瞬だけ指先でつんと突いた。
「あ、あと……これからは、探しものじゃなくて……今日あったこととか、好きな本のこととか、そういう話をしませんか? 『あの日』の続きじゃなくて、新しい放課後を」
その提案は、俺が一番望んでいた形だった。
別に俺は彼女の特別になりたいわけじゃない。
「……暇だったらな。……とりあえず、そのクッキー。もう一つ食ってもいいか?」
「ふふ、どうぞ。全部食べていいですよ」
西日のせいなのか七瀬さんの頬はほんのり桜色に染まっているように見えた。
あの日を探す時間は終わった。
けれど、俺たちの「どうでもいい話」は、これからもここで続いていくんだろう。
(……まあ、悪くないか)
左手に残っていた微かな緊張が、春の終わりの光と甘い菓子の匂いと一緒に、ゆっくりと溶けて消えていった。
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