第5話:分析という名の防衛機制
【防衛の崩壊】分析 vs 自己紹介
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『【緊急考察】なぜ"黒歴史"は生成されるのか?――自己認識の非対称性と承認欲求の構造的欠陥、及びその精神的防衛機制について』
人は誰しも、過去の未熟な自己の記録――通称"黒歴史"――と対峙した際、強烈な精神的ダメージを被る。これは単なる感傷ではない。過去の自己と現在の自己との間に存在する「自己認識の非対称性」が、アイデンティティの崩壊を引き起こすからだ。
この現象を克服するには、感情的に蓋をするのではなく、客観的に分析し、その生成メカニズムを"システム的"に理解する必要がある。すなわち、これは個人的な恥辱ではなく、全人類が向き合うべき普遍的な課題なのである。
本稿では、そのシステムを解明し、克服への道筋を提示したい…。
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俺は数時間、部屋の隅で死んだように蹲っていた。
床には「黒歴史ノート」が開いたまま落ちている。銀色の文字が、部屋の照明を反射して、俺の目に突き刺さる。
恥ずかしい。
死にたい。
消えたい。
だが…なぜだ?
やがて俺は、まるで壊れた機械人形のように、ゆっくりと顔を上げた。目は虚ろだが、奥に異様な光が宿っている。
なぜ、これほどまでに恥ずかしいのだ?
この感情の正体は?
この現象のメカニズムは…?
俺の「分析癖」が、生き延びるための最後の防衛本能として、半ば無意識に作動し始めた。
俺はゾンビのような足取りでPCデスクに向かった。電源を入れる。青白い光が、俺の顔を照らす。
そして、憑かれたようにキーボードを叩き始めた。
自分の「恥」を、まるで解剖台に乗せた検体のように扱う。客観的な言葉で定義し、分類し、分析していく。
そうだ…これは俺個人の問題ではない。
人類普遍のテーマなのだ。
この痛み、この恥辱を、俺が分析し、メカニズムを解き明かすことで、全人類を救済するのだ…!
俺は、この現象を体験するために選ばれたのだ!
痛みから逃れるため、自分の体験を極限まで一般化・抽象化していく。それはもはや自己正当化を超え、一種の狂気に近い自己犠牲的な使命感へと変貌していた。
指が止まらない。
言葉が溢れ出る。
黒歴史の定義。承認欲求の本質。自己認識の非対称性。時系列における自己同一性の問題。記憶の選択的保存。恥の社会学的考察。
気づけば、1万字を超える超大作が完成していた。
俺は、投稿ボタンをクリックした。
数時間後。
スマホが震えた。SNSで唯一繋がっている友人、中村正からのダイレクトメッセージだった。
『よう。久しぶりに投稿したと思ったら、すごいテーマだな。「黒歴史の構造分析」か』
中村。
あいつなら、俺のこの偉大な試みを理解できるかもしれない…。
俺は期待を込めて、返信を打ち込もうとした。
『ああ、これは重要な研究だ。人類が直面する根源的な――』
その時、中村から追撃のメッセージが届いた。
『で、読んだけどさ。これ、お前の自己紹介?』
俺の指が、キーボードの上で止まった。
自己紹介。
自己紹介、だと…?
築き上げた「分析」という名の最後の砦に、巨大な亀裂が入る。画面がぐにゃりと歪んで見える。
見透かされていた。
自分の必死の防衛機制が、友人にはただの「自己紹介」にしか見えていなかった。
第4章の恥ずかしさとは違う、冷や水を浴びせられたような、冷静で残酷な恥ずかしさが俺を襲う。
返信ができない。
何を書けばいいのか分からない。
画面のカーソルが、無情に点滅を繰り返している。
しばらくして、中村からもう一通メッセージが届いた。
『まあ、そこまで自分を客観視できるなら、大したもんか。ゆっくり休めよ』
その言葉が、優しさなのか、それとも究極の皮肉なのか、判断がつかなかった。
俺はただ、点滅するカーソルを呆然と見つめることしかできなかった。
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別の場所。
中村は自分の部屋で、スマホを閉じた。
友人リストを開く。主人公のアイコンが、画面の一番上に表示されている。
「コメントするべきか…?」
指が、何度もコメント欄とキャンセルボタンを行き来する。
結局、中村は何も書かずにアプリを閉じた。
「…まあ、あいつなりに頑張ってるんだろうな」
中村はベッドに横になり、天井を見つめた。
優しさなのか、見放しなのか。自分でも分からなかった。
友人の痛々しい投稿を、どう受け止めればいいのか。正解なんて、きっとない。
中村は目を閉じた。
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【投稿記事への反応:3件】
└ 匿名ユーザーA:「長い」
└ 匿名ユーザーB:「3行で」
└ 中村 正:「(既読)」
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