第3話:無関心という名の現実障壁
【存在の希薄化】熱弁 vs 無関心
ミヤ・ネオンからの「長文乙」コメントは、まるで消えない烙印のように俺のプライドを焼いていた。
大学のカフェテリア。昼休みの喧騒の中、俺は隅の席で一人、スマホの画面を睨んでいた。あのコメントを何度読み返しても、怒りと屈辱が新たに湧き上がってくる。
ネットの輩は、脊髄反射でしか思考できん低俗な連中だ。だが、現実の対面コミュニケーションならば…俺の論理の深遠さが伝わるはずだ。
その時、同じクラスの佐藤一樹が窓際の席で、スマホをいじりながら一人で昼食を食べているのが目に入った。フォークでナポリタンを巻き取りながら、時折クスッと笑っている。
ちょうどいい。佐藤、お前を啓蒙してやろう。
俺はスマホをポケットに突っ込み、トレイを持って佐藤の前の席に座った。佐藤は一瞬だけ顔を上げ、「あ、どうも」と会釈したが、すぐにまたスマホの画面に視線を落とす。
「佐藤じゃないか」
俺は、できる限り親しげな口調で語りかけた。
「君は、この社会がいかに欺瞞に満ちたメカニズムの上で成り立っているか、考えたことはあるか?」
「へぇ」
佐藤はスマホの画面から目を離さず、左手でナポリタンを口に運びながら相槌を打った。その目は明らかに、スマホのゲーム画面を追っている。
俺は構わず続けた。身振り手振りを交え、時折テーブルを指で叩きながら。
「多くの人間は、教育やメディアによって刷り込まれた"常識"という名の歯車であることにすら気づいていない。だが、物事を俯瞰し、そのメカニズムを理解すれば…!」
「そうなんだ。大変だね」
佐藤の返答は、あまりにも上の空だった。フォークがナポリタンを巻き取る音だけが、妙にはっきりと聞こえる。
こいつ、聞いているのか…?
内心で焦りを感じ始める。しかし、一度振り上げた拳は下ろせない。俺はさらに熱を込めて語り続けた。
「そのメカニズムの根源は、資本主義が内包する矛盾にある。つまり――」
「あ、そうだ」
佐藤が突然スマホから目を離し、顔を上げた。
ついに俺の話に関心を持ったか。そう思った瞬間、佐藤の口から出てきたのは、まったく予想外の言葉だった。
「ごめん、話の途中だけど、今日の3限のレポートの締め切り、今日の5時までだって知ってた?」
佐藤は困ったような笑顔を浮かべている。
「俺まだ1行も書いてなくてさ、ヤバいんだよね。なんかいい感じの参考文献とか知らない?」
俺は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
世界のメカニズム。資本主義の矛盾。俺が語っていた壮大なテーマが、「レポートの締め切り」というあまりに現実的な、あまりに矮小な話題によって、いとも簡単に遮られた。
「え…あ…いや、その…」
言葉に詰まる俺を見て、佐藤は悪びれもなく立ち上がり、トレイを片手に持った。空になったナポリタンの皿が、カチャリと音を立てる。
「あ、ごめん、難しい話してたのに。でもさ、マジでヤバいんだよね、このレポート。単位かかってるし」
佐藤はトレイを返却口に向けて歩き出す。
「じゃ、俺図書館行くわ。よく分かんなかったけど、頑張って」
頑張って。
その言葉が、俺の耳に突き刺さった。
俺の、この世界の本質を突いた言説に対して…頑張って、だと…?
佐藤はそのまま、軽い足取りでカフェテリアを出て行った。背中が、遠ざかっていく。
俺は一人、騒がしいカフェテリアの真ん中で取り残された。佐藤が使っていた席には、ケチャップの染みだけが残っている。
周囲では、学生たちが笑い声を上げ、試験の話をし、バイトの愚痴をこぼしている。サークルの勧誘ビラを配る声。食器を返却する音。誰も俺を見ていない。誰も俺の言葉を必要としていない。
ネットでの論破とは質の違う、もっと根源的な敗北感が、じわじわと込み上げてくる。
自分の言葉が、存在しないかのように扱われた。
それは、嘲笑されるよりも、論破されるよりも、遥かに残酷な現実だった。
俺は、スマホを取り出した。画面にはまだ、ミヤ・ネオンからの「長文乙」コメントが表示されている。
ネットでも、現実でも、俺の言葉は届かない。
初めて、自分の立っている場所が、ぐらりと揺らぐ感覚を覚えた。
じわじわと、恥ずかしさが這い上がってくる。
俺は、カフェテリアの喧騒の中で、ただ小さくなることしかできなかった。
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