第5話 貴族アルバート・アーノスノット
「ガァアア」
覆い被さってくるアナスタシアを剣で押し返そうとする。かなり力を込めているが、抵抗虚しく押しつぶされていく。
人懐っこい笑みを浮かべていたアナスタシアは今、狂気の笑みを浮かべてアルバートを襲っている。その姿を見てアルバートは自然と涙を流していた。
アナスタシアの左腕部分にボコボコと肉が集まり腕を再生させていく。再生が終わったその腕でアルバートの首を絞める。
このまま魔人と化したアナスタシアを残して死ぬわけにはいかないと気力を振り絞って抵抗する。しかし、状況は好転せず意識が遠のいていく。
「泣いても意味はないぞ」
フェリックスの声が聞こえた。瞬間、体が軽くなり呼吸がしやすくなった。
「っはあ、はあ、はあ」
必死に肺に空気を送る。ぼやけていた視界に、徐々に光が戻る。
すぐ隣にフェリックスがいた。
アナスタシアがいなかった。
周囲を確認する。いない。
フェリックスが上を指差した。
その方向を見る。
アナスタシアが宙に浮いていた。
涎を垂らし、人語とは思えない叫び声をあげている。人というより、獣であった。
「一体なぜ魔人化したのだろうな? 生まれつき自然魔力でも注ぎ込んだか? 」
フェリックスはアナスタシアを興味深い目で見ていた。
「……疑ってすみませんでした」
「構わない。見ず知らずの他人をいきなり信用はできないだろう」
フェリックスは特に怒ることなく静かに話した。
アルバートは厚かましいと思いながらも、フェリックスにどうしても聞きたいことがあった。
「あの……アナスタシアが助かる方法はありますか? あったら教えて、欲しいです」
アルバートは正座の姿勢となり、丁寧な口調を心がけながらフェリックスに頭を下げた。
「あるが、話している時間はないぞ」
アルバートがその意味を問いただそうとしたところ、凄まじい地響きがアルバートの体を揺らした。
「なんだ」
アルバートは周囲を見渡す。周辺より高い場所にいるからか、壁の向こうで土煙が立つのが見える。
「結界が解けて、都市周辺にいた魔物達が押し寄せてきたのだろう」
結界。本を読んで知っていた。
自然魔力を利用した魔物を寄せ付けない効果を持つ魔法で、人々を守るために都市には必ず張られている。人の目には見えず、人の往来を阻むものではない。
結界の効果なしでは力を持たない人々は魔物達に蹂躙されてしまう。多少戦える者はいるが、圧倒的な数に押しつぶされてしまうだろう。
「その結界を張り直すことはできないんですか? 」
焦りを滲ませる声でフェリックスに質問する。
「私には不可能だ。しかし、教会の人間なら結界を張り直せる。彼女達は魔力の性質が根本的に異なるからな」
教会、確か北区に教会があったはず。そこに行けば希望があると思い、立ち上がり向かおうとする。
「やめておけ。わざわざ結界を壊すような奴がそこまで頭が回っていないとは思えない。ここを襲撃されてから数時間は経っている。にも関わらず、何も対策をしていないということは教会も襲撃された可能性が高い」
襲撃。あれだけの爆発が目立つ所であったのだ。どさくさに紛れて教会を襲撃することは可能だ。もしくはアーノスノット家の前に襲撃されていたか。
一体誰が襲ったのだ? アーノスノットに恨みがある人間がやったのか? アルバートは頭のリソースを犯人探しに費やそうとした。しかし、すぐに今考えても意味のないことだと思い直す。
「他にも結界を張る魔道具を使う、という方法はあるが、仮に魔道具があったとしても、持ち主は恐らくここの当主。爆発に巻き込まれて粉々だろうな」
魔道具と言われてすぐに父がつけていた、あの指輪を思い出す。ただ、あれは結界を張るものではなく魔法の出力を上げる物。結界を張ることはできない。
どうするべきかアルバートは迷った。アナスタシアは魔人化し、凶暴化。宙に浮く彼女はボコボコと肉体が壊れては再生を繰り返している。魔人化による影響で肉体の崩壊が始まっていた。今は再生が優勢だが、いつ崩壊速度が再生速度を上回るかわからない。
しかし、アルバートは貴族として領民を見捨てることはできない。たとえ追放された身でも、名乗ることを許されなくても、アーノスノット家の一員という誇りだけは捨てられなかった。
それに、領民には関係のないことだ。魔力があろうがなかろうが彼等は待っている。自分達の為に戦ってくれる存在を。それに応える力がなくとも戦わない選択肢などアルバートにはなかった。
アルバートは剣を強く握った。
「戦うのか? 私としては逃げることをお勧めするが」
アルバートの戦意に気づいたフェリックスは忠告する。
「俺はアーノスノット家を追放された。その名を名乗るのも烏滸がましいし、資格もない」
アルバートは、父の黒ずみ変形した手の元に歩く。その指から指輪を引き抜く。
「けれど、領民には関係ない。俺は貴族として生まれたんだ。役目を放棄したらそれこそアーノスノット家の恥だ」
指輪を左の人差し指につける。
「妹は魔人となり、領民の為に戦えるアーノスノットの血筋は俺だけ」
魔物の数や配置は分からない。
状況を分析し、自分がいくべきところを考える。
東区は農地で人が少ない。その分避難はしやすいはず。
西区は商業地帯で商人が雇った傭兵がいる、冒険者ギルドもある。戦える者が多い。
北区は住民が多い。それに教会が襲撃されていたら、混乱がより大きくなっているだろう。騎士達もいるが、圧倒的に人手が足りない。
南区には王国から派遣されている騎士団の詰め所がある。彼等は優秀だ。魔物に負けはしない。
アルバートは北区へ行くことにし、歩き出す。
「魔力がないなら即死だぞ」
「そうかもしれない。でもそれが戦う理由にはならないんだ。俺はアルバート・アーノスノット。このアーノスノットを治め守護する貴族なんだ。……そうありたいんだ」
アルバートは優しく微笑みを浮かべた。
「今日会った人に頼むことじゃないですけど、妹のアナスタシアをよろしくお願いします」
ぺこりとアルバートは頭を下げた。
「見ず知らずの奴に大切な妹を任せるのか? 」
「今の俺には、貴方が悪い人に見えません。話していて、妹を任せられる優しい人だと思ったんです」
フェリックスはそのキリッと整った顔をぼんやりと締まらない、間抜けな顔に変えた。
「ッハハハ」
そして、唐突に笑い始めた。
「いいだろう。君の貴族としての誇りに敬意を表して、この賢者フェリックス・ウェンチェスターが力を貸そう」
フェリックスは空中で暴れるアナスタシアをゆっくりと降ろしていく。降りてくるアナスタシアをアルバートはそっと抱き止める。何かしらの魔法を使ったのだろう。アナスタシアはおとなしく眠っていた。
次にフェリックスは片手を宙に上げる。すると、パッと空が急に明るくなった。
アルバートは咄嗟に目を瞑る。
光に慣れた頃に目を開けると、アーノスノットの空を赤く燃え盛る数千、いや数万の炎が埋め尽くしていた。
「
瞬間、数多の炎は土煙をあげ迫り来る魔物達に向かっていった。
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