1章 竜と人
第1話 積荷
「もう一月もすれば竜人祭か。」
甘く実った果実がぎっしり詰まった木箱を抱え、荷馬車から下ろしていると、
「ああ。いよいよだな。」
「さすがに祭部だけじゃ人手が足りないか。」
肩で息をついて、花魚が荷台を見上げた。
「仕方ないさ。日頃タダ飯食らいって言われてる守備隊の、ーー使い途のない筋肉の晴れ舞台とでも思おう。」
鐘道がぼそっと言う。
花魚が目を細めて笑った。
「お前、その言い方…ウケる!」
竜人祭は、十六年に一度、竜の出現周期に合わせて行われる、"竜人の里"最大の行事だ。
大婆様により選ばれた一人の巫女が、中央広場に設けられた舞台の上で、"鎮竜の舞"を踊る。
舞により竜の怒りを鎮め、世界各地で"竜災(竜による街の破壊)"が起こるのを防ぐのが目的だ。
竜人の里は、ダリア大陸の西端に位置する人口1000人にも満たない小国であるが、世界の命運を担うその役目がゆえに保護され、主だった産業がなくとも飢えもせず、戦火にも最も遠く安全な場所として、何千年も昔から今日この日まで、形を変えずに国が続いている。
つまるところ竜人祭とは、世界中の人々の希望であり、その命にも等しい大切な行事なのだ。
祭の日には里中が祭具で飾られ、出店が並び、国賓のもてなしもある。
だからこうして、守備隊までもが駆り出され、一月も前からその準備に追われているのだ。
当事者としては、なかなか骨が折れる。
「竜人祭の日って、実際に竜が出るんだろ?」
花魚が急に声を落とす。ふざけた顔の奥に、ほんの少しだけ緊張が混ざっていた。
「出る。お目にかかれたことはないがな。」
鐘道は木箱を持ち上げたまま答えた。腕にじわりと重みがくる。
「信じられるか?
雷と風を操り、灼熱の炎で街を焼く怪物だぞ。そんなのがこの世界にいるなんて。」
花魚が木箱に手をついて、じっと鐘道の目を見て言った。花魚の瞬きが止まる。
「俺たちが疑う話じゃないな。」
後ろにあった木箱を持ち上げて、鐘道が言う。
「この里が今も地図に残っていることが、その証明だろ。
竜はいる。だからこの里に巫女がいて、俺たちがいるんだ。」
「もっとも、俺たち守備隊が、いったい何から国を守っているのかは、俺自身、見当もつかないがな。」
「なんだそれ!自分で言うか?」
花魚がまた目を細めて笑った。
「そう言えば鐘道!
今年の巫女は、誰になるんだろうな?」
花魚は胸当ての隙間に、左手を器用に滑り込ませて背中を掻くと、長い伸びをしながら鐘道に問う。
「知る立場にない。」
そっけなく返したものの、鐘道には思い浮かぶ人物がいた。幼馴染の
艶のある長い黒髪を振り乱し、きめ細やかな白い肌に汗を浮かべ、碧色の瞳を輝かせて踊る碧星の姿を想像すると、胸の奥がざわついた。
その沈黙を見て、花魚がにやつく。
「お前、ほんと分かりやすいよな。」
「ほっとけ。ナンパ全敗野郎。」
鐘道が切り返すと、花魚の栗色の眉が跳ね上がる。
「ああ?!なんだそれ!」
つまらない喧嘩をしていると、荷馬車の上から怒鳴り声が落ちてきた。
「おめぇーら!話してないで手動かせ!
見ると赤茶の髪を尖らせた男が、二人を見下ろし、睨みつけていた。
「悪い悪い、
花魚が背中をピシャと伸ばし、梯子に足をかける。
鉄江も幼馴染の一人で、鐘道、花魚と共に南伯隊に所属する仲間だ。
「鐘道!」
眉間に皺を浮かべながら鉄江が呼びかける。
「わかっていると思うが、南伯隊がうまくいくかは、俺たち二人の活躍にかかっている。頼むぞ!」
「ああ。」
鐘道は短く答え、木箱をせっせと運ぶ。
「はぁ?!俺は?おい!俺にもかかってるだろ!」
花魚が荷台の上で、足をバタバタとさせる。それを見て笑う鐘道と鉄江。
午後の日差しが荷馬車の影を、ゆっくりと西へ伸ばしてゆく。小さな風が吹いて、黒毛の馬が嘶いた。
「鐘道!」
急に後ろから話しかけられる。笛の音のように高く澄んだ優しい声、碧星だ。
「よう、碧星!舞の練習は休みか?」
木箱を落とさないように、胸でしっかりと支え、振り向く。
「休みってわけじゃないの。
子石に薬を届けた帰りだよ。」
「そっか。お疲れさん。」
子石は里の子どもで病気を患っている。碧星を姉のように慕い、碧星もまた弟のように可愛がっていた。
大事な舞の練習を抜け出してまで、人助けに奔走するーーそれが碧星だ。
感心しまじまじと碧星を眺めていると、碧星がふふっと笑った。
「祭り、楽しみ?」
黒い艶髪と一緒に、白藍の玉がついた髪飾りが揺れる。
「ああ。娯楽の少ない里なもんで。」
鐘道は含みある言い方をした。
「…無事に終わればな。」
碧星の笑顔が、一瞬だけ揺れた気がしたが、すぐに、いつもの優しい表情に戻った。
「じゃあ、大婆様に呼ばれてるから、またね。」
碧星が手を振り、鐘道も振り返す。
碧星は急いでいたらしい。
薄青の巫女の衣を大きく揺らして駆けてゆく。
その小さくなっていく背中を見て、鐘道は思った。
この変哲もない日々が、ずっと続けば良いと。
風が吹き、黒毛の馬がまた嘶く。
鐘道の黒褐色の髪が、馬の尾と一緒に踊った。
積荷をすべて下ろした頃、石畳の上に、光るものを見つけた。見覚えのあるそれは、碧星の髪飾りであった。
走った拍子に、髪飾りの紐が解けたのだろう。
ちょうど仕事が済んだところである。
鐘道は大婆様の居る竜宮へ、髪飾りを届けに行くことにした。
竜宮に着いて碧星を探す。
煌びやかな装飾で彩られた柱や天井を見ると、その造形の細かさには、芸術に疎い鐘道でも圧倒される。
これが権力、権威というやつなのだろうか?
すれ違う人がみな、賢く聡明に見えてくる。
幾つかの通路を抜けた先に、大極殿の間はある。その豪華絢爛な扉の向こうで、人の話す声が聞こえた。
「…巫女については、もう決めておる。」
掠れの混ざった低い声。大婆様だ。
「お婆様。では、やはりあの娘が。」
「碧…」
言いかけて飲み込む。
聞こえてきた声は碧星のものではなかった。
廊下まで凛として響くその声の主は、近衛兵団の団長、
盗み聞きをしたとあっては処罰を受ける。
鐘道は背を向けてそこを離れようとした。
「碧星は…」
鐘道の足が止まる。
「あの娘は元々、外の人間だ。」
大婆様が大きく息を吐く。
「都合がよかろう。
"竜への生贄"とするには。」
鐘道の足が震える。
全身の血が引き、強い吐き気がした。
(竜への生贄?…碧星が?)
きっとひどい顔をしていただろう。
鐘道は誰とも顔を合わせないようにして、逃げるように竜宮を出た。
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