第2話 水宝石
鐘道が竜宮に行く1時間前ーー
碧星は、竜宮・大極殿に来ていた。
「大婆様、お話とはなんでしょうか?」
大極殿と呼ばれるその部屋は、丁寧に加工された布や宝石で鮮やかに彩られていた。里の長である大婆様の住む竜宮の一室であり、政務や祭事にも利用されている。
碧星の見つめる先に、"大婆様"と呼ばれる老婆はいた。
部屋と同じ色調で装飾がされた椅子の肘掛けにしっかりと肘を乗せて、丸まった背中を支えながら、絞り出すように声を出す。
大婆様の低く掠れた声は、見た目ほど弱々しいものではなく、彼女の抱える重責をそのまま乗せたかのように、大きな威厳と風格を伴っていた。
「碧星、今回の竜人祭で巫女となるためには資格が必要じゃ。里の南西にある海鳴洞の奥より、"水宝石"と呼ばれる宝玉を持って参れ。
水宝石を無事持ってくることができたなら、それを巫女の証としよう。」
大婆様は手に持った杖の先で、時折床をコツコツと叩きながら、白く濁った瞳で碧星を見つめた。
海鳴洞は里から歩いて3時間ほどの場所にある洞窟で、海に面した岩場に入り口がある。里の者たちからは、大鰐の棲家として恐れられていた。
「私、一人でですか?」
碧星がおそるおそる聞くと、大婆様はブワッと大きく笑う。
「安心せい。そなたに戦闘力など期待しておらぬわ。従者を連れて行け。里の兵で構わぬ。お前の馴染みの、ほれ、鐘道。あ奴らを連れていけば良かろう。何人でも構わぬ。」
碧星は自分を見つめる老婆の瞳が、何か別のものを映しているかのように見えて、理由のわからない不安に襲われた。
その一方で、鐘道と共に試練に臨めることへの安心感が、肩の緊張をゆっくりとほぐしていくのを感じつつ、部屋を後にした。
所変わり、海鳴洞ーー。
鐘道たちは、潮の匂いを肌で感じながら、薄暗い洞窟の中を、碧星の持つ松明の明かりを頼りに進んでいた。
「鐘道!後ろに来てるぞ!」
鉄江が叫ぶ!
振り向くと、頭から尾の先まで4メートルはあるであろう大鰐が、今にも襲い掛かろうとしていた。
「せぁああっ!」
と声を上げ、鐘道は両手に持った鉄の剣を振り下ろす。
大鰐の上顎にガツンと当たった剣は、そのまま下顎まで食い込み、鰐の顎が開くのをしっかりと押さえつけていた。
骨を砕いた反動が腕に跳ね返り、肘のあたりまで痺れを感じる。
その時、横から別の鰐が鐘道の腹を噛みちぎろうと、水の中から飛び出してくる。
その頭を鰐より速いスピードで、鉄江の槍が突き刺した。
「助かる!鉄江!」
「道!まだわらわらいるぜ!油断するなよ!」
前にいた花魚が、鉄兜の隙間から目を覗かせて、振り向きながら言った。
普段の軽口が、こう言う時は頼もしい。
「お前もな!」
まだ余裕があると言わんばかりに鐘道が笑って見せると、花魚も歯を見せて笑った。
鰐が動かなくなったことを確認して、鐘道が碧星のそばに駆け寄る。
「碧星!大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ。」
碧星が短く答える。
花魚が前を、鉄江が横を、鐘道が後ろを固めて碧星を守る。
配置につくと、赤い炎ゆらめかせ、碧星と従者たちは再び歩みを進めた。
四人はかれこれ2時間、洞窟の中を彷徨っている。
洞窟を流れる川が轟轟と唸る。
蝙蝠のキィッと鳴く音が、狭い洞内に反響する。
「こうしていると、昔を思い出すな。」
鐘道は碧星の持つ松明の炎を見つめながら、話し始める。
「昔、兎を狩りに行ったことあったろ。東の森で。」
「あったあった!懐かしいな。」
花魚が身を乗りして言う。
「俺たちは訓練として参加してるのに、それを心配したどっかのお姫様が着いてきちゃってな。」
碧星は目を伏せ、髪を触る。
それを横目に、鐘道は楽しそうに続けた。
「お姫様は戦えもしないから、仕方なく皆で囲んで歩くんだけど、俺たちも子どもで器用じゃないから、兎を追いかけている内に、碧星を見失って、それでやっとの思いで碧星を見つけたと思ったら、今度は全員で迷子になって。」
「その節はすみませんでした。」
碧星が目をギュッと瞑り謝る。
「そんな俺たちがだ。
今、碧星の従者として、一緒に試練に挑めるのが嬉しい。
花魚も鉄江もきっと同じ気持ちだ。」
「みんな…。」
碧星が目を細めて微笑んだ。その笑顔はあの頃と同じ、健気でかけがえのないものに見えた。
「美味しいところ持っていきやがって!」
花魚が鐘道の腹を小突く。
鉄江は目を瞑りフッと笑った。
危険な洞窟にいても幸せな時間が流れる。
そうなると、考えないようにしていても、大婆様の言葉が頭をよぎった。
竜の生贄。碧星が?
水宝石を持ち帰らずに帰れば、彼女は生贄とならずに済むのだろうな?
いや、駄目だろう。
すでに竜の巫女は決まっている。
何か理由をつけて、押し切るはずだ。
この試練は単なる八百長で、成否に関わらず、碧星の命のカウントダウンは止まらない。
この里が、世界が、たった一人の"碧星と言う少女の死"を望んでいるのだ。
仕方のないことだ。
誰かがやらなければいけない。
でも、碧星じゃなくても良いと思う。
でも…、
ただの守備兵の鐘道には、その歪んだ仕組みを止めることなどできない。
その動かしようもない事実だけが、鐘道の肩に重くのしかかり、叫び出したくなる気持ちを抑え込む。
まるで顎を縫い付けられた鰐のように。
鐘道の口は不自由だった。
横たわる大鰐たちの骸を積み重ね、一行はついに、最深部へと辿り着く。
「これが、水宝石。綺麗。」
碧星が感嘆の声を漏らす。
洞窟の壁を切り出して造られた台の上に、悠然と鎮座するその宝玉は、深い蒼の光を放ち、どこか神性を帯びているようにも見えた。
その美しい光が四人の目を一箇所に集め、離さない。
「まさか、これほどまでとは。」
鉄江が言う。その口は言い終えてもまだ開いたままだ。
「まさかだよ。君からそんな言葉が出るなんて。」
花魚がすかさず茶化す。
いつもなら喧嘩になりそうな場面だが、それ以上は誰も何も言わなかった。
「これを持って帰れば、碧星が竜の巫女になるんだな…。」
鐘道はみんなの顔を順番に見ながら言う。
花魚は澄まして微笑み、鉄江も誇らしげに歯を見せた。
そして碧星は、
「ありがとう。みんなのおかげだよ。」
満面の笑みで微笑んだ。
碧色の瞳に水宝石の碧が混ざり、青碧の光となって、鐘道の目に入る。
鐘道は思った。このままずっと目を奪われたまま、動けなくなるんじゃないかと。
天井からピチャッと落ちた水滴の音で、縛られた神経が動き出す。
一行は水宝石の間を後にし、来た道を戻るのであった。
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