第3話:砂糖とミルクの魔法
森の奥へ進むこと数分。突然、視界が開けた。
「へ、いらっしゃい。ここが俺の城だ」
イーズさんが指差した先には、美しいログハウスが建っていた。
太い丸太を組んだ頑丈な作り。煙突からは煙がたなびき、周囲には丁寧に手入れされた畑が広がっている。
まるで絵本に出てくるような、隠れ家的なカフェ――。
「ウホッ!(おかえり!)」
……の庭から、身長三メートルの巨大なゴリラが飛び出してこなければ、の話だが。
「ひっ!?」
「おっと、ビビらせてごめんな。こいつは従業員のゴリさん」
「じゅ、従業員……?」
セリーナは腰を抜かしそうになりながら、イーズの背中に隠れた。
キラーエイプ。森に入った冒険者を物理的にミンチにする凶悪な魔物だ。
それが、なぜか腰に可愛らしいエプロン(特注サイズ)を巻いて、愛想笑いのような顔で手を揉んでいる。
「ほらゴリさん、お客さんが怖がってるだろ。薪割りでもしてな」
「ウホウホ(へい、店長)」
ゴリラが敬礼して去っていく。
セリーナは眩暈(めまい)がした。この人は、魔物を使役(テイム)しているのか。それも、こんな高ランクの魔物を、牧場の牛みたいに。
「ま、入ってくれよ」
カランカラン、とドアベルが鳴る。
店内に入った瞬間、セリーナは鼻をひくつかせた。
(……いい匂い)
焦げ臭いのに、どこか香ばしい。ナッツや花のような、複雑で奥深い香り。
外の緊張感が嘘のように、その香りはセリーナの神経を安らげていく。
「適当に座ってて。今、気付け薬を淹れてやるから」
「き、気付け薬……ですか?」
イーズはカウンターの中に入ると、手慣れた手つきで準備を始めた。
石の道具で黒い粒を砕き、お湯を注ぐ。
立ち上る湯気と共に、香りが一層強くなる。
「はい、お待たせ。うちの特製『ブラック』だ」
コト、と置かれたのは、湯気を立てる黒い液体が入ったカップ。
どう見ても、魔女が鍋で煮込んだ毒薬か、沼の底の泥水だ。
「さあ、グイッといけ。目が覚めるぞ」
「は、はあ……」
セリーナはゴクリと唾を飲んだ。
命の恩人が勧めるのだから、毒ではないはずだ。
覚悟を決め、カップに口をつける。
――ズズッ。
「ッ~~~~~~~~!!!!」
瞬間、舌を襲ったのは衝撃的な刺激。
「にっ、がぁあああああ!? な、なんですかこれ!?」
「ぶははは! いいリアクションだなぁ!」
涙目で叫ぶセリーナを見て、イーズが腹を抱えて笑っている。
セリーナは抗議の声を上げた。
「笑い事じゃありません! 舌が痺れるほど苦いじゃないですか! 焦げた木汁ですか!?」
「まあまあ。人生に疲れた奴には、この苦味が効くんだが……お嬢さんにはまだ早かったか」
イーズはニヤニヤしながら、小さな壺を取り出した。
「じゃあ、これでどうだ? 『魔法』をかけてやる」
彼がカップに注いだのは、白い液体(ミルク)と、琥珀色の液体(蜂蜜だろうか)。
スプーンでくるくると混ぜると、漆黒だった液体が、優しいベージュ色に変わっていく。
「ほら、騙されたと思って、もう一口」
「……信じませんからね」
セリーナは疑心暗鬼のまま、再びカップを口に運んだ。
恐る恐る、一口。
――ん?
口に含んだ瞬間、セリーナの目が丸くなった。
先ほどの暴力的な苦味が消えている。
いや、消えたのではない。
ミルクのまろやかさが苦味を包み込み、蜂蜜の甘さがそれを引き立てているのだ。
温かくて、甘くて、ほんのりとほろ苦い。
喉を通ると、お腹の中からじんわりと熱が広がり、冷え切った指先まで温まっていく。
「……おい、しい……」
無意識に、言葉が漏れた。
王都の高級店で飲んだどんな紅茶よりも、ハーブティーよりも、深く心に染み入る味。
「だろ? これを『カフェオレ』って言うんだ」
「カフェ、オレ……」
「ブラックな職場で疲れた体には、甘いのが一番だ」
イーズの何気ない一言が、セリーナの胸に突き刺さる。
張り詰めていた糸が、プツリと切れた。
上司の怒鳴り声。
終わらない書類の山。
誰も助けてくれなかった孤独。
そして、死にかけた恐怖。
それらが、温かい飲み物と共に溶けていく。
「う、ぐ……っ、ひっ……」
ボロボロと、涙がこぼれ落ちた。
一度溢れた涙は止まらない。大人の女性が人前で泣くなんて恥ずかしいのに、嗚咽が止まらなかった。
「……あーあ、泣かせちゃった」
イーズは困ったように頭をかいたが、慰めの言葉はかけなかった。
ただ黙って、新しいハンカチをカウンターにポンと置く。
その適度な距離感が、今は何よりもありがたかった。
◇
一時間後。
すっかり泣き腫らしてスッキリしたセリーナは、空になったカップを見つめていた。
頭の中は、あの『カフェオレ』の糖分のおかげか、驚くほど冴え渡っていた。
(この飲み物は、売れる)
元・財務官僚としての計算高い脳が、急速に回転を始めていた。
中毒性のある香りと味。覚醒作用。そして、リラックス効果。
貴族も、騎士も、平民も、一度知れば虜になるだろう。
「イーズさん」
「ん? 落ち着いた?」
「はい。おかげさまで。……それで、ご相談なのですが」
セリーナはキリッとした顔を上げ、イーズを真っ直ぐに見つめた。
「私を、ここで雇っていただけませんか?」
「は?」
「行く当てもありませんし、宿代もありません。ですが、この店の経営、私が立て直して差し上げます」
「立て直すって……俺、まだ開店前なんだけど」
「開店前だからこそです! こんな森の奥地で、こんな怪しい黒い水を売ろうなんて、正気の沙汰じゃありません!」
セリーナはバンとテーブルを叩いた。
「いいですか? 商品は一級品ですが、貴方の経営センスは三流です! 私がいないと、この店は三日で潰れます!」
「うわ、はっきり言うなぁ……」
イーズは苦笑したが、嫌そうな顔ではなかった。
「ま、いいか。俺もちょうど、計算とか面倒くさいと思ってたんだ。よろしくな、えっと……」
「セリーナです」
「よろしく、セリーナちゃん。俺は店長のイーズだ」
こうして。
元S級剣士の店長と、元エリート官僚の店員による、奇妙な『カフェ・隠れ家』の歴史が始まったのである。
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