【第二章:最初の散歩と、日常の始まり】

朝、目が覚めた瞬間、

私はいつもと違う音に気づいた。


――くぅ……くぅん。


布団の中で、しばらく動けずにいる。


「……夢じゃないよね」


昨日の出来事が、

頭の中で何度も再生される。


段ボール。

小さな体。

震える声。


私は、勢いよく布団を跳ね上がった。


「おはよう、レオ……!」


リビングへ行くと、

そこには小さなサークルが置かれていた。


中で、レオが丸くなっている。


私の足音に気づくと、

顔を上げて、きょろきょろと辺りを見回した。


「……起きてた?」


しゃがんで声をかけると、

レオは一歩だけ後ずさる。


「あ……ごめん」


距離を詰めすぎたことに気づいて、

私は動きを止めた。


「大丈夫だよ。

ここは、おうちだから」


自分に言い聞かせるみたいに、

小さく付け足す。


するとレオは、

しばらく私をじっと見つめてから、

少しずつ前に出てきた。


鼻先が、私の指に触れる。


「……かわいい」


声が、勝手に柔らかくなる。


その時、

パタパタと足音がして、妹が飛び込んできた。


「レオ! おはよう!」


「未来、声大きい」


「えっ、ごめん!」


レオは、びくっと体を震わせ、

すぐにサークルの端に寄ってしまった。


「ほら……怖がってる」


未来は、しゅんと肩を落とす。


「……ごめん」


母が、キッチンから顔を出した。


「最初はね、

静かに話しかけてあげて」


「うん……」


父も新聞を畳みながら言う。


「今日は、最初の散歩だな」


「え、今日?」


心臓が、少し跳ねた。


「大丈夫かな……」


「短くでいい。

外の空気に慣れさせるだけだ」


朝ごはんのあと、

私はリードを手に取った。


「……これ、つけていい?」


「ゆっくりね」


母が、レオの首輪を支える。


レオは、

何が起きているのか分からない様子で、

耳を伏せた。


「レオ、大丈夫」


私は、できるだけ低い声で言う。


「すぐ終わるから」


玄関を開けると、

朝の空気が、すっと入り込んできた。


「……」


レオは、

一歩も動かない。


「……行かない?」


私は、リードを引かず、

ただ待った。


車が通る音。


遠くで、救急車のサイレン。


その瞬間、

レオの体が、はっきりと震えた。


「……怖いよね」


しゃがんで、目線を合わせる。


「でもね、

私がいるから」


レオは、私の顔を見た。


しばらく、

本当に長い時間、見つめ合った。


そして――


一歩。


ほんの数センチだけ、

前に足を出した。


「……!」


私は、思わず息を止めた。


「すごいよ、レオ」


その一歩を、

誰よりも大事にしたかった。


散歩は、

家の前を少し歩いただけで終わった。


それでも、

胸がいっぱいになる。


「よく頑張ったね」


家に戻ると、

レオはくたっと座り込んだ。


未来が、そっと言う。


「レオ、えらいね」


レオは、

その声に、尻尾を少しだけ振った。


――こうして、

私たちの日常は、始まった。


朝は散歩。


学校へ行く前に、

水を替えて、

「いってきます」と言う。


帰ってきたら、

また散歩。


夜は、

みんなで同じ部屋で過ごす。


「疲れた?」


「……うん。でも楽しい」


「でしょ?」


母が、微笑む。


私は、レオの寝顔を見ながら思った。


この子の「怖い」を、

一つずつ、

一緒に減らしていこう。


それが、

私の役目なんだ。

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