第2話 秘密結社
今のこんな時代が、
「史実」
というものから、
「どの部分で狂ってきたのか?」
というのは、なかなかあ分かるというものではなかった。
「実際に狂った歴史ではない」
といえるとすれば、
「大東亜戦争終結」
くらいまでは、まったく違った歴史ではない。
昭和20年8月15日において、日本は、無条件降伏
ということであった。
もっとも、この歴史は、
「欧米列強に対して宣戦布告をした」
という時点で確定していたといってもいい。
ただ、もっといえば、研究家によって意見は分かれるが、
「満州某重大事件」
あるいは。
「満州事変」
あたりからになるともいえる。
ただ、
「対華二十一か条要求」
あたりからではないか?
という意見もあり、要するに、
「歴史というのは、ドミノ倒しのように、どこから始めても、同じ結果になっている」
といってもいいかも知れない。
「戦後のどさくさの時代」
あたりから、
「やくざのような連中が暗躍を始めた」
というのは。
「政府の配給に頼っていれば、皆、栄養失調で死に絶える」
ということから、
「闇市」
というものが流行ってきて、そこで手に入れたお金を下に、闇市の経営者は、
「金と力」
というものを手に入れる。
さらに、彼らに、
「再軍備」
という愛国心に飽津れる右翼というものが結びつくことで、だんだんと、組織が大きくなってくるということだ。
実際に、安保闘争などで、大きな問題になった時、その利益をほしいままにしたところもあり、それが、組織を作るということで、
「やくさ」
としての組織が出来上がってきたのだ。
それが、
「もはや戦後ではない」
といわれるようになると、警察の摘発などもあり、
「組織としての隠れ蓑」
ということで、
「組織を株式会社化する」
ということが、当たり前になってきたのだ。
しかし、株式会社にすることで、犯罪の種類が変わってくる。
いわゆる、
「詐欺といわれる連中が出てくる」
ということになるのだ。
見た目に目立つ、
「凶悪犯罪」
というものではなく、善意の人間をだますということで、
「静かではあるが、本人が分からないうちに、借金していた」
などということで、しかも、相手が、取り立てを合法的にやっているということであれば、
「いくら警察に訴えても、どうしようもない」
ということだ。
もっといえば、警察というのは、
「民事不介入」
ということで、
「詐欺事件には、介入できない」
ということになる。
もちろん、暴力を振るわれたり、傷害を受けたりすれば、
「傷害事件」
ということで、被害者と加害者ということになって、警察が動くのだが、そのもとになった、
「借金」
ということに関わることはできない。
法律上問題がなければ、
「借りたものは返さなければいけない」
ということで、
「借りた方が悪い」
ということになるのだ。
ただ、これが、
「法外な利息」
であったり、法律違反をしていれば別であるが。それも、警察が直接関与することはできないのである。
よく問題として、
「保証人になったことで、関係のない借金を引き受けることになる」
という話を聞くが、
「よほど、詐欺として、巧妙に保証人にさせられた」
ということでもなければ、
「保証人としてハンコを押した方が悪い」
ということになるのだ。
中には、
「本人であったり、家族が病気で、治療費に莫大なお金がかかる」
ということであれば、気の毒であるが、それ以外では、
「引っかかった方が悪い」
ともいえるもので、世間的に、
「騙されたのはかわいそう」
という気持ちになったとしても、赤の他人が、その借金をどうすることもできないというのが、ある意味、
「法治国家」
というものである。
悪党が、
「俺たちは、法律に守られている」
ということになるのだろうが、そもそも、
「そんな悪党が儲かる時代」
というのがあったのも事実で、
「悪党をうまくいかに扱えるか」
ということが、同時の社会の、
「勝ち組」
ということであったのだろう。
この時代のパラレルワールドでは、
「やくざが幅を利かせる」
という時代ではあったが、この時代にも、
「天才集団」
というものがいて、本来のやくざ連中とは、
「別の組織」
というものが暗躍していたのであった。
当時の言葉としては、
「マフィア」
と呼ばれるものだったといってもいいだろう。
彼らは、国内だけではなく、外国のマフィアとも手を結び、日本人独特の、
「天才的な頭脳」
と売り込むことで、さらに、奥深いとことで、暗躍していたのであった。
実際に、
「彼らが暗躍できる」
というのは。
「時代が、彼らの頭脳に追いついていない」
ということであった。
実際に。これが表の、例えば警察のような公務的な組織であれば、
「科学の発展」
というのは、警察のため、つまりは、
「国民のために利用しないといけない」
ということになるのだが。
闇の組織」
ということであれば、
「自分たちの組織の中だけで使えばいい」
ということで、
「敵である警察組織」
であったり、今の、
「国家公安」
などというものよりも、
「一歩も二歩も先に進んだ科学力」
ということで、その差というものは、
「数十年の差」
といってもいいかも知れない。
それこそ、
「電卓もない、そろばんの時代に、組織は、コンピュータを駆使して、行動ができる」
というほどの違いである。
しかも、この
「パラレルワールド」
における、
「組織集団」
というのは、
「それぞれのことに特化した組織が単独で形成され、そこから自由な結びつきになる」
ということで、
「実際の組織同士のつながりは薄い」
といえるかも知れないが、
「警察などの連帯組織から見れば、まったく想定できない展開が考えられる」
ということから、
「彼らを検挙することは、ほとんど無理だ」
といっても無理もないということであった。
そんな時代において、
「特化したもの」
というのは、
「犯罪集団」
ということでも、さらに細分化されていた。
しかも、犯罪において、
「犯罪代行」
のようなこともあり、
「素人ではできないような犯罪を、金をもらうことで可能にする」
という、まるで、時代劇における、
「仕事人」
というようなものだといえるのではないだろうか。
それが、
「微妙なずれ」
とは言ったが、
「史実の時代」
というものと、
「この物語の時代」
というものの間で、
「どう違うのか?」
ということでの、
「悪の部分」
ということで。れっきとしたものだったということである。
犯罪組織の中には、
「実行部隊」
ということでの組織もあれば、
「犯罪というものを研究する」
という企画立案のような組織もあるのだ。
そういう意味で、
「株式会社化」
というのも、リアルに聞こえてきて、
「戦後すぐにおける、探偵小説」
というものが流行った時代を、思い起こす人も多かったようだ。
実際に、
「犯罪研究においての、教科書」
というものは、それこそ、戦前戦後に一世を風靡したといわれる、
「探偵小説」
というものを使っていたのだ。
史実の世界」
ということであれば、
「探偵小説の時代」
というものが、
「トリックが出尽くした」
ということで、すたれていったことがあった。
その代わり出てきたのが、
「社会問題」
などというものに焦点を当てるということでの、
「社会派ミステリー」
と呼ばれるものであった。
これは、
「探偵小説」
というものと、まるで違う状況といってもいいのだろうが。
「パラレルの時代」
においては、
「探偵小説と、社会派推理小説というものを、組み合わせる」
と考えられたのだ。
つまりは、
「社会問題が起こる中で、頭脳集団が起こす犯罪」
というものが、
「トリックを駆使したり、時代背景からの、天才的な犯罪」
というものと結びつくからであった。
しかし、史実の時代の
「探偵小説」
というと、
「本格派」
というものと。
「変格派」
というものに別れるといわれる。
本格派というのは。
「トリックや謎解きを、主人公である探偵が、そのストーリー展開において、鮮やかに解き明かす」
というもので、
「変格派」
というのは、それ以外のことで、主に、
「ホラー色が豊か」
ということであったり、
「異常性癖」
「耽美主義」
などという、
「変態的な犯罪」
というものの二つに分かれていた。
だから、頭脳的な犯罪ということであれば、
「本格派」
ということになり、その中には、
「幾種類かのトリック」
というものが、歴史を作ってきたといってもいいだろう。
実際のトリックとして、
「密室トリック」
「死体損壊」
といわれる、
「顔のない死体のトリック」
「アリバイトリック」
「一人二役トリック」
などというのが、大まかなものといえるのではないだろうか。
それが、
「戦前戦後」
という時代に一世を風靡したといってもいいだろう。
実際には、
「混迷のカオスな時代」
ということで、
「変格派探偵小説」
というのも流行ったことから、
「戦争中における出版統制」
という悪夢の時代以外では、結構人気を博したものだったといってもいいだろう。
実際に今の時代においても、
「いまだに、当時の探偵小説が人気」
というものもある。
これは、
「探偵のキャラクター」
ということから人気を博しているわけで、時代が進んでくるにしたがって、
「探偵」
というものは、その形を変えながら発展してきた。
「実際に、探偵とは思えないような職業の人が推理する」
というものであったり、
「安楽椅子探偵」
といわれるように、
「事件現場に一歩も踏み入れずに、推理だけで事件を解決する」
というものもあったりした。
それが、
「平成の時代の推理小説」
というもので、特に、
「一人の作家が、パイオニアとなり、一つのパターンを築き上げることで、そのパターンが一定期間人気を博する」
という時代だった。
だから、数十年にわたって、毎日のように。
「2時間サスペンス」
というものが、
「夜のゴールデンタイムで放送された」
という、一つの大きな時代を形成したといえるのではないだろうか?
ただ、
「サスペンス劇場」
ということで、ほとんどは、
「本格派」
ということであり、さすがに、モラルや道徳の観点から、放送倫理の問題で、
「変格派探偵小説」
というものが、出てこないといってもいいだろう。
だが、この、
「変格派」
と呼ばれるような犯罪も結構あったりした。
実際には、
「耽美主義」
といわれるものが多い傾向にあったのだが、それは、
「犯罪を芸術として完成させる」
ということを最優先にしていた。
そのためには、まず、
「誰かを殺したい」
という、
「殺意という動機」
というものを持った人がいて、さらにその人の憎悪は、
「ただ殺すだけでは我慢できない」
という憎悪に溢れている必要があるといえるだろう。
しかし、これを一人でやろうとすると、確かに難しいということではあるが、それだけではなく、
「精神的な矛盾」
というものが現れてくるといってもいいだろう。
「憎悪」
というものと、
「耽美主義」
というものは、実際に同じ方向を向いていた場合、
「交わることのない平行線」
ということで、決して成立することはない。
となれば、
「目的は違うが、結果は同じという人が協力することで出来上がる」
というものだ。
憎悪を抱いた人がいて、その人は殺人には、一切関与しておらず、
「アリバイというものも完璧」
ということで、実行犯である人物には、まったく、被害者と接点がないということであれば、まず疑われることはない。
動機の上では、
「限りなくクロ」
といわれる人間は、当然疑われるが、
「アリバイが完璧」
ということになる。
そうなると、警察の捜査は、その時点で、暗礁に乗り上げるか、
「他の人を犯人に認定する」
という、
「冤罪を生んでしまう」
という、あってはならないことをしでかしてしまうかも知れない。
それであれば、まだ、
「迷宮入り」
ということで、
「未解決事件」
ということの方がまだマシだといえるのではないだろうか?
それを考えると、
「それこそ、完全犯罪というものではないか?」
といえるだろう。
しかし、そんな都合のいい犯罪があろうはずもない。
いくら、
「実行犯と被害者の間に、まったく接点が見つからない」
とは言っても、実際に犯罪を行えば、
「いつどこで、誰が見ているか分からない」
ということであり、もし、実行犯だと疑われ、身辺調査が行われたりした時、
「憎悪という殺意を持った最重要容疑者と、少しでも接点というのが見つかる」
ということになると、
「共犯だ」
ということになり、
「完全犯罪どころか、計画的な犯行」
ということで、裁判では実刑を食らってしまうことになるだろう。
そういう意味で、
「実行犯には、まったくのメリットがない」
ということになるが、もちろん、警察や、その後の裁判で、明らかにならないわけはないだろう。
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