【真説】SF風大東亜共栄圏
森本 晃次
第1話 プロローグ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、説定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年9月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。ただ、今回は時代背景としては、昭和の真ん中くらいの時代となります。(あくまでもパラレルワールドです)。そういう意味で、実際の歴史というものを、今回は、「史実」という表現を用いることにして、小説世界における、もう一つの世界を、「パラレルワールド」と表記することにします。
昭和40年代、といっても、史実に基づく時代ではなく、若干歴sがゆがんだ時代ということで、読者の皆さんは、
「架空の時代」
つまり、
「パラレルワールド」
という感覚で読んでいただければ嬉しく思います。
だから、
「もし、そのままこの小説の時代が、今の令和の時代に進んだとすれば、まったく違う世界が繰り広げられている」
と思っていただいてもいいと思います。
へたをすれば、
「今の時代が、存在しない」
ということになっているかも知れないが、それはあくまでも、
「SFの世界」
とでも解釈いただければいいと思います。
たとえ、当時と同じ時代背景であっても、言葉であっても、
「作者の勝手な都合」
ということになるので、ご了承ください。
昭和40年代というと、すでに、かの。
「大東亜戦争」
というものの面影はほとんどなく、
「高度成長時代」
というものが一段落したということで、その弊害が、社会を包み始めた時代という認識でいいと思われる。
実際に、
「押し付け」
と言われた民主主義が、まるで昔からの日本の考えかたであるかのように、根付いてきた頃で、
「戦争を知らない世代」
というのが、社会の中心となってきたのである。
その時代においては、
「戦後復興」
というものがある程度できてきた時点で、国家とすれば、
「公共事業」
というものを前面に打ち出し、特に、
「オリンピック」
であったり、
「万国博覧会」
というもののために、政府は、その予算を、惜しげもなく使うという時代になってきた。
一番大きなものとして、
「高速道路」
であったり、
「新幹線」
のような、交通網の整備であったり、近代的な住宅や、生活必需品の発展から、
「世界の水準に追いつけ追い越せ」
という状況であった。
さらに、この時代あたりから、
「地方の創生」
ということも言われ始め、それこそ、
「すべての改革」
というものが、この時代に始まったといってもいい。
だから、国家予算のほとんどが、
「市民生活の向上」
ということに充てられた。
さらに、
「公共事業」
というものを推進することが、
「一部の富裕層や、政治家の甘い汁となる」
ということで、さらに、市民生活の発展ということが、推し進められたのだ。
そのせいで、
「政党における。政治とカネ」
という問題がクローズアップされてきた。
特に、土地問題を中心とする、
「ゼネコン汚職」
であったり、田舎の発展ということでの、例えば、
「ダム建設」
というものにおける問題などが乱立してきた。
「土地買収」
というのが、
「立ち退き」
ということで、一部の住民に対して、大きな問題を及ぼした。
今の時代の平成に起こった、
「バブル経済」
といわれる時代においての、
「地上げ」
などと同じことである。
「バブルの崩壊」
というものがあまりにも、社会全体に及ぼした問題ということで、
「バブル経済というのがまるで、お祭り騒ぎのいいことばかり」
と思っている人も多いだろう。
なんといっても、
「事業を拡大すればするほど、会社が儲かる」
ということで、
「人手不足」
というほど、ほとんど失業はないという時代だった。
だから、その後に起こった、バブル崩壊が、まるで、
「社会の崩壊」
とでもいうような、
「地獄の時代」
ということになるのだから、それも当たり前ということであろう。
しかし、実際には、
「バブル経済の時代」
というのも、手放しで、
「すべての人が恩恵を受けた」
というわけではなかった。
中には、
「企業の事業拡大」
ということで憂き目を受けた人もいた。
特に、
「土地問題」
というのがそうだった。
そもそも、
「実態のないものが、バブル経済」
ということで、
「土地の値段ほど、安定していない」
ということはなかったのだ。
ただ、バブル景気ということで、土地の値段は、どんどん上がってくるのだ。
それこそ、
「安いうちに都心部に土地を買っておいて、高くなってから売りさばく」
ということで、
「まだ値が上がらぬうちに、買い取っておく」
ということを考える人が多かったのだ。
そうなると、
「そこに住んでいる人から、いかに土地を手に入れるか?」
ということになるのだ。
しかし、その土地に住んでいる人というのは、
「先祖代々受け継がれてきた」
ということで、
「絶対に売りたくはない」
という人が多いだろう。
しかし、まるでやくざのような連中に、そんなことが通用するわけもなく、
「完全な脅し」
だということが分かっていても、当時の法律では、どうすることもできない。
つまりは、
「国家権力としての、警察がまともに機能しない」
ということで、そののちに、
「暴力団対策法」
なるものもない時代だったので、
「地上げ屋」
などという連中が蔓延る、
「無法地帯だった」
といってもいいだろう。
バブル時代の地上げというのは、
「土地ころがし」
とも言われ、
「いかにも実態がない」
ということが分かったのだろう。
それなのに、
「バブルの崩壊」
というものを、誰も予想できなかったということはどういうことなのだろう。
「本当は分かっていたが、政治家が、自分たちの利益のために、公表しなかった」
ということかも知れない。
ただ。後になって言い訳として、それがバレた時には、
「世間をいたずらに騒がすわけにはいかない」
ということで、それも、
「専門家の意見を入れて」
ということで、自分たちだけの保身を狙ったかのような言い訳を、ひょっとすると、いくつも用意していたのかも知れない。
それこそ、
「政治家というのは、いかにも、自分たちの保身しか考えない。ただ。悪知恵だけが働く人種だ」
といえるであろう。
この、
「パラレルワールド」
ともいえるこの時代には、
「高度成長後の社会的な諸問題が起こった」
という時代に、さらに、カオスとなったのは、
「バブル期に起こるべきことが、この時に一緒にきた」
ということであった。
ただ、実際には、
「この時代を乗り越えたとすれば、実際に平成になっての、バブル崩壊という大混乱の時期に、昭和で起こったことの教訓というのが生かされることで、令和では、今の時代のような大きな問題とならなかった」
ということだ。
つまりは、今の時代のように、
「失われた30年」
というほど、
「日本だけが、世界から取り残された」
ということもなったのだ。
ただ、高度成長の時ほど、
「日本経済が、世界のダントツであり、日本が世界をリードする」
ということはなかっただろう。
考えてみれば、
「昭和の時代においての、どちらの時代というものを知っている」
ということを前提に考えると、
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
ということであるのを、認識しているということになるのであった。
さて、この時代で、
「微妙な違いのパラレルワールド」
ということを中心に描いてきたが、あくまでも、
「そこまでこの時代は、大きな差があるわけではない」
ということで、
「共通点」
というものを考えると、かなり、重複したという部分が出てくるということになるだろう。
まずは、
「差別問題」
というものである。
どうしても、部落問題などという、
「同和問題」
というのが、学校で習うというくらいの、問題だったのだ。
さらに、その差別問題の元になったものが、
「貧富の格差」
ということである。
同じ市内でも、
「海沿いにいくほど、昔の部落のような家がたたずんでいる」
という状態かと思えば、山間部には、
「全国展開をしているような大会社の社長の邸宅がある」
というようなところもあったりする。
実際には、どちらが言われるかというと、
「高級住宅街」
というイメージが強くなり、
「日本有数の、高級住宅地」
ということになる。
自治体も、
「誰が好き好んで、貧困階級を前面に押し出すか?」
ということである。
令和になれば、さすがにそんなことはなくなったが、昭和のちょうど、このテーマとなっている時代においては、
「まだまだ部落と呼ばれるようなところが残っていた」
といってもいいだろう。
さらに、
「貧富の格差」
と呼ばれる差別問題と同じくらいに大きな問題となったのが、
「公害問題」
というものだ。
日本では、
「四大公害問題」
ということで、今の令和の時代においても、
「まだ解決されていない」
という問題である。
正直、今の時代にこの問題が起こっていれば、世情から、
「公害問題を起こした方が、圧倒的に悪い」
ということで、世間は、
「推定有罪」
ということにするだろう。
しかし、
「悪知恵が働く」
という連中は、どの時代にでもいるというもので、
「世情が違った」
ということであっても、のらりくらりと裁判を引き延ばしたりはしていたことだろう。
実際に、
「裁判を起こせば、その解決までには気が遠くなるような時間を要する」
というのが、法治国家というもので、実際に、
「公害問題」
であったり、
「原爆被害者問題」
などという、
「国家賠償が絡んでくる」
ということになると、なかなかうまくは運ばないということになるのであった。
ただ、実際の公害問題というのは、分かっていることとして、
「責任を問われている企業が、公害問題が起こるかも知れない」
ということを予見したうえで、分かったうえでということになると、
「未必の故意」
という言葉があるが、この公害問題に関しては。それ以前に。
「最初から分かっていて、わざとやった」
ということも疑われるというもので、それこそ、
「確信犯」
といえるだろう。
そうなると、
「一方的に、被告が悪い」
ということになり、損害賠償問題は、すぐに片付くということになるのだろうが、実際にはそうはいかない。
というのが、
「企業だけではなく、国家を相手取った。国家賠償問題だ」
ということだからだろう。
実際に、
「国家を相手取って裁判を起こしても、勝ち目はない」
というのが、
「法曹界の常識だ」
といってもいいだろう。
そういう意味で、
「貧富の差」
という問題とは、決して、
「どちらが重たい」
という比較対象になるものではないといってもいいだろう。
この、
「二大問題」
というだけでも大変なのに、そこに、本来であれば、
「バブル期の問題」
と言われた、
「土地ころがし」
という問題が入ってきたので、そのせいもあってか、
「やくざ組織」
というものが、大きな問題ということで、幅を利かせてくるということになったのである。
そして、この問題は、
「平成のバブル崩壊」
という時代とが違って、
「会社が危なくなる」
ということになると、
「そのまま倒産する」
ということになったのだ。
もちろん、一つの会社が倒産という憂き目に遭えば、当然のことながら、
「小さな会社はひとたまりもなく、一気に連鎖倒産」
ということになるのだ。
それを考えると、
「リストラ」
という言葉が、バブル崩壊で流行ったのであるが、実際に、
「高度成長後の恐慌」
という時代に言われなかったのは、
「人員整理というものをする暇もないくらいに、倒産はあっという間だった」
ということなのかも知れない。
実際に、史実における今の歴史の、
「高度成長後の恐慌」
というものを経験したことで、
「平成のバブル崩壊」
において、リストラということができる余裕があったのかも知れない。
実際に、
「リストラ」
であったり、
「吸収合併」
などということで、何とか切り抜けてきたバブル崩壊の時代であったが、それも、
「かつての、段階的な恐慌」
というものがあって、それが教訓となったからこそ、少しでも乗り切れたといってもいいかも知れない。
そういう意味で、
「失われた30年」
といわれていることでも、それが、
「内部留保」
と呼ばれる、
「企業のたくわえ」
というのが、
「過去の教訓」
ということで息づいていることから、倒産という憂き目が少ないことで、失業者が、爆発的に増えることはないということになるのだろう。
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