第2話 不安

2045年 冬 アドリア連邦

実証実験の成功から時間が経ち、時間加速理論の成功は学界を席巻していた。多くの研究者が、ウラジミールとモリに対話を求め、メディアからのインタビューの依頼もひっきりなしだ。だが、2人は必要最小限にしか対応しなかった。まだ実証実験だ。気を緩めるのは早い。確実に、時間と場所を指定して時間加速できなければならない。また、未来では地形や都市構造が変わっている可能性がある。指定したポイントに物体がすでにある場合、存在を収束させる前にポイントをずらす必要がある。やるべきことは山ほどあった。


気づけば半年が経過していた。相変わらず、学術界は時間加速による可能性を語っている。未来から学ぶことで、人類がどれほど豊かで平和な暮らしを手に入れられるのか。科学者から社会学者まで、誰もがその夢を語る。投資家も黙ってはいなかった。これまで注ぎ込んだ金額が雀の涙に思えるほどの大規模な投資が集まった。モリ博士が一人で回していたこじんまりした場所は、今では一棟丸ごと時間加速研究を行う場所になり、モリ博士は統括リーダーとして200人の研究者を指導する立場にある。


「変わるときは一瞬だな」


研究棟の所長室でウラジミールは独りごちた。彼一人の夢が、今では彼のいた量子コンピューティング研究所よりも大規模なプロジェクトになったのだ。開発は順調に進んでいる。現在のところ何も問題ははなかった。


ノックの音の後に、扉が開き秘書がモリ主任を案内してきた。


「ミロコフスキー教授。実証機が2機完成しました。どちらも10分の時間加速で未来予測が可能です」


モリは冷静に言ったが、興奮を隠せていない。未来予測がもたらす恩恵に彼も期待しているのだ。


「モリ博士、未来への時間加速の範囲限界はどこまで研究が進んでいる?」


ウラジミールの問いに、モリは即座に答えた。


「実証機は安全を期して10分に設定しましたが、試作機では5年先まで跳躍できることがわかっています。ただ、5年先まで飛ぶと通信時差が起こり、周囲の状況を確認できていません。通信帯域を強くしても時間逆行によるラグは解消できませんでした」


「そうか……」


残念そうなウラジミールに、モリは笑顔を向けた。


「そこで考え方を変えました。観測者が時間加速機と一緒に未来へ跳ぶのです。この方法なら、装置との連動を切るだけで、観測者は現代に引き戻されます。時間加速機は取り残されますが」


「すごいじゃないか!モリ博士、それは画期的なアイディアだ!」


興奮するウラジミールに、モリはバツが悪そうに答えた。


「私のアイディアではありません。新人のミヤコ・タカミヤ博士の発案です。彼女は認知心理学専攻でして、発想が柔軟です。彼女を中心にした未来予測における観測チームを作ることを進言します」


「認知心理学か。異分野の知識を入れるのは重要な判断だったな、モリ博士」


様々な分野から人材を集めることを進言したのはモリだった。ウラジミールは彼の先見の明を賞賛したが、モリはキョトンとした顔をした後、笑い出した。


「異分野の知識を最初に導入されたのは、ミロコフスキー教授ではないですか。畑違いの私に声をかけてくださった。あれが私の人生を変えた。同じことをしているだけです」


「なるほど。言われればそうだったな」


ウラジミールとモリは互いに笑った後、モリは研究に戻った。主任の地位は重い。200人を個別に管理するのも限界だ。モリの進言した、タカミヤ博士を中心としたチームの他にも、いくつかチームを作り、モリの負担を下げるべきだろう。


思案していたウラジミールに着信があった。名前を見てウラジミールは驚いた。ゲラシム・アブロシキン。幼馴染の愛称ゲーラからの通信だった。ゲーラは2人の出身地ナザリで軍人をやっており、滅多に連絡がつかない。ウラジミールが帰郷した際に会うことはあったが、通話をしてきたのは初めてだ。


「ゲーラ。急にどうしたんだい」


ウラジミールが応答すると、ぶっきらぼうな答えが返ってきた。彼は不器用な男なのだ。


「いや。どうしたってわけじゃねえ。今、臨時休暇中でよ。久しぶりに声を聞きてえと思ってな。元気だったが、ヴォージャ」


懐かしい愛称だった。ゲーラが軍属なのは知っているが、どの部隊に配属されて、どんな任務をしているのかは聞かされていなかった。だが、2人で街を歩いていると、軍属らしい青年や女性に度々話しかけられ、握手を求められていることから、ゲーラが軍内で有名なことはわかっていた。国民には知らされない有名人。ウラジミールはそこで思考を停止していた。考えるのが怖かった。


「元気だ。ナザレでどうかは知らないが、私は結構有名人になったよ」


「ああ、情報部のやつから聞いた。未来の情報を取れるんだってな。すげえ発明だ。だが同時に恐ろしい」


ゲーラの言葉はいかにも軍人らしい捉え方だった。相手が未来を予測しながら攻めてきたら、防御のしようがない。


「聞きてえんだけど、未来予測はどのくらいの確度なんだ」


ゲーラは核心をついてきた。予測された未来の発生確率は未だ未解明だ。


「10分という時間に限れば、ほぼ確実と言えるだろうね。でも、それ以上の時間はまだ計測できていないんだ。なんとも言えないな」


「観測した瞬間に未来は確定するんじゃねえか。量子力学の基本だろ」


ゲーラの言葉にウラジミールは驚きを隠せなかった。ゲーラは大学に進学せず軍隊に入った。量子力学など学んでいないはずだ。


「どうした、ヴォージャ。勿体ぶらずに教えろよ」


ゲーラの言葉で我に返り、違和感を持ちつつもウラジミールは答えた。


「理論上はそうだ。けれども、現実世界が量子力学の法則に従うかどうかはわからないというのが正直な答えかな」


「相変わらず慎重だな、ヴォージャ。もっとドンと構えて、その通りだとは言えねえのか」


「科学というのは君が考えているより繊細なんだよ、ゲーラ。それより、君が量子力学を知っていることの方が驚きだが。学校は寝るか運動する場だった君も少しは変わったのかい」


ウラジミールの揶揄うような言葉にも、ゲーラは少し躊躇うような口調で答えた。


「軍人だからって、脳筋でいいわけじゃねえ。特に戦争に活用できる技術は理解しておく必要がある。立場があると、そういう仕事も増えるってわけだ。いつまでも脳筋体力バカじゃやっていけねえって凝った」


「こちらの話ばかりだが、君はどうなんだゲーラ。元気なのはわかるが、なんとなく違和感があるな。周りが騒がしいのか?」


「ああ、臨時休暇といっても待機状態でな。隔離されてんだよ。周りがうるせえのは、みんな家族に連絡しているからだ」


家族という言葉を聞いてウラジミールは思い出した。もう一人の幼馴染、マルタだ。


「じゃあ、マルタにも連絡したのかい?」


「いや。あいつにはこれからだ。まず、お前と話しておこうと思ってな。長い付き合いだしな。俺にとっては家族より、お前が先なんだよ」


ゲーラがそこまで自分との絆を感じていたことを知り、ウラジミールは胸が熱くなった。そのため、その言葉の違和感に気づけなかった。


「じゃあ、マルタとの会話時間を邪魔するわけにはいかないな。次の帰省のとき、ゆっくり飲もう」


「ああ、じゃあ、そんときにな。次は、お前の結婚について聞かせてくれや」


ウラジミールは吹き出した。


「そんな相手はいないよ、ゲーラ」


「アドリア連邦は美人が多いって聞いてるぞ。女友達くらいいるだろ。そろそろ身を固めとけ、子育てで苦労するぞ」


ゲーラらしくない発言だった。


「お前は俺の両親か。縁に恵まれないだけだ」


「……死ぬときによ、誰も思い浮かばねえってのは寂しいもんだ。そういう存在を見つける努力をしろよ」


「そっくりそのまま、お前に返すぞ」


「俺あ、軍人だ。いつ死んでもおかしくねえ。悲しむ存在は少ねえ方がいい」


「本当にどうしたんだ、ゲーラ。らしくないぞ」


「そうか? お前に彼女を見つけろって話は会うたびにしているだろ?」


「そうだが……」


いいしれない不安が過ったが、それがなんなのかウラジミールは言語化できなかった。


「じゃあ、切るわ。マルタとも話してえしな。もしもの時はお前がヴォージャを引き取ってやれってよ」


冗談めかしていうゲーラはいつも通りだった。安心してウラジミールは返した。


「次の帰省のときに」


「ああ」


言葉短く通信は切れた。情報が少な過ぎた。だが、もっとよく考えるべきだった。

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2026年1月11日 19:00
2026年1月12日 19:00
2026年1月13日 19:00

ウラジミール 星野 淵(ほしの ふち) @AO1231

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