【第六話 背を震わせるもの】
凍りついた。それは、ただの視線ではない。蛇のように鋭く、冷たい双眸で、セスを睨みつけている。まさに石化したかの如く、脚が止まった。
「(なんだ、この圧は……?)」
冷や汗が流れる。ロニアを抱えているせいで、無茶な動きはしたくない。かといって、捨ておく事は教師としての矜恃が許さない。背中に纏わりつく視線は、徐々に首元へと、這うように回ってきた。狙われている。狩人が、獲物を見るように。
「この手しかないか……。【太古より出ずる霧の王よ、我が姿を隠したまえ。赤魔法
赤の魔方陣が二人の躰を挟み込むと、まるで最初からそこにいなかったように忽然と消えた。セス達を見ていた
ふかふか。ロニアが寝床に求める最大であり、最難の評価点。
固ければダメ。柔らかすぎてもダメ。絶妙なバランスの上に、ロニアの安眠は保たれている。
それが今。寮のベッドのような寝心地だ。すやすやと寝息を立て、ロニアは安らかな顔をしている。
目覚め、ロニアが見たのはこちらを覗き込むカレンの顔だった。
心配気にロニアの顔色を伺う彼女。ロニアは、この角度と視点から察するに、彼女の膝の上で眠っていたのだと理解した。
(侮れないな、まさかボクが、あんなにぐっすりだなんて)
辺りを見渡せば、見慣れた一室。砕獣の標本があるということから、ここはセスの事務室だろう。
「あれ……、カレン?」
「良かった、無事みたいで。先生が、ここまで運んできてくれたんだよ」
「そうだよ、先生は!?」
「ここにいる。生徒たちの避難は済んでいるし、校舎は
「協会、ですか?」
ロニアが首を傾げる。
「この学園の、まあ上層部だろうな。つまるところ、私の上司どもがいるところだ」
上司ども。そう言ったセスは、どこか忌々しげだった。口角を歪め、鼻を鳴らしていた。
推測するに、今まで数々の面倒事を押し付けられてきたのだろう。協会がこの件を受け持つということは、当然だが非常事態だということになる。
正体不明の砕獣に、謎の人物。痕跡と言っても、砕獣のものしか残っていなかったが、それでも調査の助けにはなるだろう。
「生徒が多く集まる試験日を狙った襲撃。やはり、知能があるといってもいいな。それに――」
誰かがいた。セスはそう言って天を仰いだ。顔を見たという訳ではない。だが、砕獣とは異なる第三者の気配を感じていた。
指紋と同じで、各々に流れる魔力の形式は違う。魔力感知で確認することもできたが、あの時の状況を鑑みるに態々そんなことをするのは自殺行為だろう。
ロニアの安全確保という点もある。
「先生、これって……」
異常事態だな。セスはそう答えながら、心配そうに訊ねるカレンと、起き上がったばかりのロニアの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「よく耐えたな。偉いぞ」
擽ったそうに、ロニアは頭を振った。その様子は、まるで小型犬のようにも思えた。いや、性格は猫のそれに近いが。そう、ロニアを除く二人は思った。
「先生、再試は――」
カレンの言葉を遮るように、セスの水晶が鳴った。水晶が音を出すというのも変な話だが、これは
発掘されたものを学院の工房が複製し、市販化に成功させている。少々値は張るが、迅速な伝達をモットーとする学院の職員にとっては欠かせないアイテムだろう。
かつてのダンジョン攻略の際にロニアが通信を行っていたのも、この水晶を介したものだった。
すまないとカレンに詫びてから、セスは水晶へと意識を注いだ。
ちらりと、横目で日光を反射するクリスタルを見るロニア。禿げた初老の男が映っていた。
セスが着ているものと酷似した上着を羽織っていたため、彼女の上司なのだろうとすぐに理解できた。
「はい、こちらアダマンティア。如何なさいましたか、院長?」
机に置かれてあった水晶は、彼女にとっては些か低すぎるらしい。確かに、他の男性職員に比べても彼女は高い方だった。ロニアと会話している時の彼女は、いつも屈んでいたので、腰を痛めないのかなとロニアは思っていたことがある。背が低いことにコンプレックスを抱いたことは無いが、見上げるこちらの首も疲れるので、難儀なものである。
「職員会議の時間だが、どこで油を売っているのかね?」
院長と呼ばれた男は、髭を弄りながらセスを睨みつけた。ゆっくりと、錆び付いた機械仕掛けのように備えてあった時計に視線を注いだ。
顔面が蒼白していたセスを見たのは、とても新鮮な感覚だった。いつもキリっとしているので、弱みを見せてくれるのは初めてのことだった。
「申し訳ありません、すぐに向かいます!」
椅子に掛けてあったらしいコートを引っ張るように拾い上げ、速足で退室していった。
カレンの疑問は晴れぬまま、一旦帰宅することに決め、大きく伸びをすれば躰がふらついた。
どれほど眠っていたのだろう。ぼうっと時計を眺めていると、不安げな顔でロニアを見つめるカレン。
「……なにやってんの?」
「た、立てないの……」
「は? なんでさ」
「二時間ぐらい、ロニアくん寝てたから」
二時間。そうか、そんなに経っていたのか。起こさぬように、表情を変えず、ただロニアの為に。
ロニアは申し訳なさを顔に浮かべながら、手を差し伸べた。
カレンの両脚は、砕獣の幼体が初めて歩くように震えている。いや、砕獣というよりもオリジナルの野生動物がより適切だ。
肩を貸して、ゆっくりだが確かな一歩を歩んだ。ロニアの容貌は中性的であるため、時折女性に間違われることがある。
そのため、女子寮に近づいたとしても、誰かの親族か、はたまた新入生と間違えられるだろう。
「ここでいいよ。だいぶ楽になったし」
「ホントに?女子寮はまだ遠いはずだけど」
「……私の実家はここから近いから。学校も、そこから通ってるの」
カレンは少し伸びをして、深く呼吸した。
「なら仕方ないか。また明日。カラダ冷やさないでよ」
ぶっきらぼうに聞こえるが、ロニアの声色にはどこか安堵があった。
口元に微笑みが浮かんでいる。その表情を見たカレンは、はにかみながら屈んだ。
彼女はロニアよりも幾分か背が高い。姉のようにも見える。
「うん、また明日!」
明日。休校になりそうな予感がするが、どうだろう。こんな時、ロニアの勘はよく当たる。
いや、流石に勘が鋭かろうとそうでなかろうと、人型砕獣の襲撃があったのだ。外出規制は目に見えているだろう。
呑気に授業などしている暇ではないし、万が一それで生徒に死傷者が出れば、担任、ひいては学院そのものの責任となる。
得をするものなど誰もいない。
幸い、寮だけは強固な護りが施されていた。物理的にも、魔法的にも。
壁は何層にも重なっているし、外周に一枚、各階層に一枚、そして各部屋に一枚ずつ防壁魔法が張られている。
これを破れるのは、十二神徒ぐらいかもしれない。ロニアにとっては、些細な問題にもならないが。
十二神徒と言えど、ロニアにとってはたかが五十から八十年生きただけの
魔法は、歳を重ねるほど強力となる。しかし、人間には団結という力がある。これは、天界の誰もが持ち得ない力だった。
そんなことを考えながら、寮の鍵を取り出して解錠しようとすれば――。
「いる」
呆れたように微笑んだロニアは、ドアノブに手を振れたまま何歩か後退する。
あいつがいるということは、何かしら仕掛けてくるという訳だ。捻ると同時に、首を数センチ傾ける。
ぽすっ。鼻先をかすめながら白い何かが飛び出し、背後で間の抜けた音が鳴った。枕だった。
「こんな状況だってのに、相変わらずだなあキミは」
「ちぇっ。今回は不発かぁ。改善の余地アリ、だな……」
「あの、人を実験台にするの、やめてくれませんか?」
「善処しま~っす」
「この野郎……」
間の抜けたというのは、こいつのことかもしれないとロニアは思った。だが、ネヴィルのように鷹揚とした人間というのも、時には良いものだとも感じた。
朝の戦闘は本調子ではなかったにしろ、攻撃を受けたのは確かだ。あれから、ロニアは緊迫していたのかもしれない。
何かにまくしたてられるように、【護る】ことに拘っていたような気すらもしていた。
だから、今は彼とこの部屋が暖かい。自分の椅子に腰かけると、ロニアのベッドにネヴィルが大の字に倒れ込んだ。
「いや~、にしても大変だったらしいな?ロニアんとこの校舎だろ?」
「そうだね。先生の避難が無ければ、危なかったかもなぁ」
「嘘つけ。こほん。学年一位のロニア様が、簡単にやられるわけがありませんわよ」
「なんだよその口調。気持ち悪いなぁ。裏声ヘッタクソだし」
「いやん、いけず。オトメに向かって、気持ち悪いなんてひどいわロニア様ぁ~」
「うっわ、背中震えてきた。風邪かな?」
「……俺ってそこまで気持ち悪いの?」
「少なくとも今まで聞いてきた中では」
「刺さったぁ~。うっわグサっときたわぁ~」
バカなことはやめな。そう言い残して、ベッドに飛び込んだロニア。今となっては、何かが違う。
カレンの膝の方が落ち着くような。まさか。かぶりを振りながら、眼を閉じた。
次の更新予定
堕天使様はもてあそぶ ~天界を追放された天使は、人間界でゆっくり暮らしたい~ 葱色信号 @Shingo_Negiiro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。堕天使様はもてあそぶ ~天界を追放された天使は、人間界でゆっくり暮らしたい~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます