【第五話 一波乱】
朝だというのに、校舎は人でごった返していた。
歩きながら、魔導書を読み漁っている生徒がいつもより多いのは、きっと今日が試験日だからだろう。
まだ二時間もあるが、彼らにとっては後二時間しかないなのかと考えながら、ロニアは人混みを縫うように歩いて240号室へと向かった。
戸を引き入室すれば、すでに着席している生徒が何名かいた。そこに、カレンの姿を見た。
やはり、見た目通りに優等生だった。分厚いテキストを広げ、暗唱を繰り返している。
あれならば、記憶に定着するだろう。邪魔はしない方が吉だ。
ロニアに復習の必要はないため、時間まで寝て過ごすことにした。一睡もしていないため、ちょうどよい。
鐘が鳴った。試験が近づいている知らせだろう。目覚めて時計を見れば、三十分前だった。
大きく伸びをする。腕に、制服の痕が付いていたから、良い仮眠だったのだろう。
トイレに行こうと、席を立ちあがった瞬間。ぼんっ。何かが破裂し、衝撃波がすぐに教室を襲った。
窓ガラスが一斉に割れ、欠片が舞う。ロニアの眼に、それらはとても遅く映った。
破片が目の前を掠った。半透明の防護壁に弾かれ、それは落ちて行った。
無意識に練っている防御魔法。
ざわついていた教室に、混沌が満ちる。逃げ惑う生徒が、廊下で何回も衝突する音が聞こえた。
ただロニアだけは、動こうとしない。この場合において、不動とは怠惰ではなかった。
カレンは、ついにロニアの存在を認識し、駆け寄ってくる。
「ロニアくん、早く逃げよう?!」
どうすべきだろう。このままカレンの手を取って逃げるか。それとも、正体を隠しつつ戦うか。
後者は、リスクが大きい。ふとしたときに力が漏れ出たり、手加減をしすぎて、却って敵の蹂躙を許してしまう。
ロニアは、この刹那の合間に、永劫ともいえるような長さで演算を行った。
ふと、脳裏にあの砕獣が浮かんだ。双斧の人型砕獣。まさか、そんなはずはない。
セスは、砕獣の核は論理的思考をしない生き物を模倣すると言った。
カレンが、ロニアの手を取って、廊下を駆けだした。居ても立っても居られずに、是非を問わず、共に逃げることにしたのだろう。
ロニアもそれに逆らおうとせず、ただ走った。だが、本当にこれでいいのだろうか。何かが心の奥でつっかえる。捨て置いたはずの過去が、鋭く突き刺さるような。
脳裏に、【お父様】と、天使の皆。そして、
廊下のステンドグラスには、紫色の硝子を通過した陽光が、奇妙な色合いで差していた。
かつての大魔導師が象られ、生徒たちは皆、彼らに見守られながら学業に励むのだ。
今も、彼が見守って――。ぱりぃん!黒い影が差し、ステンドグラスを突き破って現れた。
「ひぃっ!」
カレンが腰をすくませた。ひどく怯えている。無理もない。あれは、かつて見たあれとよく似ている。
山羊のような頭部。やせ細ってはいるものの、岩肌のようにごつごつした肢体。双斧を握っていると思いきや、今回は湾刀だった。
血が滴っている。誰かが、既に犠牲になったのだろう。
「人型、砕獣……」
ロニアは、カレンに目を向ける。恐怖が支配し、脚が震えていた。こちらを見つめるカレンの目。
助けを求めている。こんなところで死にたくないと、訴えかけている。
揺れる瞳を見て、ロニアは何かを決心したように溜息をついた。
首元のペンダントに触れ、喉元のチョーカーを緩める。一歩前に出て、視線だけをカレンに向けた。
「カレン。ここはボクが。今すぐに逃げて、先生を呼んでくれ」
「で、でも、ロニアくんが!」
「いいから。ボクは強いの。……誰よりも。さあ、行った行った!」
カレンは、震える脚で立ち上がり、廊下の奥へと走り去っていった。あの方向は、非常階段がある。
きっと、誰かしらの教師には会えるだろう。振り返るんじゃないよと声をかけ、目の前の怪物に目を向けた。
生徒は、ほぼ逃げ切った。もはや肉塊となってしまっている不幸な者には、微かな黙祷を捧げた。
「手早く済ませるよ。一節、部分解錠。鍵は『ヨエル』」
【認証。仮定的赤魔法:雲と濃霧、暗闇の日】。
ぎぃい。歯車が噛み合う音。そして、あの無機質な声。ロニアと砕獣を包むように、濃霧が現れた。肌に触れるだけで、それはちくりと冷える。
「音も、姿も、この霧が全て包む。見えやしないし、聞こえもしない。誰かが侵入しない限り、ボクとキミは二人きりだ」
ペンダントを握りしめる。5色の宝石が、しゃらんと鳴った。
「──人の鎖、蝋の翼、木々の船よ。我が罪を刹那赦し、再び光を我に灯したまえ」
まばゆい光に包まれ、ロニアは再び翼を授かった。純白の羽毛が舞い、人型砕獣の意識がそちらに向いていた。
白翼をはためかせ、浮かぶ。見上げるのにも疲れていたので、ちょうどよかった。
にやりと口元を歪ませ、ロニアは砕獣を挑発した。
人型砕獣が湾刀を振り下ろした。離れたロニアに当たるはずがないのに、衝撃波が飛んできた。
「なるほど。あれはキミの仕業だったんだ。刺激してくれるよねぇ。ヒトのコンプレックスってやつをさ!」
羽ばたく。八の字型の軌道上に赤魔方陣を展開。炎の槍が飛び出る。
「あれ、【穿て】」
砕獣。刀身で防ぐ。無謀だった。湾刀が氷のように熔け、いくつかは本体に突き刺さる。
呆気ない。たった一撃で、こうも攻勢を支配できるとは思わなかった。だが、ロニアには戦闘経験があまりない。
迂闊な判断はしないが吉だろう。現に、少し傾いていた。
砕獣、跳んだ。速い。ロニアの細い脚を掴み、地面に叩きつける。
ぶつかる瞬間に大きく羽ばたき、頭は防いだ。躰をよじって抜け出す。
衣服を叩き、汚れを落とした。砕獣は、頭を振った。まるで闘牛のようだ。
「痛くはないけど、寝不足の頭に響くなあ」
少し油断していた。もう、容赦はしない。すぐに終わらそうと、ロニアは深呼吸をした。
人型砕獣の、山羊の眼窩がロニアを見つめていた。ロニアの背後に、白い魔方陣が広がる。
人間界で扱えるのは、たった一握りの超高度魔法。片腕を、祈るように天に掲げる。
力強く瞑っていた目を開くと、赤い目がさらに紅に染まり、煌めいた。
「一節解錠。鍵は『エゼキエル』」
どこかで、鍵の開く音がする。事象。
【認証。白魔法:我は汝に怒りを注ぎ、故に汝に報いる。炎と、硫黄の雨を】。
「じゃ、サヨナラ」
裂け目から、焔の雨が降り注いだ。避けようと試みる人型砕獣の行動を悉く潰し、雨が鉱物を溶かしていった。
唸り声が聞こえた気がした。絶えず雨は降り続け、それは奴が完全に液状と化すまで続いた。
頭が、ズキリと痛む。徹夜が祟って、無理をしたからだ。ふらふらと着地し、廊下の壁に手を突いた。
「はぁ。もう二度とやらない、徹夜なんて」
呟くロニア。ふらふらと、壁に手をやりながら歩く。非常階段近くまで進んでから、ロニアは座り込んだまま眠りに落ちた。
─────────◇─────────
「先生!セス先生!」
悪い目つきをした、しかし安心感のある女性を見て、カレンは叫んだ。
セスも、生徒の避難活動をしている。こういった時にこそ、我先にと動かずに、秩序を保てば生存確率は上がると知っていた。
「カレンか。ロニアはどうした!」
「それが、出たんです!あいつが……、人型の砕獣が!」
「なんだと……!」
イレギュラー。その言葉は、奴ら人型の砕獣に適しているだろう。
砕獣という生き物の摂理から外れた、異常な生命体。いや、あれを生命体と呼べるだろうか。
生きるために喰らわず、ただ快楽のために殺す。
「私が対応する。どこにいた?!」
「ロニアくんと、240号室の前で……」
「わかった。君は、他の生徒と一緒に行動すること。孤立するなよ、いいな!?」
カレンは力強く頷き、セスの背中を見送った。風のように素早い人だ。
履いているブーツに、秘訣があるのだろうか。
階段。もはや一段ずつ踏みしめず、壁を蹴って二階まで跳んだ。
教師としての歴は短いが、それでもそれなりの修羅場をくぐってきたと、彼女は自負している。
幼いころに、事故で両親が魔法に巻き込まれ他界。ダンジョン攻略の際、運悪く海洋に行き当たり、巨魚に危うく丸のみにされそうになったり。
だが、それ以上に胸が高鳴っている。楽しいからではない。不吉な予感が、人型砕獣をあの時に見た時から止まないのだ。
長い廊下を走っていると、壁にもたれかかっている少年と、遠くに何かの液体が目に入る。
そして、あの生糸のような
「ロニア!」
駆けよれば、寝ているだけだった。やはり、ロニアならばどうにかしてくれる。安堵したのも束の間。
抱えて、その場を去ろうとするその背後。何かがいた。
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