第2話 長い別れ

 自己紹介が遅れた、私の名前は藍沢日向あいざわひなた


 ——探偵になるために、私は生まれてきた

 

 そう信じるようになったのは、中1の冬。ある一冊の本と出会った時からだ。

 

 『ロング・グッドバイ』


 なんとなく、タイトルが渋くて手に取っただけのその本が、私の生きる指針を決めてしまった。


 そこにいたのは、嘘に囲まれた世界で、たった一人だけ“自分のルール“で動いている探偵。

 はっきりと瞼の裏で再現できたその背中に、私は完全に囚われてしまった。


 探偵ってやつは、事件を解くだけじゃない。

 人が黙ってしまう理由を、背中越しに受け止める職業だ。


 その日から、私は“あの人“に近づくべく、様々な努力を重ねてきた。


 親や友人から変人扱いされても、出来るだけスーツに近い服を着るようになり、“シガレット“をいつもくわえ(未成年なので、お菓子の方の“シガレット“だ。お気に入りはコーラ味)、コーヒーを嗜む(ブラックはとても苦くて飲めないので、たっぷりミルクと砂糖を入れる)。

 なにより、常にウィットに富んだセリフを言う。



 ——だが、普通の中学生では、残念なことに肝心の事件や依頼人がいなかった。

 それどころか、急に変な話し方をし始めた私の周辺からは、どんどん友人がいなくなっていった。



 大きな事件でなくてもいい。私は、私を探偵たらしめてくれるための、甘く危険な事件の香りを渇望していた。



 そこで私は、高校への進学ともに「探偵部」を立ち上げることにする。特殊な事情により、1年生が1人でも部活を立ち上げることが出来るこの学園は、私の目論見を実現するにはうってつけであった。


 だが、当たり前の話だが、部活を立ち上げただけでは「依頼」はこない。私は少しずつ焦り始めていた……。

 そんな折の第2号案件(候補)だ。私の胸は高鳴っていた(依頼人の色香は断じて関係ない)



「……それで、ご相談というのは?」


 私は出来るだけ信頼を感じてもらえるような低い声で、彼女に問いかける。

 高嶺澪たかみねみおと自己紹介した依頼人は、やはり、三年生とのことだ。


 単刀直入に本題に入る私に、彼女は少し眉を顰め、戸惑ったようなリアクションを返す。

 しまった。もう少しウィットに富んだ雑談アイスブレイクから入った方が良かっただろうか?


 先日の、チャボ(♀)の事件を、何か気の利いた言葉で表現しようと頭をフル回転させる。


 色々連想していく中で、昨日の夜に家で某有名ファーストフードのフライドチキンを食べた後で、母がその残りの骨を出汁に雑炊を作ろうとしたのを必死止めたという、しょうもない記憶を思い出したあたりのところで、高嶺が意を決したように話し始める。


「……探偵さんは、この間の中間試験に不正があったという噂が流れているのはご存知でしょうか?」


 “探偵さん“……なんという甘美な響きだろうか。そう呼んでくれるだけで、彼女に対してハグをしたくなってくる。

 そんな気持ちを必死で抑えながら、私は答えた。


「ええ、あくまで噂に過ぎないという『噂』もありますが。とある情報筋から聞いてはいます」


 それは本当だった。

 私が聞いた話だと、この成績提示に不正があったという噂が、最近学内で流れているということだった。


 ただ、どのような不正なのかは明らかにされておらず、噂が噂を呼び、実態を誰も知らない状態になっているらしい、とのことだった。


 全く、噂というのは、香りのしないブラックコーヒーのようだ。そこに魅力はなく、ただ苦味だけが残ってやがる……。


——私の話に頷きながら、高嶺が語る。


「私の親友に真鍋柚香まなべゆずかという子がいるんですけど、すごく真面目な子なんです。成績もずっと1番を取り続けてて……。


 でも、この間の成績に不正があるという噂が流れてから、彼女、家に閉じ籠っちゃったんです。電話やチャットアプリもしてみたんですけど、なかなか返事もくれないし、心配で……」


 そう言うと、もともと潤んでいた彼女の瞳に、真珠のような涙が溜まり、こぼれ落ちた。


 私は、さり気なくハンカチーフを渡そうとして、手持ちがないことに気づく。

 何かないかとポケットをまさぐると、今朝、駅でもらったポケットティッシュが奥から出てきた。


 『ご利用は計画的に』と派手な色で印刷されたそこから、ティッシュを数枚出し、彼女に手渡す。


 こんな美女が依頼人としてやってきて涙を流すという、絶好のシチュエーションを想定していなかった、私のミスだ。ご利用は計画的に。


 そのティッシュで涙を拭うと、彼女は真っ赤な目で私を見つめてくる。

 まるで常にキスをせがんでいるようなぷっくりとした唇から、彼女は言葉を発する。そこから聞こえた音は、嘘も真実も、全て許せてしまいそうになる。


 「探偵さんには、その成績提示不正の真相を、明らかにして頂きたいんです。もしそれが噂に過ぎないとわかれば、彼女もきっと元気になってくれると思うんです」


 ようやく「事件」の依頼が来たことに、卒倒しそうになるのを堪えながら、私は渋く答える。


 「もちろんです。あなたのような素敵な女性に、涙は似合わない」


 「ありがとうございます。それにしても……」


 艶っぽい目で私を見つめながら、彼女は続ける。




 「探偵さんって、なんでそんな変な話し方なんですか?」

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