第十一話:席替えの論理、あるいは確定する三角形(中編)

静寂は、情報の不在を意味しない。むしろ、過剰な思惑が飽和状態に達し、物理的な音波として放出されるのを拒んでいる状態に近い。 

整然と並んだ机と椅子は、多変数関数における格子点のようなものであり、その一点に座る僕という変数は、両隣からの強力な「場」の影響を同時に受けている。チョークが黒板を叩く乾いた音の裏側で、教科書の余白を舞台に繰り広げられる「音なき対話」は、どの古典文学よりも饒舌で、毒々しい情念に満ちていた。 


数学の授業中、教師の単調な声が子守歌のように教室を流れる。 

かつては「無視」という名の透明な壁に守られていた僕の席は、今や二人の少女の執着が衝突し合う、この世界で最も高密度な空間へと変貌していた。 


左隣から、視線を感じる。 


白砂は前を向いたまま、寸分の狂いもない筆致でノートを埋めている。だが、彼女の左手は、僕の制服の袖を、儀式のような正確さで掴み続けていた。 

ふと、彼女がノートを僕の方へと僅かに滑らせた。


『 f(x) = 玖島君。この関数の定義域は、私の観測範囲内のみに限定されるべきよ。不法な定数の介入(右側)は、解の純度を汚染するノイズに過ぎないわ』 


教科書の余白に綴られた、論理的な独占宣言。 


彼女にとって、愛とは「定義」の完遂だ。

僕という存在を、自分だけが理解できる数式へと変換し、その解を独占すること。

白砂の横顔には、自分の聖域を侵犯しようとする「隣」への、知的な敵意と焦燥が透けて見えた。 


その時、右側から熱が伝わってきた。 


阿久津が、机の下で、僕の右手に自分の指を絡めてきたのだ。 


白砂のような「服の裾を掴む」という控えめな接触ではない。それは、皮膚と皮膚を密着させ、互いの脈動を同期させようとする、より根源的で、野蛮な示威行為だった。


「……ねえ、聴こえる? お兄ちゃん」 


阿久津が、教師にさえ届かない微かな声で、僕の耳元に囁く。 

彼女は教科書を開いたまま、ペンを動かすことさえせず、ただ僕の右手に自分の体温を叩き込んでいた。


「左側から理屈が聞こえてくるけれど、そんなもので私たちの『血』は隠せないわ。……どれほど綺麗に定義しても、あなたの右側を支配しているのは、あなたを一度壊し、そして今再び救おうとしている、私という共犯者なのよ」 


彼女の指が、僕の掌をなぞる。 

一度目の人生で向けられた冤罪という悪意。それが今、僕の右手を拘束する「執着」へと転換されている。彼女は僕を救うために、僕を再び自分の色で塗り潰そうとしていた。 


左からは、思考を管理しようとする冷徹な論理。 

右からは、感覚を蹂躙しようとする湿った情念。 


僕は、左手で白砂のノートを指先でなぞり、右手で阿久津の指を強く握り返した。 


二人の少女の肩が、同時に僅かに跳ねる。


――いいよ。もっと執着するといい。 


僕は二人の少女の、それぞれに異なる「救済」の重みを、中心点(センター)として平等に受け止める。 


白砂は、僕に「支配されること」で、自らの欠落した知性を完成させようとし。

阿久津は、僕を「支配すること」で、自らの汚れた血を浄化しようとしている。 


二人のエゴが、僕の存在を媒介にして、複雑な幾何学模様を描き出す。 

教室内を流れる空気は、もはや灰色ではない。彼女たちの、剥き出しの「執着」という名の毒によって、息苦しいほどに鮮やかな色彩に満たされていた。


「――玖島。三行目の証明、君ならどう解く?」 


不意に教師が僕を指名した。 


僕は白砂の手を制し、阿久津の指を解くと、ゆっくりと立ち上がった。 


教室内が、静まり返る。 僕が口にするのは、教科書の正解ではない。 


二人の少女を、そしてこの歪な三角形を、完璧な秩序の下に置くための、新しい「世界の定義」だ。

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