第十一話:席替えの論理、あるいは確定する三角形(前編)

教室という空間において、座席の座標(座標系)は単なる物理的な位置情報ではない。  

それは人間関係という動的なネットワークを固定するための「定数」であり、その配置一つで系のエントロピーは劇的に変化する。誰の隣に座るかという些細な選択には、言葉にするのをためらうような、あるいは言葉にした瞬間に壊れてしまうような、不穏な意図が隠されているものだ。


ホームルームの喧騒の中、教卓に立つ教師が新しい座席表を掲示板に張り出した。  本来ならば、くじ引きという確率論に支配されるはずのこのイベントを、僕はあらかじめ「調整」しておいた。教師に対して、阿久津との「和解」と「更生」を目的とした学習支援という、極めて道徳的で論理的な提案を飲ませることは、今の僕にとっては初等数学を解くよりも容易なことだった。


「……玖島君。これは、あなたの演算の結果かしら」


左隣の席。すでに自分の荷物を机の横にかけ、僕の制服の裾を「当然の権利」として掴んでいる白砂が、抑えた声で問いかけてきた。  

彼女の瞳には、自分の予測を超えた事象に対する困惑と、それを上回るほどの、僕に対する深い信頼――あるいは狂信に近い執着が宿っている。


「効率を考えただけだよ。白砂さん。……君が僕の左を、彼女が僕の右を。そうすれば、僕を巡るすべてのノイズは、僕という中心点(センター)で完全に相殺される」


「……左が、私。……ええ、不満はないわ。あなたの心臓に最も近い場所を、私が論理的に占拠し続ける。……それこそが、この世界で最も正しい座標だもの」


白砂はつんとした表情を崩さないまま、けれど僕の裾を掴む指先に、かすかな熱を込めた。  

彼女の魅力は、その冷徹な知性が、僕の支配を前にした瞬間にだけ見せる「甘い機能不全」にある。論理を重んじる彼女が、僕という非論理的な存在に隷属することに快楽を見出している。その倒錯した忠誠心が、彼女の肌を微かに上気させていた。


「あら、左側だけで満足なんて。白砂さんは、随分と欲が少ないのね」


右隣の席から、風鈴が鳴るような、けれど氷のように鋭い声が割って入った。  

阿久津ななみが、優雅な動作で自分の鞄を机に置く。彼女は僕と目が合うと、悪戯が成功した子供のような、それでいて獲物を追い詰めた猟犬のような、妖艶な微笑を浮かべた。


「右側は、私がいただくわ。お兄ちゃん。……血の絆というものは、どんな論理的なバリケードも容易に突き破る、最も野蛮で純粋な『救済』なのよ?」


阿久津は僕の右腕に、自分の細い指先を絡ませた。  

白砂が左の裾を掴み、阿久津が右の腕を奪う。  教室内は、かつてないほどの緊張感――あるいは、この世のものとは思えないほど美しい「歪み」に包まれていた。


「……阿久津さん。あなたのそれは、救済ではなく、単なる不法侵入よ」


「あら、不法侵入かしら? 彼が私をここに『招待』したのよ。……ねえ、お兄ちゃん。私を隣に置いたこと、後悔させてあげましょうか? それとも、一生離れられないように、もっと深く、私の『悪意』という名の愛で埋め尽くしてあげようかしら」


阿久津が僕の耳元で囁く。彼女の吐息は甘く、その言葉は毒を含んでいる。  

一度目の人生で向けられた冤罪という悪意。それを今、彼女は「僕への執着」という燃料に変え、僕の隣という特等席に自分を縛り付けている。


右からは、逃れられない血の引力。  

左からは、逃がさないという論理の鎖。


僕は二人の少女の視線が、僕の体の上で激しく衝突し、火花を散らすのを冷徹に観測していた。  灰色の世界は、今、彼女たちの剥き出しの執着によって、極彩色(ごくさいしき)の檻へと変貌を遂げたのだ。


「――さあ、授業を始めよう。……僕たちの、新しい定義(ルール)の下でね」


僕がそう告げると、二人の少女は同時に、僕に向かって、それぞれの「執着」を込めた微笑みを返した。  


それは、世界で最も不健全で、そして最も幸福な三角形の完成だった。

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