第3話 はじまりの隣

赤ん坊として生まれ落ちた瞬間の記憶を、俺は今でもはっきり覚えている。


泣き声をあげることもなく、眩しさと騒音にただ眉をひそめていた俺を見て、医者と看護師が一斉に慌てだしたのも覚えている。


――落ち着け。

――深呼吸だ、レオン。


……いや、今は違う。


俺はもう勇者じゃない。ここでは、神代悠真だ。



三歳の春。桜がまだ残る公園の砂場で、俺は黙々と山を作っていた。


「ゆーくん、なに作ってるの?」


隣から、少し高めの声が聞こえる。


振り向くと、肩までの黒髪を揺らした少女が、しゃがみ込んでこちらを覗き込んでいた。


朝霧彩愛あやめ。この世界での、俺の幼馴染だ。


「……城」


「おしろ?」


「うん。落ちないやつ」


「ふーん?」


彩愛はそう言って、何の躊躇もなく、俺の作った山のてっぺんに小枝を突き刺した。


崩れる。


砂の城は、あっさり瓦解した。


「……あ」


「あっ」


二人して、同時に声を出す。


彩愛は一瞬だけ困った顔をしてから、すぐに笑った。


「ごめん。でも、また作ればいいよね? 一緒につくろう?」


その笑顔を見て、なぜか胸の奥が、少しだけ温かくなった。


……不思議だ。


異世界で、何百人もの仲間と共に戦ってきた俺が、たった一人の少女の笑顔で、こんなにも心を揺らされるなんて。


「……うん」


短くそう答えると、彩愛は満足そうにうなずいた。



夜。


布団に潜り込み、天井を見つめる。


――なあ、勇者。


頭の奥から、聞き慣れた声がした。


「……起きてたのか」


――当然でしょ。あんたが考え事をしてるとこっちまで聞こえてくるんだからね。


声の主は、セラ・アビス。元・魔王にして、今は俺の心の中に居座る同居人だ。


――それにしてもさ。

――あの子、なかなか可愛いじゃない。


「……そういう言い方をするな」


――ふふ。

――勇者サマは、相変わらず女心に鈍感ね。


俺は小さく息を吐いた。


「……今は、子どもだ」


――はいはい。

――でもね、悠真。


セラの声が、少しだけ柔らぐ。


――この世界、悪くないと思わない?


その言葉に、すぐには答えられなかった。


剣も、魔法も、戦争もない。代わりにあるのは、公園と、家族と、幼馴染と、静かな夜。


「……ああ」


しばらくして、そう答えた。


「悪くない」


――でしょ?


セラは満足そうに笑った気がした。


――まあ、平和なのは今だけかもしれないけど。


「……余計なことは言うな」


――冗談よ、冗談。


軽い声。だが、その奥にある感情までは、俺には読めなかった。



目を閉じる。


この世界での人生は、まだ始まったばかりだ。


ただ一つ確かなのは――俺はもう、孤独ではないということ。


隣には、彩愛がいて。心の中には、セラがいる。


それだけで、この世界で生きる理由としては、十分だった。


――少なくとも、今は。

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