第3話 はじまりの隣
赤ん坊として生まれ落ちた瞬間の記憶を、俺は今でもはっきり覚えている。
泣き声をあげることもなく、眩しさと騒音にただ眉をひそめていた俺を見て、医者と看護師が一斉に慌てだしたのも覚えている。
――落ち着け。
――深呼吸だ、レオン。
……いや、今は違う。
俺はもう勇者じゃない。ここでは、神代悠真だ。
◆
三歳の春。桜がまだ残る公園の砂場で、俺は黙々と山を作っていた。
「ゆーくん、なに作ってるの?」
隣から、少し高めの声が聞こえる。
振り向くと、肩までの黒髪を揺らした少女が、しゃがみ込んでこちらを覗き込んでいた。
朝霧
「……城」
「おしろ?」
「うん。落ちないやつ」
「ふーん?」
彩愛はそう言って、何の躊躇もなく、俺の作った山のてっぺんに小枝を突き刺した。
崩れる。
砂の城は、あっさり瓦解した。
「……あ」
「あっ」
二人して、同時に声を出す。
彩愛は一瞬だけ困った顔をしてから、すぐに笑った。
「ごめん。でも、また作ればいいよね? 一緒につくろう?」
その笑顔を見て、なぜか胸の奥が、少しだけ温かくなった。
……不思議だ。
異世界で、何百人もの仲間と共に戦ってきた俺が、たった一人の少女の笑顔で、こんなにも心を揺らされるなんて。
「……うん」
短くそう答えると、彩愛は満足そうにうなずいた。
◆
夜。
布団に潜り込み、天井を見つめる。
――なあ、勇者。
頭の奥から、聞き慣れた声がした。
「……起きてたのか」
――当然でしょ。あんたが考え事をしてるとこっちまで聞こえてくるんだからね。
声の主は、セラ・アビス。元・魔王にして、今は俺の心の中に居座る同居人だ。
――それにしてもさ。
――あの子、なかなか可愛いじゃない。
「……そういう言い方をするな」
――ふふ。
――勇者サマは、相変わらず女心に鈍感ね。
俺は小さく息を吐いた。
「……今は、子どもだ」
――はいはい。
――でもね、悠真。
セラの声が、少しだけ柔らぐ。
――この世界、悪くないと思わない?
その言葉に、すぐには答えられなかった。
剣も、魔法も、戦争もない。代わりにあるのは、公園と、家族と、幼馴染と、静かな夜。
「……ああ」
しばらくして、そう答えた。
「悪くない」
――でしょ?
セラは満足そうに笑った気がした。
――まあ、平和なのは今だけかもしれないけど。
「……余計なことは言うな」
――冗談よ、冗談。
軽い声。だが、その奥にある感情までは、俺には読めなかった。
◆
目を閉じる。
この世界での人生は、まだ始まったばかりだ。
ただ一つ確かなのは――俺はもう、孤独ではないということ。
隣には、彩愛がいて。心の中には、セラがいる。
それだけで、この世界で生きる理由としては、十分だった。
――少なくとも、今は。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます