第2話 勇者だったという事実

改めて名乗る必要もないだろうが、一応、自己紹介をしておこう。


俺の名は――レオン・ヴァルディス。今生きているこの世界の名は神代悠真。


かつて異世界において、勇者と呼ばれた存在だ。


勇者を育成する学園を首席で卒業し、剣術・魔法・戦術・統率、あらゆる分野において頂点に立ち、選ばれるべくして勇者パーティーに加わった。


魔王セラ・アビスを討伐し、世界を救済し、その直後、神に殺された。


――以上が、前世の経歴である。


盛ってはいない。謙遜もしていない。事実を、淡々と並べただけだ。


(……我ながら、ひどい人生だな)


そう内心で苦笑しながら、俺は天井を眺めていた。


白い。ひたすらに白い。


医療施設特有の、清潔で無機質な天井。


(ここは……病院、か)


前世に病院という概念はあったが、ここまで体系化された施設は存在しなかった。異世界の治癒魔法よりも、どこか冷静で、合理的な空気を感じる。


視界を動かす。首はまだ自由に動かないが、眼球だけなら問題ない。


ベッド。点滴。心拍を示す機械音。


そして――自分の、異様に小さな手。


(……赤子、続行中)


どうやら、転生初日で即終了、というわけではなかったらしい。


「……安心した?」


心の奥から、どこか呆れたような声がした。


(ああ。正直、もう少し早く“ちゃんとした体”になると思ってた)


『甘いわね。人生、そんなに都合よく進まないわよ』


セラ・アビスの声だ。


魔王。元・世界の脅威。現在進行形で、俺の精神領域に常駐中。


(お前、ずいぶん落ち着いてるな)


『だって、もう死んだ後だもの。これ以上、悪くなりようがないでしょ?』


その割には、どこか楽しそうなのが腹立たしい。


(……で。俺は、どれくらい寝てた?)


『半日くらいかしら。泣いて、寝て、泣いて、また寝てたわよ』


(聞かなかったことにする)


事実だとしても、精神衛生上よろしくない。


だが、一つだけ確かなことがある。


――俺は、現代日本という世界で、確かに“人間”として生きている。


魔力の流れを、意識してみる。


……ある。


微弱だが、確実に存在している。


異世界と同質の魔力。この世界の法則に薄く溶け込みながらも、完全には消えていない。


(力は……制限されてるな)


赤子の器では、勇者の力を扱えるはずもない。だが消失していない以上、いずれ必ず戻る。


『当然よ。あんたの魂、神の想定を完全に逸脱してるもの』


(褒めてるのか、それ)


『半分はね』


残り半分は、面倒な観測対象という意味だろう。


そして、本題はここからだ。


――この世界は、本当に“安全”なのか。


神に殺された記憶は、まだ鮮明に残っている。


あの無機質な声。「最適化」という言葉。


神々が存在する限り、俺が再び“異常値”と見なされる可能性は高い。


『考えすぎよ』


セラが、少しだけ真面目な声で言う。


『今はまだ、あんたはただの赤ちゃん。世界は、あんたを脅威だとは思ってない』


(……今は、な)


『ええ。“今は”』


その言葉に、わずかな緊張が滲んだ。


そして――病室の扉が、静かに開いた。


柔らかな足音。人の気配。


視界の端に映る、一人の女性。


(……母親、か)


前世では、守るべき民はいたが、“家族”と呼べる存在はいなかった。


彼女は、少し不安そうに、それから優しく微笑みながら、俺を見下ろしていた。


その瞬間、胸の奥に、説明のつかない感情が湧き上がる。


――守りたい。


理由はない。理屈もない。


ただ、それが“人としての感情”なのだと、直感的に理解した。


(……なるほど)


神に抗う以前に、俺はまず、この世界で生きなければならないらしい。


こうして、元・勇者レオン・ヴァルディスは、現代日本での人生を、静かに、確実に、歩み始めた。


それがやがて、神々の均衡を崩す第一歩になるとも知らずに。

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