第1話 再誕の啼哭

最初に訪れたのは、痛覚ではなかった。


思考が、極端に鈍化している。自我は確かに存在するのに、それを表現するための器官が、まるで言うことをきかない。


――視界が、やけに滲んでいる。


光がある。だが輪郭が曖昧で、形を結ばない。音もあるが、言語として認識できない。


代わりに、圧倒的な不快が全身を支配していた。


「――――っ!!」


意思とは無関係に、喉が震え、肺が収縮し、甲高い音が世界に放たれる。


泣き声。


その瞬間、レオン・ヴァルディスは理解した。


(……なるほど。これは、赤子というやつか)


冷静な自己分析に対して、身体はまるで協力しない。四肢は思うように動かず、視界は白く、意識は浮遊している。


だが、確信だけはあった。


――俺は、生きている。


否。


生き直している。


「おぎゃあ……おぎゃあ……!」


周囲が慌ただしく動く気配。人の声。どこか懐かしく、そして異質な響き。


(言語が違う……)


異世界のそれではない。だが理解できる。意味は分かるのに、応答できないもどかしさが、新たな泣き声を誘発する。


「元気な男の子ですよ」


その言葉を聞いた瞬間、

レオンの意識は一瞬だけ冴え渡った。


――男。


それだけで十分だった。四肢があり、声が出る。生物としての最低限は満たしている。


(上出来だ)


神に殺され、魔王と再会し、神に生かされた結果が、これだ。


皮肉ではあるが、悪くない。


抱き上げられ、柔らかな温度に包まれる。


人の体温。それは、かつて守ろうとした世界の温度だった。


(……ああ)


胸の奥が、僅かに軋んだ。


守ったはずの世界に殺され、それでもなお、人の温もりを懐かしいと感じている。


――つくづく、甘い。


だが、それでいい。


今は、まだ。


意識が再び深みに沈む直前、ふと、心の奥から声がした。


『……泣き声、うるさくない?』


(……セラ?)


間違いない。この軽口と、微妙に偉そうな語調。


『あーあ。まさか本当に赤ちゃんからやり直すとは思わなかったわ』


(俺もだ)


『でも、まあ……』


一拍の沈黙。


『ちゃんと生きてるみたいだし。悪くない再スタートじゃない?』


その声音には、深淵の魔王にふさわしからぬ、柔らかな安堵が滲んでいた。


(……一つ聞いていいか)


『なに?』


(お前は、なぜ俺と一緒にいる)


少しだけ、間が空く。


『さあ?神様の設計ミスじゃない?』


冗談めかした声。だが、その奥に、確かな“意志”を感じた。


『でもね、勇者さまよ』


セラ・アビスは、どこか楽しそうに言った。


『今度は、あたしたちの番よ』


その言葉を最後に、意識は完全に闇へと落ちていく。


こうして、”レオン”は神代悠真としての人生は始まった。


最強の勇者であり、魔王を心に宿し、やがて神に抗う存在となる者の――ごく、ごく平凡な、産声から。


だがこの再誕は、決して偶然ではない。


神々の秩序から外れた例外が、静かに、確実に、この世界へと降り立った瞬間だった。

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