魔王は心に、神は隣に

XenO

プロローグ

――断罪の果てに


その日、世界は救済された。


魔王セラ・アビスは崩れ落ち、瘴気に覆われていた大地は静謐を取り戻し、空には久方ぶりの蒼が広がっていた。


勇者レオン・ヴァルディスは、血に濡れた剣を静かに下ろし、魔王の最期を見届けていた。


――あまりにも、あっけない終焉だった。


「……これで、終わりなのか?」


その問いに応える者は、もういない。勇者パーティーの仲間たちは歓喜に打ち震え人々は英雄の名を叫び、世界は彼を祝福する準備を整えていた。


だが、レオンの胸中には、言いようのない空虚が広がっていた。


勝利の達成感ではない。使命を果たした安堵でもない。


それは、自分が何か、触れてはならない領域に足を踏み入れてしまったのではないかという、漠然とした予感だった。


その予感は、ほどなくして現実となる。


空が、歪んだ。


雲でもなく、光でもない、概念そのものが軋むような感覚。世界の法則が、悲鳴を上げている。


次の瞬間、そこに“在ってはならないもの”が顕現した。


――神。


威厳も、慈愛も、祝福もない。ただ、冷ややかで、無機質な視線。


「勇者レオン・ヴァルディス」


名を呼ばれただけで、魂の輪郭が暴かれるような感覚に襲われる。


「君は役目を終えた」


その声は、裁きですらなかった。感情を欠いた、事務的な宣告。


「魔王を討ち、世界を救済した。だが同時に、君は“過剰”となった」


レオンは、剣を握り直した。


「……それが、どういう意味だ」


神は瞬き一つしない。


「君は成長しすぎた。この世界の均衡を逸脱する可能性を孕んでいる」


理解できなかった。世界を救った英雄が、なぜ排除されなければならないのか。


「それが、神の理だというのか」


「否」


神は淡々と答える。


「それは“理”ではない。最適化だ」


次の瞬間、世界から音が消えた。


痛みはなかった。恐怖すら、感じる暇がなかった。


ただ、存在そのものが削除されていく感覚。


勇者レオン・ヴァルディスは、神――***によって、世界から切り捨てられた。


英雄の最期は、誰にも知られることなく、静かに、無慈悲に、完了した。


意識が戻ったとき、そこには何もなかった。


光も、闇も、時間も、概念もない。生と死の区別すら失われた、無の領域。


「……ここは、どこだ?」


問いは虚空に溶け、返答はないはずだった。


「さあ?“死後”って呼ぶには、ちょっと味気ない場所よね」


不意に、声がした。


軽やかで、どこか楽しげな声音。


振り向くと、そこに一人の少女が立っていた。


深淵のように黒い瞳。しかし、その奥には、不思議な温度が宿っている。


「久しぶり、勇者さま」


「……お前は」


レオンは、即座に理解した。


この存在が、自らの手で討ったはずの――


「魔王……セラ・アビス!?」


少女は、くるりと一回転し、悪戯っぽく微笑んだ。


「正解。もっとも、今は“元”だけどね」


敵だったはずの存在が、なぜここにいるのか。


問いを投げる前に、もう一つの気配が、無の世界に満ちていく。


「彼は、まだ“観測対象”よ」


その声は、優しく、そして底知れなかった。


白銀の光の中から、一人の女性が歩み出る。


魔王は口を開いた。


「あなたは……神?」


「ええ。でも、彼を殺した神とは、別」


穏やかに微笑みながら、彼女は告げる。


「私はエリシア。可能性を観る者」


そして、まっすぐにレオンを見つめた。


「あなたには、もう一度、生きてもらうわ」


「……なぜだ」


問いに、エリシアは即答しない。


ただ一つ、意味深な言葉を残す。


「神々の“正しさ”が、いつも正しいとは限らないから」


無の世界が、ゆっくりと崩れ始める。


「行きなさい、レオン・ヴァルディス。今度は――神に見守られない世界へ」


その先に待つのが、救済か、それともまた違うなにか。


それはまだ、誰にも分からない。


だが一つだけ、確かなことがある。


この瞬間から、神々の想定は、静かに狂い始めた。

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