第2話「矛盾」
リクは楽屋の隅に隠れていた。
ライブが始まる30分前。メンバーたちが次々と入ってくる。
ドラムの男。ベースの男。そして――
藤堂アキラ。
黒い革ジャンを着た、痩せた男。長い髪。鋭い目。口元には、いつも笑みを浮かべている。
「今日の客入りどうだ?」
アキラの声がした。
「まあまあだな。80人くらいは来てる」
ユウが答えた。
「上出来じゃん。最後のライブだし」
「最後って――お前、本気で解散するのか」
「ああ」
アキラは煙草に火をつけた。
「俺、もう限界なんだよ。音楽、続けられない」
「何言ってんだ。お前、才能あるのに」
「才能ね」
アキラは煙を吐いた。
「才能があっても、売れなきゃ意味がないだろ」
ユウは何も言わなかった。
リクは息を殺して、二人のやり取りを聞いていた。
これが――アキラ。
今夜、死ぬはずの男。
ライブが始まった。
リクは客席の最後尾に立っていた。
ステージ上では、CIRCUITが演奏している。
アキラのボーカル。ユウのギター。ドラム。ベース。
圧倒的だった。
音が――生きている。
MDで聴いた音とは、まるで違う。生の音は、こんなにも力強いのか。
アキラが歌っている。魂を込めて、叫んでいる。
客たちも、熱狂していた。拳を振り上げ、声を上げ、飛び跳ねている。
これが――CIRCUITなのか。
ユウが失った、音楽。
リクは気づいた。
自分の頬が、濡れていることに。
泣いていた。
音楽を聴いて、泣いていた。
(俺も――こんな音楽が、やりたかった。)
ライブは2時間で終わった。
客が帰っていく。メンバーが機材を片付ける。
リクは楽屋の前で、じっと待っていた。
アキラと、話さなければ。
(あいつを――止めなければ。)
「おい、さっきの奴」
声がした。
振り返ると、ユウが立っていた。
「お前、ずっとそこにいたのか」
「……はい」
「何者だ。関係者じゃないんだろ」
「俺は――」
言葉が詰まる。
どう説明すればいい。
「未来から来ました、なんて言ったら――信じないですよね」
ユウの目が、細くなった。
「……何?」
「俺は、2024年から来ました。30年後の未来から」
「頭、大丈夫か」
「大丈夫じゃないです。でも、本当なんです」
リクはポケットから、スマートフォンを取り出した。
「これ、見てください。2024年の――」
ユウはスマートフォンを見た。
画面には、日付が表示されている。**2024年12月17日。**
「……何だこれ」
「スマートフォンです。未来の、携帯電話」
「携帯電話?」
ユウは困惑した顔で、スマートフォンを見つめた。
「俺は――藤堂アキラさんを、助けに来ました」
「アキラを?」
「今夜、アキラさんは死にます」
ユウの顔が強張った。
「何を言って――」
「事故です。車に轢かれて、即死。――少なくとも、ユウさんの記憶では、そうなってる」
「俺の記憶?」
「でも、本当は違う。アキラさんは――自殺するんです」
ユウは一歩後ずさった。
「お前――」
「信じてください。俺は、アキラさんを救うために来たんです」
ユウは何も言わなかった。
ただ、リクを見つめていた。
長い沈黙の後――
「……ついて来い」
ユウはリクを、店の奥に案内した。
小さな部屋。倉庫のような場所。
「座れ」
リクは床に座った。ユウも向かいに座る。
「お前の話が本当かどうか、分からない」
「……はい」
「でも――一つだけ、気になることがある」
ユウはリクを見た。
「お前、俺の名前を知ってた。会ったこともないのに」
「未来で――ユウさんは、俺の師匠です」
「師匠?」
「ギターを、教えてもらってます」
ユウは目を細めた。
「俺が――お前にギターを?」
「はい。30年後の、ユウさんです」
「……そうか」
ユウは天井を見上げた。
「30年後の俺は――まだ、生きてるのか」
「生きてます。でも――音楽は、やめてます」
「音楽を?」
「アキラさんが死んでから、ユウさんは音楽をやめました。ギターを弾かなくなった。――それが、俺の知ってる歴史です」
ユウは黙り込んだ。
「でも、俺はその歴史を変えに来ました」
リクは立ち上がった。
「アキラさんを救って、ユウさんの未来を変える」
「どうやって」
「分かりません。でも――やるしかない」
ユウは長い間、考え込んでいた。
そして――
「分かった。何をすればいい?」
「え?」
「お前の話が本当かどうか、まだ信じきれない。でも――」
ユウは立ち上がった。
「アキラを救えるなら、何でもする」
二人は楽屋に戻った。
アキラはまだそこにいた。一人で、煙草を吸っていた。
「アキラ」
ユウが声をかけた。
「ん?」
「お前、今夜どこ行く予定だ」
「どこって――帰るだけだけど」
「一緒に飲みに行かないか」
「飲み?」
アキラは怪訝な顔をした。
「お前、珍しいな。いつもはさっさと帰るのに」
「最後のライブだからさ。ちゃんと、打ち上げしようぜ」
「……そうだな」
アキラは煙草を消した。
「じゃあ、行くか」
三人は店を出た。
12月の夜は、冷たかった。
居酒屋で、三人は向かい合って座った。
ユウとアキラは酒を飲み、リクはウーロン茶を飲んだ。
「なあ、そっちの兄ちゃん」
アキラがリクに話しかけた。
「お前、誰だっけ」
「俺は――高梨リクです」
「高梨? 知り合いか、ユウ」
「いや――今日、初めて会った」
「じゃあ、なんでここにいるんだよ」
アキラは笑った。
「まあいいか。ライブ、どうだった?」
「……最高でした」
リクは正直に答えた。
「音楽が――生きてました」
「生きてた、ね」
アキラはグラスを傾けた。
「俺には、もう死んで見えたけどな」
「アキラ――」
「いいんだよ、ユウ。もう決めたことだし」
アキラは煙草に火をつけた。
「俺、音楽向いてないんだよ。才能がないわけじゃない。でも――続ける気力がない」
「気力って――」
「疲れたんだ」
アキラは煙を吐いた。
「毎日練習して、毎週ライブして、デモ送って――でも、何も変わらない」
「……」
「俺たちのバンドは、売れない。このまま続けても、未来はない」
ユウは何も言えなかった。
リクも、黙っていた。
「だから――やめるんだ」
アキラはグラスを空けた。
「今夜で、全部終わりにする」
その言葉に、リクの背筋が凍った。
終わりにする。
この言葉は――
居酒屋を出たのは、午後11時だった。
「じゃあな、ユウ」
アキラは手を振った。
「また――いつか」
「待てよ、アキラ」
ユウが引き止めた。
「送るよ。お前の家まで」
「いいって。一人で帰れるから」
「でも――」
「心配すんな」
アキラは笑った。
「俺、もう大人だから」
そして、アキラは歩き出した。
夜の街に消えていく。
「待って――」
リクが叫んだ。
アキラが振り返る。
「何だ?」
「俺――話があります」
「話?」
「はい。少しだけ、時間もらえませんか」
アキラは首を傾げた。
「……まあ、いいけどよ」
三人は、近くの公園に向かった。
ベンチに座る。アキラが真ん中。ユウとリクが両脇。
「で、何の話?」
アキラが聞いた。
「俺――未来から来ました」
「未来?」
「2024年。30年後の未来です」
アキラは笑った。
「何だそれ。SFか?」
「本当です」
リクはスマートフォンを取り出した。
「これ、見てください」
アキラは画面を見た。
日付。2024年12月17日。
「……何だこの板切れ」
「未来の携帯電話です」
「は?嘘だろ」
「本当です。そして――俺は、あなたを救いに来ました」
アキラの笑顔が消えた。
「救う?」
「今夜、あなたは死にます」
「……何?」
「車に轢かれるんです」
アキラの顔が強張った。
「お前――何を――」
「俺の知ってる歴史では、あなたは今夜死にます。そして、ユウさんは音楽をやめます」
「……」
「でも、俺はそれを変えに来ました」
リクはアキラを見た。
「死なないでください」
沈黙が落ちた。
アキラは動かなかった。
ユウも、何も言わなかった。
長い、長い沈黙の後――
「……お前、本気で言ってんのか」
アキラの声が震えていた。
「本気です」
「俺が――死ぬって」
「はい」
アキラは顔を覆った。
「……なんで、そんなこと知ってる」
「未来で、ユウさんから聞きました」
「ユウから――」
アキラはユウを見た。
「お前――俺が死ぬこと、知ってたのか」
「いや、俺は――」
「知らなかった、か」
アキラは立ち上がった。
「そうだよな。知るわけない。――まだ、起きてないことだから」
「アキラ――」
「でも、もしかしたら――」
アキラは空を見上げた。
「俺、本当に死ぬのかもな」
アキラは歩き出した。
公園を出て、夜の街に向かう。
「待ってください――」
リクが追いかけた。ユウも後を追う。
「アキラさん、どこに行くんですか」
「どこって――」
アキラは振り返った。
その目には、涙が浮かんでいた。
「確かめに行くんだよ。俺が――本当に死ぬのか」
「まさか――」
アキラは笑った。
涙を流しながら、笑っていた。
「行ってみようぜ。――運命の場所に」
三人は、雑居ビルの屋上に向かった。
SOUND WAVEがある、あのビル。
非常階段を上る。錆びた金属が、足音に軋む。
屋上のドアを開けた。
冷たい風が吹き付ける。
「ここでいいな――」
アキラは屋上の縁に向かった。
フェンスの前に立つ。
「ここから、飛び降りてみようか。車だと運転手がかわいそうだからよ」
「……」
「高いな。――死ねそうだ」
「やめてください――」
リクが叫んだ。
「死なないでください」
「なんで」
アキラが振り返った。
「なんで、お前は俺を救おうとする」
「それは――」
「会ったこともない俺を。未来から来てまで」
リクは言葉を探した。
「……ユウさんのためです」
「ユウの?」
「ユウさんは、30年間苦しんできました。あなたが死んでから、ずっと」
アキラはユウを見た。
「……そうか」
「だから――死なないでください」
「でも、俺には理由がある」
アキラはフェンスに手をかけた。
「俺、もう疲れたんだ。音楽も、人生も、……ぜ~んぶ」
「アキラ――」
ユウが一歩前に出た。
「お前が死んだら、俺はどうなる」
「お前は――生きていけるよ」
「生きていけない」
ユウの声が震えた。
「お前がいなきゃ、俺は音楽を続けられない」
「嘘だ」
「本当だ」
ユウはアキラに近づいた。
「お前のボーカルがなきゃ、俺のギターは意味がない、魂が入らないんだ」
「そんなこと――」
「ある」
ユウはアキラの腕を掴んだ。
「頼む。死なないでくれよ」
アキラは動かなかった。
涙が、頬を伝った。
「……ユウ」
「何だ死ぬのを諦めたか?」
「俺――お前のこと、好きだったんだ」
ユウは息を飲んだ。
「バンド仲間として。友達として。――ずっと、一緒にいたかった」
「……」
「でも、もう無理なんだ」
アキラはユウの手を振りほどいた。
「俺には――明るい未来が見えない」
そして――
アキラはフェンスを越えようとした。
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